その無垢は少し眩しい
茹だる、夏休みの暑さから逃げるように、家の中に滑り込む。
「...ただいま」
「きゃーっ!」
自室に鞄を置く前に、真っ先に風呂場へ向かう。
風呂場のドアを開けて、挨拶をすると叫び声。
「...そう、叫ばれると辛い」
「えっ、ごめんね!うそだよ。おかえり、たまき」
一般的な家の浴槽からはみ出た、大きな魚のヒレがパタパタと動く。
青とも緑とも言える、鱗がキラキラと輝いた。
ジュンは、人魚だった。
彼女の父親がサメの個性で、ギャングオルカのようなのに、何故か彼女は下半身が魚で生まれたという。
「きょうは、はやかったんだね」
「補講、午前中で終わったから」
何故、俺の家の風呂場に人魚がいるのか。
ジュンの父親は、小さな水族館の館長をしていて、彼女もそこの大きな水槽で暮らしていたのだが、先日、大型敵の襲撃に巻き込まれ、水族館は半壊。
彼女の家族が、1週間ほどホテルで避難暮らしをする中、流石にホテルのトイレ併設の風呂場で人魚のジュンが暮らすわけにもいかず、彼女の母親と学生時代の友人だという、俺の母が引き受けた。
「きょうは、オーサカいく?」
「いや、行かない。明日も補講だし、今日はもう家にいる」
「やったー!たまきといっしょー!」
「わかった、ちょっと待ってて」と言って、自室に鞄を置く。
台所に寄って、冷凍庫からアイスを取り出し再び、ジュンの鼻歌が聞こえる風呂場へ行く。
俺は、スボンの裾を上げれるところまで捲り上げて浴室へ足を踏み入れた。
「わーきゃー!たまき、たまき」
「わかったから」
喜ぶジュンの声が響く。
はみ出た尾ヒレと、俺たちでいう耳の位置についたヒレが、パタパタと動いた。
壁にかけられたシャワーを手に取り、水の蛇口をひねって、ジュンに向ける。
「シャワー!シャワー!うーれしー」
彼女は、子供のようにまっすぐで無垢だ。
年齢でいえば俺と変わらないが、流石に下半身が魚の状態で学校に通うには難しい面が多すぎて、通うのをやめたらしい。
その分、実家である水族館では、他の水族館がダイバーを使って行う掃除や、水槽内での餌やりや魚の紹介イベントでスタッフとして働いている。
きゃあきゃあ、とはしゃぐジュンの肌が濡れたところでシャワーを止めて、脱衣所に置いてあったアイスを渡す。
「アイスだー!いいの?」
「悪い、ちょっと溶けてるかもしれない...」
「いただきます!」
ジュンは、カップの蓋を開けてスプーンですくう。
俺は、バスタオルで風呂場の椅子を軽く拭いてから、そこに座ってその様子を眺める。
「たまきは?アイス」
「いや、俺はいい」
「そんなこといわないでー」
スプーンでひと掬いされた、バニラアイスが目の前に差し出される。
それを、どうすればいいか戸惑っていると痺れをきらしたジュンが「ほら、あーんでしょ」と言う。
「あー...」
口の中に、冷たいアイスが広がる。
「おいしいね」と、ジュンが笑う。
俺は、空になった容器を受け取って脱衣所に出す。
「ねぇ、たまき」
「どうした?」
「わたしね、こんなふうだから、あんまりだれかとあそんだことなくて」
ジュンは、一瞬だけぶくぶくと水風呂に沈む。
「だから、とってもうれしいの」
「...それは、よかった」
俺は、無意識のうちに手を伸ばしてジュンの頭を撫でていた。
ジュンの髪が、俺の手を濡らす。
外は、真夏日和だというのに、ここだけは涼しくて心地いい。
俺が撫でると、ジュンは照れ臭そうに笑う。
「たまき、おうちがなおって、わたしがかえっても、あそびにきてね」
撫でるのをやめると、ジュンは上目遣いでそう言った。
「...もちろん」
この夏で1番暑い日に、家にいた人魚の話。
(個性“人魚”には夢がある)
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