それでも誰かの英雄



遠くの方で、7限目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
しばらくすると、唯一7限目のあるヒーロー科の生徒たちも図書室へ集まってくる。

今、私の向かいに座る下級生くんも、ヒーロー科の1年生。
不定期ではあるが、時折この時間に図書室に来ては、教科書を広げている。
私たちは、知り合いでもなんでもないのだけれど、どうも下級生くんは私の向かいの席が気に入っているようで、他の席がどれだけ空いていても、ここに来るのが当たり前。といったような顔で座る。

今日は、数学か...。
去年、自分が持っていたものと同じ教科書に懐かしさを感じてつい盗み見をしてしまう。
その問題は、ひっかけだから素直に公式を当てはめるんじゃないぞ。なんて、心の中で余計な忠告をしてから手元の本へ戻る。

最初は、勉強に集中できるからと通い始めた図書室も、いつの間にか私の中で落ち着ける空間になっていて、気がつけばほぼ毎日のように、放課後には此処に来て下校時刻まで宿題を片付けたり、本を読んだりして過ごしていた。

今回、手に取った本はあっさりとした短編集で予定より早く読み終えてしまった。
時計を見ると18時半。
次の本に取り掛かるには、少し微妙な感じだなぁ。と窓の外を見る。
遠くの方で、真っ赤な太陽がゆっくりと沈んで行く。
街を、学校を、図書室をオレンジに染めるそれを、ただただ綺麗だと感動してしまう。

よし、と横に置いた本を鞄にしまおうとしたところで視線を感じた。

「あ」
「ん?」

視線の送り主は、向かいに座っている下級生くん。
今まで、何度も私の向かいに座っていたのに、彼がこっちを向いたり視線があったりすることなんて一度もなかったものだから少し驚く。

「どうか、した?」
「いや...」

彼は、歯切れの悪い様子で応える。
何かを言おうとしていることはわかるけれど、それをどう言葉にしたらいいのかわからないのだろうか。

「前から気になっていたんだが、これはアンタの個性か?」

これ、とは何を指すのか。
なんとなくわかってはいるのに、聞き返す。

「これって?」
「この、なんか、静かな...」
「私の個性は“防音”」

「防音...」と彼は呟く。

「簡単に言うと、私を中心にドーム状の見えない防音壁を作れるの」

「ちなみに、大きくする方なら調節できるよ?」と防音壁を薄くする。
少し離れた席にいる女子生徒の声が大きくなって、下級生くんがそちらを向く。

「あんまり、狭い範囲だと誰か来た時にその人に気づけないから、びっくりしないように大きめにしているんだけど、なんか気に入ってくれてるみたいだね」
「いや、そういう類の個性だとは思っていたけど、見えない防音壁か。いつも、集中していたから声をかけにくくて」

「勝手に座って悪かった」と彼は言う。

「別に、誰かと約束しているわけじゃないし、君が勝手に座ったところでなんの影響もないもの。それに、君だって静かに集中していたわけだから、なんの問題もないよ」

そう言ったところで、下校時刻を告げる放送が流れる。
時計を見ると19時10分前。
私は、大きく伸びをして身体をほぐす。

「よし、もう帰ろうか」

防音壁を消すと放送と他の生徒たちの声が大きく、近くなる。

「便利だな」
「ヒーローには、向いてないけどね」
「いや、俺の助けにはなっていた」
「それは良かった」

本を鞄にしまうと、よいしょ。と立ち上がる。

「また、ここに座ってもいいか?」と、鞄に教科書やノートをしまいながら下級生くんが言う。

「私は、毎日のようにここに来ている暇人なので、見かけたら来てくれていいよ」
「助かる」

「あ、それとね」

下級生くんは「なんだ?」と言いたそうな顔で私を見上げる。

「さっき解いてた数学の問題。最後のやつ、間違ってたよ。ひっかけには気をつけてね」

そう言ってから、私は、くるりと図書室の出入り口へ向かう。






(オレンジの夕焼けがすき)






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