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「だから吸血鬼はごく日常に人間のフリして潜んでるのよ…っそれだけじゃなくて狼人間や妖怪と形容されるその者達はひっそりと息を殺して、私達人間を襲おうとしてるの!!」
「ほー。」
「へー。」
「ちょっと!!もっとなんか反応しなさいよ!!」
「理子のオカルト話毎回聞いてると反応疲れる。」
「分かるわ、それ。もっと恋バナとかしようよ。華の高3なんだからさ。」
「恋バナなんて誰も持ってないでしょ!!」
「何その的を射た返答!傷付く!!」
「確かにうちら誰も彼氏いないけど!!」

騒がしい昼時。三年の階にある一つの教室。
その片隅で弁当を広げながら盛り上がる女子4人。いつも見られる光景、いつもの会話。
楽しげなその様子は至ってどこにでも見られるものであるが、内容は如何とも言い難い。

近くに机を寄せていた男子生徒が苦笑してそちらを見やるのを気にも留めず、理子、と呼ばれた短髪の少女は鋭い目線を真向かいに座る女生徒に向けた。
紙パックジュースを啜っていたその女生徒の視線が理子に向かう。

「穂積は!?今日こそ吸血鬼信じた!?」

目を輝かせて問いかける理子に対し、穂積は艶やかな黒髪を揺らし、紙パックを机に置いた。ゆっくりとその唇が開かれる。

「いや、全く。」

穂積から発せられた返答に、理子は顔を顰め唸る。
睨みつけるように見つめても、彼女の口から出たのは理子の求めるものではなかった。

「吸血鬼なんてものは存在しません。迷信です。伝説です。想像上の生き物です。なんなら空想です。以上。」

一息に無表情で言い切られたそれに横に座っていた女生徒達は噴き出し、理子はわなわなと震え呻き声を上げながら頭を抱えた。
それを傍観していた仲のいい男子グループから「理子、どんまい。」と声が掛かる。
だがそれに返答する気力も失せたのか、彼女は頭を抱えたまま机に突っ伏した。

それをしれっと見やる穂積の肩を隣に座る女生徒達が笑いながら叩く、叩く。
「痛い」と呟いても止めない彼女達に溜息を零しながら、穂積は弁当の残りを咀嚼した。
やがて息を吹き返したらしい、目の前の彼女から恨めしそうな声が漏れた。

「毎日毎日…穂積に吸血鬼とか妖怪とか信じてもらおうと情報集めに奔走してるっていうのに…毎日毎日、非現実的とか有り得ないとか一言で片付けやがって…ッ」

机に置かれた理子の拳が怒りに震える。
それを認めた穂積はにぃと嫌らしく口角を上げた。

「そんな暇あるなら勉強しなよ…ひひっ」
「その笑い方もムカつく!!」

ガンッと机を殴りつける大きな音が響き、周りから何事かと視線を集めるが、その光景を見やった後、あぁと頷いて元の喧騒が戻る。
それほどにこの2人の遣り取りは恒例行事であった。

穂積の傍に座る2人が堪らないといったように腹を抱えて笑い始めると、理子が癇癪を起こしたように頭を掻き毟る。
「えぇ理子ちゃん拗ねないでー。ごっめーんね!ひひっ」
と人を小馬鹿にした顔で穂積が理子の頬を突く。
額に青筋を浮かべた理子は容赦なくその人差し指に噛み付いた。
痛いと涙目で喚く彼女に構わずギリギリと歯を立てる理子に、傍に寄って来た男子が苦笑して肩を叩く。

「相変わらず信じてもらえないんだ?」

柔らかく微笑み掛けてきた彼に応えるべく理子は口を開き、穂積の人差し指を開放した。涙目で指を引き戻した彼女の第2関節にはくっきりと歯形が付いており、ぎゃぁあと悲鳴を上げる穂積に、傍にいた友人達はそれを指差し腹を抱えた。
その様子を鼻を鳴らしながら見ていた理子は盛大な溜息を吐いた。

「他の子達は“もしかしたら〜”とか言ってちょっとは信じてくれるようになったんだけど、穂積だけは絶対信じてくんないのよねぇ…」

明日こそは!と息巻く理子に、男子生徒は小さく笑った。
それを見咎めた彼女は眉根を寄せて彼を見上げた。

「あんたは吸血鬼とか、そういうの信じてないの?…菅原。」

尋ねられた男子生徒、―――菅原は柔らかな髪を揺らして微笑んだ。

「そうだな…いるんじゃないかなって、思ってるよ。」

自分の望んだ返答を得られた理子は大仰に喜び、同士を見つけたと感涙に噎ぶ勢いで菅原の両手を掴んで上下に揺さぶる。
それに引き攣ったような笑みを浮かべる菅原の目が笑っていなかった事に気付いた者は果たして居たのか。

