記憶が溢れてしまう前に




「167時間38分53秒ぶりだね、しょーとちゃん」

校舎1階の開発工房。他の教室とは異なるドアを開けると、彼女は指定席であるモニターから、振り向きもせずに言った。

「コスの改良、頼めるか?ジュン」
「しょーとちゃんの頼みなら、お安い御用なんだよ」

変わらず視線はモニターのまま、ジュンはカタカタと画面を操作する。専門外の事で、俺には全くわからないが、いくつかのフォルダーとパスワードを抜けて、画面に俺のコスチュームが現れる。

「説明書は、全部覚えているからいらないけど...何を変更したいのかな?」

俺は、左右両方の個性を使うためにどうすればいいか考えた案をジュンに話す。
ジュンは、「なるほど」「でも、それなら」等と俺の意見を取り入れたり、更に良い案を出したりしつつ、画面に打ち込んでいく。

ある程度、案を言い切ったところで今日の工房がいつもより、静かなことが気になって、ジュンに聞く。

「今日はここ、静かなんだな」
「彼女なら、可愛い可愛いベビーちゃん抱いて、動作確認に出かけていったよ」

体育祭で見かけた破天荒な女子生徒を思い出す。
以前、ここに来た時に彼女に捕まって、あれこれ発明品を装着されそうになった時に、「しょーとちゃんは、わたしのお客さんなんだよ」と言って助けてくれたジュンには、感謝している。
雄英で、最初に知り合ったサポート科の生徒がジュンで良かった。

「わたしの、知識で補える範囲であればコスの改良はいくらでもお手伝いできるけれど、やっぱり発想の転換となると難しいんだよね」

ようやく、モニターから視線を外して、振り返る。

「完全記憶の個性なんて、知識ばっかり吸収しちゃって、創造と発想が全くできないし」
「でも、見たもの聞いたものを1回で全部記憶できるなんて、羨ましがる奴多いだろ?」
「まぁね、よく言われるよ。勉強しなくて良いね。とか。でも、教科書とか参考文献見ただけで勉強できちゃうんだもん。先生の解説や、雑談が無駄に頭に入ってきちゃう苦しさを味わってから言って欲しいよ」

またくるりと、モニターに向かってキーボードを叩くジュン。俺の横でプリンターが音を立てて、紙を吐き出す。俺のコスチュームとびっしりと書き込まれた変更案。

「雄英に来たのも、個性に対する理解と知識と、柔軟な対応が良いからって理由だしね。入学してから5ヶ月間、工房登校が許されるの、ここくらいでしょ。余計な知識とストレスを溜めずに、許可証とれて、デザイン事務所に進めたらそれで十分なの」

ジュンはプリントアウトしたメモを適当な磁石でホワイトボードに貼って、ペンで最優先と書き込む。

「しょーとちゃんにあれこれ言う割には、まだ許可証がないので、これは先生に見てもらってからになるけど、どうする?」

「一応、最優先にはするけど急ぐ?」と、ジュンは首を傾げる。

「来週の頭までにして貰えればいい」
「じゃあ、71時間後に来てもらえるかな?先生と一緒に調整して、しょーとちゃんの最終確認取ってからデザイン事務所に出したい」

71時間後...相変わらず、時間単位で話すジュンに慣れないまま、予定を思い出す。

「木曜のこの時間か。大丈夫だ」
「なら、よかった」

ジュンには不要なんだろうが、共通の予定としてホワイトボードに、木曜日18時。と書き込まれる。

「じゃあ、頼んだ」
「うん、頼まれた」

変わったデザインのドアを開けて、廊下に出る。ドアを閉めるために振り返ると、ジュンはモニターの前の椅子に座り、俺に向かって手を振る。俺も軽く右手を上げて挨拶をして、静かにドアを閉める。



見たこと、聞いたこと、やったこと、やられたこと...。自分の知り得る全てのことを否応無しに記憶してしまうという理由で、無駄なこと余計なことはしたくない。と言った彼女が、別れ際に手を振ると言うことがどれほど特別なことなのか、この時の俺はまだ知らなかった。






(完全記憶という名のサヴァン)






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