僕のロマンス



オレンジが窓の外を染めている。
あーあ。なんだか疲れちったなあ。
バスの座席に揺られながらセンチメンタルな気分。
オレンジがだんだん濃くなって茜色、夜が混ざってマーブルの空・・・。そういえば昨日もこんな感じだった。
平和だなあ、なんて考える。
学校行ってテニスして、休みの日もテニス、テニス・・・。
この夏が終わってしまったら、みんなどうすんだろう。
受験勉強まっしぐらなんてつまんない。
俺はエスカレーター希望だけど、そうじゃないやつだっている。そういえばこういう話ってあんまりしたことない。
離れんの、やだな。
バスの揺れが心地いい。
そーいや明日テストなんだっけ。文法の確認しないと。
ふわりと気の抜けたあくびがこぼれる。
重くなるまぶたをこすりながら単語帳を取り出した。
バスが停まり、人が乗り降りするきしむ音が響く。
ふっと、すぐ近くで気配がした。
ちょっと顔を上げる。
「(え、うわ)」
きれいな子がいる。高校生かな。
うつむいて携帯を見つめているまなざしを長いまつげが覆っている。
あんまり視線を向けているのも悪い気がした俺は、手元に集中する、ふりをした。
何気なく視線を上げた瞬間、
「(あ、やべ)」
目が合っちった。
俺の心臓がばくばく音を立てていることなど知るはずもなく、彼女は何事もなかったように再び液晶を操作し始める。
バス停に着くまでそわそわしっぱなしだった俺は
、アスファルトに足を着けてほっと息を吐く。
彼女を乗せたバスの背中が小さくなってゆくのを見送っているうちに、大変なことを自覚してしまった。
「・・・うそ」
これってまさか。
菊丸英二、15歳。
生まれて初めてひと目ぼれをしたみたいだ。

***

「英二。どうした?」
おーいしー、と俺は情けない声を上げる。
「テスト、ぼろぼろだった・・・」
ああ、と苦笑いを浮かべた大石。
「ま、いいじゃないか。期末じゃないんだから」
「そりゃそうだけどさー」
恋愛の初期症状ってこんなに重いものだっただろうか。
ていうか、俺まだ誰とも付き合ったことなんてないし。
「ずーっとテニスばっかりだったもんなあ・・・」
「ん?なんの話だ?」
んね、と俺は身を乗り出して尋ねる。
「大石は誰かを好きになったことってある?」
え、と大石は言葉に詰まった。
「ど、どうしたんだ?いきなり」
「んー、ちょっとね、で?で?どうなの」
「うーん・・・ない、こともないけど」
あんの!?と俺は叫んだ。
「どうだった?」
「いつの間にか忘れていたよ。もう覚えてない」
「なーんだ」
ひどいな、そう言って大石は笑う。
「もしかして恋でもしたのか?」
「うえ?いや」
思わず裏返ってしまった返事をごまかそうとしたが、遅かったらしい。
目を丸くした大石は、「いいじゃないか!」と勢いよく言った。
「え?」
「いやー青春だなあ。それで、うまくいきそうなのか?」
「いや・・・それがさあ」
たまたまバスに乗り合わせただけで、名前も歳も分かんない。
「へえ・・・え?」
「こないだの日曜さ、一緒にテニスしたじゃん?あの後の話」
ああ、と大石は頷く。
「そうか、休日だから制服とかも着ていないのか」
「そーなんだよねー。あーあ、また会えないかにゃー」
でも、会ってどうするんだろう。
いきなり告白?ないない。
「まあ、そう落ち込むなよ」
「気休めはよせやい」
時間、戻んないかなあ・・・。
そしたら勇気出して名前を聞いてたかもしんないし、勉強も・・・やっぱそれはないかも。

