暑い。とにかく暑い。なんで真夏の夜つーのはこうもじめっと蒸し暑いんだ。
その日は気温も高く夜中になっても一向に涼しくならず寝苦しかった。何度もゴロゴロ布団の上で寝返りをうっても全然寝付けない、ただただ額に、背中に、べっとりした汗だけが流れる。
先程までかけていたタオルケットもいつの間にか布団の横で丸まっていた。
べたついた身体に寝巻きが張り付いて気持ち悪い。
障子の隙間から差し込んだ綺麗な月明かりでさえ今の俺には憎かった。
このまま布団にいても永遠に寝付けそうにないのでバスタオルを手に取り向かった先は風呂場。
一風呂浴びてさっさと寝たい。明日も早ェし。
ほんと、ただそんな軽い気持ちで風呂に入ろうと思っただけなのに、
「…………」
「………あ、」
なんでこうなる。
今、俺の目の前にはバスタオル姿の女がいた。
寝巻きを脱ぎ腰にタオルを巻いて風呂場の引き戸を開けたら人影があって、最初は総悟か山崎あたりだと思って迂闊に近づいたらそこにいたのは野郎なんかじゃなくて、バスタオル姿で濡れた髪を手で拭っている女だったのだ。
女は俺の存在に気づくと小さく声をあげ固まった。同時に俺も固まった。
白い蒸気と共に流れる沈黙。お互いがお互いを見つめたまま動かない。つーか動けない。
しかもその女つーのがよりによって…
「……こんばんは、副長」
なまえだった。
「…な、にやってんだ、てめェ」
暫くしてやっと我に返った俺はなまえから慌てて目を逸らし低い声でそう問いかけた。
なまえは特に動じることもなく真っ直ぐ俺を見つめながら「お風呂に入ってます」っと言って蛇口を捻りシャワーを止めた。
ンなこたァ見ればわかる、俺が聞きたかったのはそんな返事じゃなくて。
「なんでこんな時間に入ってんだよ、女は夜中の入浴禁止つってあったろーが」
真選組の屯所には風呂が大浴場の一つしかない。
そのためなまえと女中達の入浴時間は男としっかりとわけられているのだが、夜中だけは基本的にフリータイム状態で誰が入っても問題ないことなっていた。
しかし夏場の最近は夜間の巡回終わりに隊士達が風呂を利用する事が多くなったのでなまえには夜中の入浴は控えるようにと予め言ってあったはず、なのに。こいつは今ここで呑気に風呂に入っている。そして現に男の俺と鉢合わせするという事態を招いていた。
こんなことならもっとちゃんと注意を促しとくんだったと後悔しても後の祭り。
「暑くて汗かいちゃったんでさっぱりしようかなと思って、入っちゃいました」
てへぺろ。なんて言いながら全くキャラじゃないくせに舌を出すこいつにはたして女としての自覚はあるのだろうか。
しかもこの女は俺がいるのにも関わらず、今までのやりとりが何もなかったかのように平然とスポンジを取り出しボディーソープをつけ身体を洗い始めた。
「……なにやってんだ」
「身体洗ってます。見てわかるでしょ」
「そうじゃなくて、さっさと出てけよ」
「え。私が出てくの?後からきたの副長なのに?ここは可愛い部下にお風呂くらい譲って下さいよ〜」
「俺ァ他の野郎がきたらまずいからさっさと出てけっつってんだよ!」
「あ、そうなんですか。でも大丈夫ですよきっと誰もきません。今日巡回当番の一番隊はさっき屯所でたばっかだし」
どこにそんな保障があるつーんだ。
しかも「よかったら隣どうぞ」なんて言いながらなまえは笑顔で俺に風呂桶を差し出した。
こいつの神経を本気で疑いつつ俺はなまえからすこし距離をとり離れた場所でお湯を頭から被った。
こいつの隣に座るなんてごめんだ、けどだからといってこいつのために風呂を出ていくのもごめんだ。
それになにより汗を流したかった俺は最初から出て行くつもりもない。
それになまえの行動からして俺は思う。
それは、俺は完全になまえに男としてみなされてないということ。
もし俺を男として認識していたのなら目の前で身体なんか洗わずにすぐ風呂場から出ていくだろう女なら。
俺が突然風呂に入ってきた時だってあいつはちょっと固まっただけで、別に恥じらいもしなかった。
しかも挙句の果てには隣どうぞって。嘗められてんのか俺。
あいつの目には俺は猿かなんかに写ってんのか?俺が相手なら一緒に風呂入っても全然大丈夫っとでも思ってんのかあいつは、あん?
