よしなしごと

▽2020/04/05(Sun)
これが運命というものか(エラム)
橙と藍とが混じり合う時刻。
夜の帳が降りて来るにつれて、エクバターナの店先は昼間とは異なる活気に溢れる。
酔いを求めて賑わう酒場、一夜の夢のために訪れる娼館。
すれ違う人々の間を縫うようにして、一つの人影が早足で駆け抜けてゆく姿を見咎めた者は誰もいなかった。
女性用の衣服を身にまとうエラムは、少年時代と比べて成長した上背を隠すように背中を丸めながら城への道程を急ぐ。
国王アルスラーンからの勅命を受けてしばらくの間、地方へと身を置いていた彼は旅商人の一団に紛れ込ませてもらいながら王都への帰途を辿り、ようやくここまで戻って来た。
女性に身をやつしていたのは、そのほうが物事が有利に運ぶためである。
もしも盗賊に襲われた集団の中に女がいた場合、それだけで彼らの罪は重くなり、ましてや殺そうものなら極刑が言い渡される。
女がいるぞ、ということを呼ばわれば、盗賊たちはしぶしぶ身を引くこともあり、荷物も命も奪われることなく快適な旅ができるというわけだった。
久しぶりの賑やかな街の空気に触れて、エラムの心は自然と浮足立つ。
地方での穏やかな生活も昔を思い出させて嫌ではなかったのだが、今、自分がいる場所はここなのだと思わせてくれる人たちの顔が見たいと、気持ちばかりがはやる。
ふいに、路地の方から言い争う声が聞こえてきて彼は足を止めた。
女性の抵抗する声を押さえつけるように、二人の屈強な影が彼女の身体を闇の中へと連れ去ろうとするのを見た瞬間、エラムはため息をついてからそちらへと向かう。
「何をしている、」
振り向いた男のうち、一人がベールに隠れたエラムの顔を見た瞬間、好色な笑みを浮かべて白々しい様子で話し掛けてきた。
「別に何も」
視界の悪さをものともせず、品定めをする下卑た視線を感じながら彼は口を開く。
「何も?じゃあお前の後ろの二人はなんだというのだ」
はがい締めにされながら、必死にまなざしだけで逃げろ、と女性が合図をしてくるのを見逃すことなどできない。
エラムは相手の返答を待つことなく腕を掴むと、全体重を掛けて背負い投げた。
積み上げられた荷が崩れ落ちる派手な音とともに男の身体は地面に叩きつけられたが、構うことなく彼はもう一人も呆気なく組み伏せると捕まっていた女性を解放させた。
騒ぎを聞きつけた人だかりが集まってくるのも時間の問題だと考え、エラムは膝をついている彼女の手を取って無理やり立ち上がらせる。
「悪いが一緒に来てくれ」
頷いた相手は息を切らせながらも懸命に足を動かしてついて来る。
やがて静かな場所へと辿りつくと、エラムは呼吸を整えながら遠慮がちに声を掛けた。
「大丈夫でしたか」
「はい。あの、あなたも。助けて下さってありがとう」
荒い息を挟みながら答える彼女は、エラムの格好を見てどうやら自分と同じ女性だと勘違いしたらしい。
すっかりはだけてしまっている上着を気遣うようにして彼の服装を整え始めたため、慌ててそれをやめさせる。
「あの、私のことは大丈夫ですから」
「でも、裾がすっかり破けてしまっているもの」
指摘を受けて、エラムは自分の足元に目を向ける。
長旅も相まって、くたびれていた借衣の裾から見事な裂け目が入っているのに気が付き、やってしまった、と心の中で呟いた。
こんな姿ではどのみちすぐに報告など出来そうもない。
私の家で直してもらいましょう、と彼女は微笑んだ。
「ですが、」
「助けて下さったんだもの。私のために破けてしまったようなものだから」
頷くまで譲ろうとはしないであろうということを察して、エラムは大人しくその好意を受けることにした。

