ぽん、と頭に浮かんだ赤い髪のクラスメート。
ぞっとする予感と共に目の前で唸る理熾さんを見やると、やらかしたとでも言うように右手で頭を抱えた。
悪さをする輩ではないのではなかったのか。
それなのに何故そんなに苦悩するような仕草を窺わせるのか。
嫌な予感しか木霊しなくなった身体を冷や汗が伝う。
「あのっ…なんか大変な事になるんですか!?」
怯えたような声が響く。
声を裏返らせて叫ぶジャッカルのそれに近くの席の人々が何事かとこちらを振り向くが、生憎とそれをあしらう余裕はない。
何故なら俺達だって問い質したいような心情に駆られているのだから。
切羽詰ったような彼らに、眉を軽く垂れさせた理熾さんが金髪の美女と視線を交わす。
それが何を意味するのかは理解できないが、それが最悪の事態を想定したものなのではないかと恐怖を煽った。
対するは俺達にとって未知のものなのだ。
対処する術など持ち合わせていない。
彼女達に手遅れだ何だといわれてしまえば、仲間がどうなってしまうのか。
考えたくもない悪い想像が浮かび上がって止まらない。
ごくりと生唾を飲み込む。
掌にかいた生温い汗が焦燥を募らせ心音を上げる。
困ったような理熾さんがようやく口を開いた。
「そんなに気に病むものじゃない。命に影響があるとかそういった事じゃないからな。」
一呼吸置いてその言葉を噛み締める。
命に影響はない。
ほっと息を吐いたのは恐らく全員。
張り詰めた糸が切れたような感覚に安堵するが、まだ仲間が安全だと決めるには早いのだろう。
何もないのなら彼女達が体調不良者がいると聞いて動揺する必要はないのだから。
先程より幾分か軽くなった不安を胸に理熾さんの目を見る。
「でも、何かしら影響があるから体調不良、なんじゃろ?」
自嘲してしまう程、不安げな問いだった。
しかしそれを指摘してくる者などいなかった。
「まぁ…そうだな。狐がその少年に懐いて着いてっちゃった、ってとこ。」
「…え、懐いた?殺す的な感じじゃないんスか?」
赤也が拍子抜けしたように尋ねると、それまで顔を伏せていた金髪の美女が勢いよく顔を上げた。
柳眉を逆立てているその形相に頬が引き攣る。
「失敬ですね。うちの狐がそんな物騒な事をする訳ないでしょう。」
「…って訳で。懐いちゃっただけだから心配しなくていい。ただ懐いたって事は憑いてるって事だからな、その少年は日常生活以上に体力を浪費して体調を崩してるんだよ。どうしたって精気は奪っちゃうからな。」
悪いな、無駄に心配させてしまったようだ。
そういって軽く頭を下げる理熾さんに、いや、と首を振った。
大事でなくてよかった。
率直な安堵を伝えると理熾さんは困ったように笑って、そうかと簡潔に返した。
「でも君達の大切な仲間なんだろう。早くその少年の家に行こ、」
「お待たせしました。胡麻プリンのお客様。」
「…………胡麻プリン、食べてからで大丈夫です。」
「…わりぃ…」
ウエイトレスが来た途端、頭を抱え悩める人となった理熾さんに言ったのは、我らが部長だった。
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「うわぁ…この胡麻プリン超胡麻なんだけど。めっちゃ胡麻なんだけど。ねっとりと舌に絡みつく感じの胡麻なんだけど。」
「文句ですか。」
「そりゃ言いたくもなるよな。私が頼みたかったのこれじゃねぇしな。」
「…あの、一口貰ってもいいっスか?」
「おぉ、食べるか少年チャレンジャーだな。」
目の前で顔を顰めながらも胡麻プリンを咀嚼している様に興味がそそられたのか、赤也が身体を乗り出す。
すぐさま皿を彼の前に滑らせる辺り、相当好みの味ではなかったようだ。
頬杖を着きながらコーラ、とは言い切れない理熾さんオリジナルフレーバーを飲む。
炭酸がきつくなくてオレンジの香りがするそれは、少量の白ぶどうのお陰か後味がすっきりしていて飲み易い。
興味津々で飲んだ赤也と幸村は目を輝かせて美味しいと絶賛していた。
その証拠に2人のグラスに残りは少ない。
ちなみに炭酸が苦手な真田のグラスも半分以下に減っている。
胡麻プリンが載せられたスプーンを口に含んだ赤也は、うーんと首を捻っていた。
「なんつーか、胡麻っすね。」
「だよな。もうちょっとプリン感欲しいよな。」
「やーでも不味くはないですよ!」
「美味しくもないけどな!」
「確かに!」
「俺も食べていいですか?」
「どうぞ。」
2人の会話にどんな味がするのか気になっていたのか、幸村の指が赤也の持つスプーンに伸びる。
そのスプーンが灰色のプリンを掬っているのを眺めながら、俺は口を開いた。
「のぅ。赤也。」
「何スか?」