少なくとも歯形の付いた指先を押さえていた彼女は、目を眇めてそれを見ていた。



放課後のチャイムが校内に鳴り響く。
下校の時間に際し、廊下を走る足音や、談笑の声が近くなっては遠くなってを繰り返す。
日が暮れるにはまだ早い頃合の教室内で、穂積は外を眺めていた。

荷物を入れ終えたスクールバッグを机に置いて、彼女はじっと窓から眼下に広がる景色を見下ろす。その目に映るのは一点。

「穂積ー?帰るべー?」

友人の1人が不思議そうに声を掛ける。
すると彼女は依然外を見つめたまま応えた。

「ねぇ。理子知らない?」

その問い掛けに首を傾げた友人は、そのまた友人に同じ問いをする。
すると1人の友人が閃いたように口を開いた。

「あ、そういえば。スガ君に手伝って欲しい事があるって体育館に呼ばれてたっけ。」

あぁ、と同調するような会話が聞こえて、穂積は目を細めた。
彼女達に背を向けていてその表情は誰一人として窺い知れなかったが。

「で?穂積は帰らんの?」

不思議そうにする友人に、彼女はいつも通りに笑った。

「うん。ちょっと、用があって。」

別段怪しくもないそれに納得したように頷いた友人達は「また明日。」と言葉を投げかけて教室を出て行く。
ぽつんと、1人残された教室で穂積の指先は無意味に机の木目をなぞった。
何往復もした指先が止まり、そのまま口元に寄せられる。

伏せられた瞳が映した色が煌々とした金であった事を、指摘する者はそこになかった。



「あ、菅原!」

体育倉庫の前。
運動部以外はほぼ利用しないそこで、理子は自分を呼び出した相手である菅原を待っていた。
「少し、部活の手伝いをして欲しいんだ。」
あまり接点も無い自分に頼むのは少し不思議な気がしたが、オカルトを信じてくれた嬉しさもあり、手伝いくらいならと快諾した。

指定された倉庫の前で待っていると、部室から出てきたらしい菅原が小走りで来るのが見えた。既にジャージに着替えているところを見ると、部活中の手伝いだろうか。
制服のままで大丈夫かなと不安に思っていると、少しだけ息を整えた菅原がニッと笑った。

「ごめん、頼んどいて遅れたね。」
「ううん。いいよ。それより、手伝いって制服でも大丈夫?」
「あぁ、うん。大丈夫。すぐに終わるし。」

よかったと頷いて、気付いた。
何となく、距離が近い。
彼は普段こんなにも間を詰めて来る人だっただろうか。
不思議に思いはするものの、丁度建物の影になっている此処では暗さのせいかあまり気にならなかった。

もう一度見上げると穏やかに微笑む瞳が見えた。
自分も微笑み返そうとして、出来なかった。

暗闇で異様に光るその目は爛々と光る赤だったから。

「すが…ッ!!」

ぞっとして一歩足を引くと同時に腕を掴まれる。
喉から引き攣った悲鳴が漏れた。

「何で逃げるの?吸血鬼、信じてるんでしょ?」

不思議そうに問われ、え…と声が漏れる。
恐怖に滲む視界でもう一度、彼を見上げた。

いつも通りのクラスメイト。
いつも通りの容姿。
いつも通りの体形。
いつも通りの声。
何も面妖なところは見られない。瞳以外は。
そうそして思い出す。

人間に紛れて暮らすといわれるその存在。
自分がその存在を主張し、彼もそれに頷いた存在。

「吸血、鬼…なの…」

最早問い掛けにさえならない呟きが落ちた。
目の前の彼から放たれる異様な気配とその禍々しい瞳が、人間ではないと否が応でも伝えてくる。

人間の容姿をした人間でないものを目にした時、自分はこんなにも動揺するのかと自嘲した。
ニヤリと口角を上げる彼にぞくりと鳥肌が立つ。
薄ら寒いのは気のせいではない。
今まで体験したこともないような警鐘が頭に響き、酷い頭痛に見舞われる。

焦点も合わなくなった視界の先で、見たこともない不気味な笑みを浮かべた彼がいたのは確認できた。

「吸血鬼が何をするか…分かるよね?」

問われた時、彼の大きな手で目を覆われ視界を奪われる。
意識を手放す前に見えたのは熱の篭もった赤い眼光と、妖しく歪む唇。

やっぱり、いるじゃん。吸血鬼。

力が抜けると同時に思い浮かんだのは、頑なに吸血鬼の存在を否定していた友人だった。


真実が揺らぐ闇。



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