………腹立つ。ふざけんなよ。
「ふくちょーなんでそんな離れるんですか?」
なまえの声が広い風呂場に響いてシャワーの音に混じり耳に届いた。
「……お前の近くなんか寄れるか」
「ひど、なんですかそれ」
言葉の暴力ですよ、なんて言いながら口を尖らせるなまえをお湯を止めてちらりと横目で盗み見た。
濡れた長い髪はピンで高い位置に束ねられ巻いてあるバスタオルからは隠しきれてない胸の谷間が覗いている。
白い首筋に泡のついた柔らかそうな太もも。
ゴクリと喉が鳴ったのがわかった。
あいつは俺を男として意識してないのに、俺はあいつを女として意識してる。ふざけんな。
つーかなまえってこんな色っぽかったか。しかもこんなに胸あったっけ。いつの間にこんな女らしくなったっけ、なまえって……。
「副長?」
「………あ?」
「大丈夫ですか、ぼーっとしてましたよ」
「……っ別に、なんでもねェよ」
「というか、緊急事態発生です」
「緊急事態?」
「人、来ちゃいました」
なまえに言われて初めて気づいた。
脱衣所の方から騒がしい野郎共の声が聞こえる。
多分夜間巡回を終えた隊士達だ。……ちょっと待て、今日の当番は一番隊だとさっきなまえが言っていた。総悟の顔が脳裏を過る。つーか巡回行ったばっかじゃねーのか短すぎるだろどうなってんだ。
やべェ。あいつになまえとこんな場所でしかもこんな格好でいるとこ見られたら確実に。
「どうしましょうか副長」
「どうするっておま、…あーあれだ!湯船に潜って身を隠す!」
「いや、すぐバレますってそれ。第一息が持ちません」
「いいから!とにかく隠れるぞ!」
なまえに駆け寄ってその細い腕を掴もうとした、瞬間だった。
足の裏になんかヌルッとした変な感触がして、滑った。多分俺が踏んだのはなまえのだと思われる固形石鹸。
視界がぐらりと大きく揺らいで俺はなまえを巻き込み前に倒れた、そして…、
「っいったぁ……」
気づいた時には、床になまえを押し倒すような状態になっていた。
「ふ、副長……」
「わ、わわわ悪りィそんなつもりじゃなくてだな!」
自分でも驚くくらい焦った。
つーかなんだこのベタでちょっとエッチなラブコメ展開…!
なまえは慌てる俺とは違い顔色一つ変えず至って冷静だった。
なんなんだこの差は…。
やっぱ俺は男として見られてねーのかっと心でぼやきつつなまえの上から退こうとしたら腕を掴まれた。
「副長。副長って意外と鈍感で意気地なしなんですね」
「は…?」
急に何言ってんだこいつ。
意気地なしって、この俺がか?
掴まれた右腕の意図も読めぬまま俺は眉間に皺を寄せた。
「そりゃどういう意味だ」
「だって普通この状況で何もせず退きます?バスタオル姿の女の子を押し倒してるんですよ?なんで手ェ出さないの?性欲とかないの?それでも男?こんなラブハプニング滅多にないんですよ?」
なまえは呆れたような目で俺を見た。
女の子って歳かこいつ、っと思ったが今は気にする点はそこではなくて。
「普通の男の人だったらここは襲うとこですよ」
「襲うって、お前…意味わかって言ってんのか」
「当たり前です。歳いくつだと思ってるんですかか
「さっきは自分のこと女の子とか言ってたじゃねーか」
「それはそれです」
……意味わかんねえ。ついでにいえばなんでこんなに捲し立てるような言い方されなきゃなんねーのかもわかんねえ。
「第一、何とも思ってない男性と風呂場で鉢合わせなんかしたら私すぐ出て行きますよ女ですから。でも相手が副長だったから私はですね、」
「……なにが、言いてえんだよ」
「……まだわかりませんか?目の前で身体洗ったりしたのも隣どうぞって言ったのも、私的には全部誘ってたつもりなんですけど」
いい加減、気づいてくださいよ。
俺の腕を掴むなまえの手に力が篭った。
最初は状況を理解できずに瞬きを繰り返した俺だったがなまえの熱帯びた瞳を見てやっと全てを飲み込んだ。
俺ァてっきりなまえに男として見られてないとばかり思ってた、けどそれはただの俺の勘違いで、なまえの思いとは真逆の考えで。なまえは俺に襲われるのをはなから期待してあんな行動をとって。
あれ、なんか頭こんがらがってきた。
…つーか俺ってこんなに鈍感だったっけ。
女の気持ちなんざ考えてもよくわからん。特になまえみたいに読めない女なら尚更。
「………ふくちょう」
さっきまでの冷徹な物言いとは180度変わった甘い声色で呼ばれてぞくりとした。
すこし逆上せてきたせいか赤く染まった頬に欲が掻き立てられる。
でもこの話の流れからして、ここまできたらもう何も考える必要も欲を抑える必要もないつーことで。
そっと瞼を閉じたなまえに吊られるように俺も目を閉じゆっくりと顔を近づけて…、
「見ィちゃったァ」
唇が触れ合う寸前のとこだった。
完全に甘い雰囲気だったこの場になんかどう考えても相応しくない奴の声が聞こえて、俺はびくりと反応した。なまえも驚いたように目をパチクリさせている。
ゆっくりと視線を声のした方に向ければそこにはニヤリと口角を上げてる総悟の姿があって、全身の血の気が一気に引くのがわかった。
この状況って、もしかしなくても…や、やばくね?
「そ、総悟…ちが、こ、これは…だな」
「皆ァア大変だァア!土方さんが風呂場で女を襲ってるゥウウ!」
「総悟ォオオ!」
結局オチはいつもいつもこうなって。その後俺は風呂場で女を襲おうとした変態扱いをされなまえにも一ヶ月間近づけることはなかった。
露草
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