最後の一瞬を私にください



閑静な夜の住宅街。
ふたりぶんの足音と、スーツケースを引く音だけが響く。

「轟くんは、何処かに向かうところだったの?」

俺の横を歩くジュンが言う。

「いや、ただのジョギングだ」
「ふぅん」

ジュンが、ガラガラと引くスーツケースは、夏休みの終わりが見えてきた今頃に見かけるには、違和感のある大きさだった。
ジョギング中、偶然出会った時に何処か旅行に行くのかと尋ねたところ、あっさりと首を横に振られた。
走るのをやめて、横を歩き始めて「持つか?」と聞いたら、また、静かに首を横に振る。

「毎日、ジョギングしてるの?」
「そうだな」
「頑張ってるんだね」

会話は、ジュンがこうやって一方的に俺に何かを聞くだけ。
中学3年になって、初めて同じクラスになったものの、この夏休みが終わるギリギリまで会話などしたことは殆ど無かったように思う。

「私ね...」
「ん?」
「今、家出少女なの」
「家出?」
「そう...。い、え、で、しょ、う、じょ」

薄暗い街灯の下で、ジュンの桜色に色付いた唇がゆっくりと動くのが見えた。

「なんで、また」
「夏休みの間に、引越しするんだって。お母さんが、勝手に決めて、勝手に手続きして、文句を言う前に全部決まってた。全部よ。全部」

だから、この大きなスーツケースなのか。

「どうしようもないくらい、悲しくて、ムカついて、家を飛び出してきたの」
「行く当ては、あるのか?」
「東京に行くわ。新幹線に乗って、東京に。都会に行ったら、仕事だってきっとあるもの。嘘ついて、18歳です!とか言って、ヒーロー事務所とか。それが無理でも、夜に働く」

口は笑っているのに、ジュンの目は何処か悲しげで、まるで誰かに、助けを求めているように見えた。


「なんの音だろう?」

しばらく、歩いたあたりで、急に何処かから人の声や足音、音楽が聞こえ始めた。
さっきまでは、たったふたりだったのに、ぽつりぽつりと人影が増える。

「こっちだ」

歩いていた道の突き当たり、丁字路の左側から赤やオレンジといった眩い光が見える。

「今日、お祭りだったんだ」

灯りに惹かれるように、俺たちは神社の高く長い階段を上る。
最初は、頑なに断っていたジュンも、階段を目の前に俺の手助けを断ることなく、スーツケースから手を離した。
階段を上りきった先は、色とりどりの提灯が飾られ、屋台が並ぶ。

閑静な住宅街から、切り離された様に神社の境内は、賑やかな声や灯りや鮮やかな浴衣で騒がしく、けれども、どこか落ち着く喧騒に包まれていた。

「ねぇ、轟くん。私、喉が渇いたの」

ジュンは、また大事そうにスーツケースを引いて人混みの中を進む。
俺は、ジュンの背中を見失わない様に後に続く。

「おじさん、ラムネふたつ」

600円を渡して、ラムネを受け取る。

「轟くん、こっち」

ラムネを2本俺に渡すと、ジュンは強引に俺の手首を掴んでまた歩き出す。

着いた先は、神社の裏手。
喧騒は少し遠くなって、また静寂が近づく。

「ありがとう」と言って、ジュンは俺の手からラムネを1本取って岩に座る。
俺も、ジュンの横に座る。

「悪い」
「いいえ、ジョギング邪魔しちゃったし」

ラムネ開けを押し込んで、ビー玉を落とす。
俺の瓶が、しゅわしゅわと音をたてている間に、ジュンの瓶がカランという。

「夏は、やっぱりラムネだね...」

そう言うジュンに対して、あまりラムネを飲んだ記憶がないために、なんて答えるか迷っていると突然、空が明るくなって大きな爆発音が響いた。

「花火、ここからだと木々が多くて見にくくなっちゃうけど、その分人が来なくて座って見れるの」

見上げた空は、確かに木が多いものの、高く上がるものに関しては余り気にすることなく全体が見える。

何発上がったのだろうか。
夜空に大輪が咲くたびに、遠くから歓声が上がる。

「もし...」
「ん?」
「もしも、転校なんてしなくてすむなら、もっと轟くんと一緒にいたかった」

連発して上がる花火の音で、俺の耳にジュンの言った言葉は届かなかった。

「今、なんて...」

俺が問いかけると、ジュンは岩から立ち上がってくるりと俺の方を向く。

「今日だけは、轟くんと一緒に居たかった」

俺の両手首を握るジュンの掌は、氷水で冷やしたラムネで少し濡れていて、冷たかった。

「ジュン...?」

突然の話に驚いて、問いかけようとしたが、急に身体が動かなくなる。
ジュンは、俺が動けないことを確認するとスーツケースを引いて、喧騒の方へ走り出す。

動けない俺は混乱しながら、中学3年の4月、4ヶ月前の自己紹介でのジュンを思い出していた。

「私の個性は、“停止”。両手で触れた相手を、少しの間だけ動けなくするの」

その時間がどれくらいだったかは、わからない。
5分だったのか、10分だったのか。
動けるようになった俺は、ジュンが残していったラムネの瓶を拾う。
俺はただ、大人に振り回された中学3年の女子をたった1人、救うこともできず帰路につく。



数日後、新学期が始まって学校に行ったら、ジュンの席に彼女の姿はなく、担任はただ一言「彼女は転校しました」とだけ告げた。



高校に入った今でも、俺はジュンがどこに行ったか知らないまま...。






(打ち上げ花火どこから見るか)




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