急な呼びかけに不思議そうに首を傾げる後輩はいつも思うことながらからかい甲斐がある。
頬杖を崩す事無く、口元に抑え切れなかった笑みを載せて問い掛けた。
「おまん、間接キス平気なんじゃな。」
「……はっ?」
ぽかんと、赤也が意味が分からないといったように口を開く。
阿呆面。
喉の奥で笑って、幸村に視線を滑らせた。
すると彼は一つ微笑んでから躊躇いなくスプーンを口に運んだ。
なるほど、気にしていないと言う事か。
未だに俺の言った事が理解できていないらしい赤也はきょろきょろと周りを見渡している。
呆れたような溜息が柳や柳生から零れ、ジャッカルは苦笑していた。
いかにも仕方ないといった体のそれは、きっと彼の人の言葉使いにもよるのだろう。
「理熾さんは女性ですよ、切原君。」
「……え。」
「雰囲気で察することぐらい可能だろう?」
「いや…えっだって…ほら筋肉!!」
半ば絶叫のように赤也が指差したのは理熾さんの右腕。
肩から惜しげもなく晒されるその腕は確かに無駄な肉などなく、女性特有ともいうべき柔らかくたおやかなものではない。
鍛え上げられたらしい筋肉を指差して同意を求めて俺達を見渡す赤也の必死加減。
笑いを耐え切れずに手で抑えた口元から笑いが漏れた。
真田や柳、柳生から諌めるような視線を頂戴したが、生憎と笑いは収められそうにない。
腹筋が痙攣しそうになる中、金髪の美女が見かねたように声を挟んだ。
「彼女は女性です。少し頭がおかしくて筋肉大好きなのでいつも暇があれば筋トレをしています。」
「おま…何だその英語のテストの訳文みたいな紹介の仕方は。」
「間違ったことは一つも言っていませんけどね。」
金髪の美女の少しおかしな説明を受けても、脳内での消化が追いついていないのか固まってしまった赤也を余所に、胡麻プリンを黙々と味見していた幸村は顔を綻ばせた。
「これ、美味しい。」
「マジでか。食べていいぞそれ。」
「え、いいんですか?」
「私はあまり好みじゃないからな。」
微苦笑を湛えた彼女に、じゃあ、と言って幸村はゆっくりスプーンで胡麻プリンを口に運んでいく。
嬉しそうに食べる幸村に、悲鳴でも上げそうな勢いで食いついたのは今までフリーズしていた後輩だ。
「なななっ幸村部長…!何でそんなに普通に食えるんスか!?」
「え?美味しくない?」
「いや、そうじゃなくて!いや、美味しいって言うのには反対ですけど!それじゃなくて!その、そそっ間接キス!キスっすよ!!キスって!ねぇ!!」
「おい大丈夫か少年、餅つけ。あ、間違えた落ち着け。」
「これが餅ついてられるんスか!!?理熾さんは平気なんスか!?」
「大丈夫じゃないな、少年。思春期なんだな。」
頬を染めて喚く赤也にいよいよ堪らなくなって机に突っ伏す。
カタカタと卓上のグラスが震える音が響いたが正直構っていられない。
思春期?ぶは、気にしすぎもいいところじゃろ。
腹が痛い。しかも冷静と見せかけてボケをぶっこんで来た理熾さんが不意打ち過ぎて辛い。
「お腹痛いナリ…」
「仁王…水が零れる。机に触るな。」
「…そういう参謀も指が震えてるぜよ。」
「ぶふっ…」
「幸村君、ティッシュです。」
「ふっ、ありがとう…っ」
胡麻プリンを吹いたらしい幸村の肩が震えているのを視界の端に捉える。
それを見てまた笑いが込み上げる。
なにこれ辛い。
さながら地獄絵図と化した俺達の様子を相変わらず傍観していた理熾さんは恥ずかしそうに頬を染める赤也に焦点を置きながら、グラスの残りを飲み干した。
「まぁどうでもいいさ。性別なんてあってないようなもんだ。」
そういって立ち上がった彼女を誰もが目で追う。
それに気付かない筈のない彼女はしかし、何も言わずに席を立ってレジに向かう。
自分達の会計分は払おうとしたのだが、金髪の美女が首を振った。
「気にせずに。人に奢るのが趣味のような人ですから。」
ふ、と彼女は笑った。
灰色の瞳が今日初めて見るような優しさを帯びる。
ほう、と感嘆さえ零れそうなそれはあっと言う間に成りを潜め、代わりに無の灰色が俺達を眺めた。
「貴方達は存外マシな人間なようです。」
呟いて、彼女もまた席を立った。
慌てて後を追おうといそいそと支度する俺達は、どこか感じたことのない何かを覚えていた。
「やーぎゅ。」
「何ですか?」
「マシな人間じゃって。」
「…そうですね。」
「やっぱりあの2人は、」
「仁王。」
続くはずだった言葉は幸村に遮られる。
振り向けば微笑みながら、それでも真っ直ぐな瞳とかち合った。
「多分、それは俺達の踏み込んじゃいけない境界じゃないかな。」
「…そうじゃな。」
外で待っていた彼女達2人は、
やはり異彩を放っているように見えて、
それが何故か当然と思える違和感を、俺は飲み込んだ。
人の形をした、その2人