***

テニスコートでは、桃がおチビに絡んでいる。
「よー越前、今日一緒に帰ろうぜ。特別にアイスおごるからよ」
しかし意外なことにおチビは首を横に振った。
「悪いけど今回はパスで。明日なら大丈夫ッスけど」
「そっか。なんか用事か?」
「まあ、そんなとこッス」
まさか彼女、と桃がふざけて言うと、おチビは予想外の反応をした。
「別にそんなんじゃないけど。普通に女友達」
「えっ、マジで女の子?」
デートじゃん、と思わず反応すると「ッスよね!?」と桃が叫ぶ。
「だからちがうって」
「なんだよ水くせえなあ。最初っからそう言ってくれりゃあいいのに」
「そうだぞ、おチビ。なにも恥ずかしがることないのに」
そんなんじゃないし、とおチビは帽子を目深にかぶると「ただの幼なじみッス・・・」と呟いた。
「ふーん・・・」
「た、だ、の、ねえ」
「高校からこっち来たんスよ。それだけ」
じゃ俺はもう行くから、そう言い残しておチビは足早に行ってしまった。
「いやー、あいつも隅に置けないにゃあ」
「英二先輩」
「ん?」
つけましょう、と桃はにやりと笑って言った。
「まじ?」
「だって相手の子が気にならないですか?」
そりゃまあ、見てみたい気もする。
「おーし、そんじゃ俺のこと乗せて」
チャリ取ってきます、と桃は駆け出した。

***

「・・・英二先輩、けっこう体重ありますよね」
「なんだと。デブって言いたいのか」
ちがいますって!と桃は笑う。
「まあでもこのくらいが普通っていうか、越前が軽いからなあ」
あーたしかに。
もしかして、いつかおチビに身長を抜かれてしまう日が来るんだろうか。
「あっ、見っけ!」
自転車を脇に寄せ物陰に身を隠す。
「なあ、これすっげーあやしくない?」
「まあ・・・それは言わない約束ってことで」
ふたりはスポーツ用品店のショーウィンドウを眺めながら会話をしていた。
「あー、もうちょいこっち向いてくれればなあ」
まるで桃の声が聞こえたかのように彼女はふっと顔を上げた。
「おっ」
あれ。え、え?
「うっそ・・・」
あの子じゃん。
「すっげー美人じゃん!ねえ英二先ぱ、」
「・・・見つけちった」
思わず立ち上がると隣で桃が慌てる。
「ちょっと、英二先輩!?バレますよ」
「いーの。・・・ちょっと行ってくる」
俺の姿に気づいたおチビは「げ」と声を上げた。
なんだよ、傷つくなあ。
「なんでいるんスか。桃先輩まで」
「いやーたまたま?」
おチビの隣にいる彼女は俺の顔を見てなにかを思い出したような顔をする。
そして、
「バスで一緒だったよね」
と綺麗に笑った。
覚えていてくれたなんて。
まさかの展開に俺の心臓が早くなる。
「あの!俺、菊丸英二っていいます」
桃とおチビが驚いてふり向いたけど、かまうもんか。
「おチビ、えっと、越前とは部活が一緒で」
「そうなんだ。私、##NAME2##なまえです。リョーマとは幼なじみなの」
ちょっと歳は離れてるけどね、と彼女は自己紹介をした。
有言実行がこんなにも早く達成されるとは思わず、頭の中がふわふわしている。
ていうか本当になったことがびっくりだ。
「・・・偶然なんスよね?それじゃ、俺たちはもう帰るんで」
「なんだよ越前つれねえなあ。あ、俺は桃城武っていいます。桃ちゃんって呼んでくださいね!」
桃ちゃんね、と彼女はくり返した。
「じゃあ、またね。桃ちゃんに菊丸くん」
軽く手を振ってくれた姿を、見えなくなるまで眺める。
「いやー、間近で見るとやっぱ超キレーッスね!」
「うん・・・桃」
「はい?」
「これ、次あると思う・・・?」
えっ、と桃は聞き返した。
「次って?」
二度あることは三度ある。
三度目の正直。
次こそ連絡先ゲットして、・・・それで。
「いよーし、桃!特別にアイスおごっちゃるよー!」
「あっ待ってくださいよ!なんスか急にー!」
走り出した俺の頬を、気持ちのいい風がかすめた。


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