後ろの銀髪

窓から見える空はどこまでも澄み渡る青空で、生い茂る木々は既に桃色の花びらを散らし始めている。
緑が増え始めた木々の隙間から陽光が漏れて、地面に模様を作り、それは窓際にいる私の元にも届いた。

開けたばかりのルーズリーフに木漏れ日が模様を映す。
少し開いた窓から暖かくなった風が吹いた。

大学に入学して初めての授業は国文学科の新入生全員の必修科目で、大講義室にはそれなりの人数が集まっている。
騒がしい中、学科長である教授が口頭でこれからの事について説明している。

どうやら今日は専攻の決定をするようだ。少しして前に座る学生から資料が回ってくる。
後ろへ回すためにグッと手を伸ばしてくれているから、私もその分、身を乗り出して受け取る。
受けっとった冊子は二冊あって、必然的に後ろに回さなければと背後を振り返って固まった。

「…まじけ。」
「…あ?」

まだ艶々とした黒髪の新入生が多い中で、眩しいぐらいの銀髪の学生がそこにいた。

思わず呟いて固まってしまう私を、その学生は怪訝そうに見つめてくる。
なんか、目が死んでる。
入学に皆が浮かれる中で、明らかに死んでいる目。
そして目に痛い程の銀髪。さらにパーマ。
大好きなバンドのヴォーカルに憧れ、高校卒業とともに毛先の色を抜いた自分を棚に上げて、私は目の前の明らかに浮いている学生を「不良」だと認識した。

「あのーすみませーん。もしもーし。聞こえてますー?」
「あ。はい。」

死んだ目のまま眼前で手をひらひらと振られてハッとする。
頭蓋を鷲掴みにされるかと思った妄想はさておき、私はさっと冊子を渡した。
手を伸ばして受け取った彼に、場違いにも「腕、なげぇな」と思った。
改めて前の黒板に目を向ける。
学科長が各専攻と専攻内のコースについて説明をしているが、私の頭の中は銀髪でいっぱいだった。

どんだけブリーチしたら、あんなに綺麗に銀色が入るんだろうとか。
どの染料使ってるんだろうとか。マニキュアかなとか。
あの髪の色なら、脱色した毛先に入れるのもいいかもしれない、だとか。

悶々と考えていたら講義室が静かになっている事に気づいた。
筆記の音や、相談するような小声が聞こえてくる。
黒板には各専攻とコース名が記されていて「あぁ決めるのか」と納得した。
資料をぱらぱらと捲る。

世界史は、ちょっと気になる。でも英語が重要か。
映像史、はあんまり。
日本文学、か。

私はちょっと考えて、提出用の紙に第一志望を『日本文学』と記した。
第二は世界史かなぁ、とボールペンを持つ手に力を込めると、肩を控えめに叩かれた。つつかれた、という方が正しいかもしれない。
後ろにいるのは目の死んだ不良だと知っている私は、ゆっくりと振り向いた。
案の定、死んでる目が私を見ている。

「あー、あのさ」
「はい?」
「ボールペン貸してくんね?」
「え?」
「いや、筆記用具忘れちまって。」
「え?初講義に?」
「鞄に入れたつもりだったんだけど。」
「おぅ、馬鹿なんですか?」
「え、何この子。初対面なのに辛辣なんですけど。」

私は筆箱からシンプルな黒のボールペンを探して、後ろの銀髪に手渡した。
すると「さんきゅ。」と小さな礼が聞こえた。
なんだ。意外と悪い奴じゃないかも。
ほっと息を吐きながら改めて第二志望の要項に視線を落とすと、「あ、」という小さな呟きが聞こえた。
そして再び肩を叩かれた。

「悪い。修正ペン持ってねぇ?」
「え?」
「ミスっちまった。」
「早くないっスか?」
「や、うん。名前間違えた。」
「おぅ、馬鹿なんですね?」
「え、この短時間で断定されたんですけど。」

私は修正ペンを取り出して、また後ろに渡す。
また「さんきゅ。」と聞こえて私は第二志望の要項に視線を落とした。
無事に書き終え余った時間で資料を捲る。
かしゃかしゃと修正ペンを振る五月蝿い音が響いていたと思ったら、しゅぱんっという、吹っ飛ぶような音共に「はぁあああ」という間抜けな悲鳴が聞こえた。
嫌々ながらに後ろを振り向いた。

「やっべ。やっちったよこれ。どうするよ。」
「…なにしてんスか。」
「いや、振ってたら力み過ぎて吹っ飛んだ。あ、安心しろよ。修正ペンはちゃんと無事だから。修正液ほぼねぇけど。」
「…机。そんなに真っ白にしてどうするんスか。」
「だよな。やべぇよなこれ。もう資料も用紙も修正されちゃったんだけど。」
「…取り敢えず余った用紙が前にあるって言ってたんで、貰いに行ったらどうですか、馬鹿。」
「え?もう俺の事を馬鹿って呼んだ?自己紹介もしてないのに?」

ダルそうに立ち上がった馬鹿は教壇に向かった。
私は後ろの修正液が乾いて、こびりついている机を一瞥して修正ペンを手に取った。
カラカラと寂しげな音が鳴った。

「ほんとごめん。後で分館のコンビニで買ってくるからよ。」
「はぁ。まぁ別にいいんですけど、なんで隣座ってんスか。」
「え?」
「え、じゃねぇよ。」
「まぁまぁ細かい事は気にすんなって。あれ?アンタも日本文学にすんの?」
「…も?」

思わず眉を顰めて見やれば、何となく死んだ目がきらっとした(気がする)。

「俺も日本文学だからよォ。仲良くしようぜ小野 小毬ちゃん。」

提出用紙の氏名欄を覗き込んだらしい馬鹿が、得意げに笑った。
ちょっとかっこいいのが気に障ったので、私は憮然として馬鹿の用紙を覗き込んだ。

「さかだ ぎんじ?」
「いや誰だよ。どこの売れない演歌歌手だよ。いいか、俺の名前は『さかたぎんと」
「おつかれっしたー」
「えぇ!?ちょっとちょっと!小毬ちゃん!?俺の名前聞いて!?ほんとお願い!待って行かないで!!300円あげるから!!」
「…君かね?机を汚したのは。」
「へっ?」
「綺麗にしてから席を立ちたまえ!」
「えぇぇぇっ」

「坂田銀時かぁ。」
なんとなく、楽しい学校生活になりそうだと思えて、私はそっと口端を上げた。
   
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