***

彼が通されたのは大きな門を構える館の一室で、どうやら彼女は貴族の娘だということに気付いたエラムは内心焦っていた。
着ていた衣服の代わりに貸し与えられていた上等の上着を羽織り、居心地悪そうに広い部屋の長椅子に腰を下ろしていた彼の元に、先程の相手が駆け寄ってくるのが見えて思わず立ち上がる。
なまえ、と名乗った相手はばつが悪そうに口を開いた。
「あの服、だいぶ派手に破けていたみたいで・・・良ければ今着ているものが代わりにはならないかしら」
「そんな。別に構いわないんです、破けていたって」
どうせ借り物ですから、そう言おうとして彼は口を慎む。
それよりも、暗闇の中では成人した女性だと思っていたなまえだったが、どうやらそうでもないらしい。
明かりの下で知った彼女の整った面差しは自分の年齢とあまり変わらないのを、エラムは意識しないようにつとめた。
「破けた服のまま帰すわけにはいきません」
「それでは、男性用の服を貸して頂けますか」
彼女はどうして、と驚いたように尋ねる。
そして、まじまじとエラムの姿を眺めてから「男の人」と呟いた。
「すみません、騙すつもりじゃなかったんです」
「そんな・・・そうだったの」
なまえは使用人に男物の上着を持って来るように声を掛けると、怪我をしていないかどうかをエラムに確認した。
「大丈夫です、慣れていますから」
万軍のルシタニア兵や異形の者たちとも剣を交えることもあったのだから、今さら怖気づくことはない。
それよりも彼が憂えたのは、国王の膝元でも簡単に人攫いが起きてしまうということだった。
さっそく手を打たなければ、そう考えてエラムはふと気になっていたことを尋ねる。
「どうしてあんな場所に一人でいたのですか?路地裏はあなたのような人がいるべきではないと思いますが」
なまえはしばらく俯いていたが、やがて「どんなところか見てみたかったの」と言った。
「もう少ししたら気軽に歩けなくなると思って」
どういうことです、と聞き返した彼になまえはただ微笑むばかりだ。
追求するのもどうかと思い、エラムは用意された上着に袖を通すと軽く頭を下げた。
「訳あって名乗ることはできませんが、二度とこのようなことが再び起きないよう取り図ることにしましょう」
そう言って暗闇に消える青年の後ろ姿を、なまえはただ黙って見送っただけだった。

***

翌日、彼が上着を返しに行ったところ、彼女の姿はなかった。
使用人に行く先を尋ねても言葉を濁されてしまい、結局なにも手掛かりが掴めないまま今に至る。
例えば近々嫁ぐ予定があったのだとすれば、悪評を恐れてあの晩の出来事をなかったことにするつもりなのかもしれない。
あれこれ理由を考えても釈然としない気持ちのままではあったが、エラムは気持ちを切り替えて報告と謁見を済ませることにした。
アルスラーンに人攫いがあったことも忘れずに告げると、頷いた彼はイスファーンに王都の警備を固めるようにと伝える。
「疲れただろう、エラム。良ければ時間がある時に話を聞かせて欲しい」
国王の親しみのある言葉にエラムは快諾をして、部屋を後にした。
しかし、廊下に立っていたギーヴに呼び止められて彼は立ち止まる。
「なあ、国王陛下はずいぶんと人が良いと思わぬか?夫を失った御婦人たちを女官として城で雇うのはかまわんが、いささか潤いに欠けるな」
ま、中には若い娘もいるらしいが、そう言った彼の視線の先を何気なく追ったエラムは目を見開いた。
相手もそれに気付いたらしく、驚きで目を丸くしている。
「知り合いか」
怪訝そうなギーヴの声には答えず、エラムは白い衣装を着たなまえの元へと駆け寄った。
「上着を、返そうと思っていたのです。まさかこんなところにおられるなんて」
突然もたらされた再会に、彼女も上ずった声で答える。
「私も、あの夜のことを忘れた日はありませんでした。本当に、どれだけ感謝していたか」
城の廊下でいきなり花開いた会話に、連れ添っていた女官とギーヴは唖然として二人を見つめるばかりだ。
上着を返す、あの夜、といった単語に耳を留めながら、ギーヴは後でエラムのことを問い詰めてやらねば、と胸の内で決めたのだった。



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