お前には今日も勝てない




「天喰先輩!」と明るい声が、コンビニに入ろうとした俺の足を止めさせた。
振り返ると、さっきまではそんな気配もなかったのに、すぐ後ろにジュンがいる。

「...近い」
「すみません!ブレーキかけるのが遅くなってしまいました!私としては、このまま天喰先輩のその背中に飛び込んで包み込み、抱きしめてもよかったんですが...。次からは、そうするので頑張って踏みとどまってください。いや、踏みとどまれずにもつれ込んで押し倒して、倒れこんじゃうのもいいですね」

いいはずがない。

「やめてくれ」
「どれをですか」
「全部」
「ぎゃふん!」

ジュンは、ひとつ下の後輩だ。
“足が速い”たったそれだけの個性だが、持ち前の運動神経の良さもあいまって、ヒーローとしていい動きをする。俺なんかよりも。
加えて、明るい性格やキャラクター、体育祭での活躍もあって校内ではちょっとした有名人でもある。
どちらかというと、異性よりも同性からの憧れの声が多く、密かにファンクラブがあるらしい。
何故か、ジュンが俺に懐いて付いて回って来た頃、ファンクラブの一員と思われる下級生から追い回されていた苦い記憶を思い出す。
結局、俺がビッグ3であると話が広まったことと、ジュン本人から「天喰先輩を困らせるような人は嫌いだ!」等といった発言により、俺の日常生活は取り戻された。

「いやいやいや、天喰先輩も私も口数が少ないんですから、ふたりの親睦を深めることを考えると、少しくらいのボディタッチだって許容範囲ですよ。平気です。問題ないです。オールオッケーです。もうちょっと過剰でも、私は受け入れます」
「...その必要はないし、受け入れなくてもいい。とりあえず入ろう」

ジュンのしれっとした、とんでもないセクハラとツッコミどころしかない言葉に、言いたいことはいくつかあったが、店の前に突っ立って至近距離で会話する俺たちを、店内のレジの向こうから眺めている暇そうな店員の視線の方が気になった。
気づかないとでも思っているのだろうか、バレバレだ。

「了解です、天喰先輩。ところで、先輩は何を買いにきたのですか?私は、さっきまでいた公園で知らない小学生と遊んでいたんですが、流石に小学生は元気がいいから疲れてしまって。飲み物を買いにきたんです」

さっき、自分で「口数が少ない」と言った後輩は、ペラペラと喋り続ける。
というか、なんで知らない小学生と遊ぶことに...。
それも、さっきまで?
俺は、さっきまで学校で授業を受けていたところ...。
補講ではなく、通常授業を。

「ジュン、授業は」
「忘れてました」
「多分、重要なことだから忘れない方がいい」

最初に出会った時は、この勢いに負けてどうすればいいのかわからず、ジュンに対して苦手意識しかなかったのだが、学校のある日は勿論、ない日さえも遭遇しては、一方的なマシンガントークを浴びているうちに、扱いに慣れてきた。

「ちなみに、天喰先輩はスポーツドリンク、何派ですか。私としては、甘いのもさっぱりしたのも好きなんで迷っちゃうんですけど、結局いつも、これを選んでしまうんですよ。不思議!これも、個性に関係しているんですかね」

そう言って、笑うジュンの手に持ったペットボトルは、炭酸水。それも無糖の。

「炭酸水をスポーツドリンクと呼ぶ個性は、初めて見た...」
「天喰先輩の、初めてを奪ってしまった!きゃほーい」

ジュンは、両手を上げて喜ぶ。
別に、そんなものは奪って喜ぶようなものでもないと思う。
それよりも、あんまり腕を振られるとこの後の炭酸水の末路が悲しくなりそうだからやめて欲しい。

「で、天喰先輩は何を買いにきたんでしたっけ。消しゴム?もう直ぐ、テスト期間ですもんね」
「...消しゴムは買わない」
「うーん?それは、失礼いたしました。私としたことが、天喰先輩の発言を聞き逃してしまうなんて。いや、今から思い出すので言わないでください」

言ってもないことを、必死に思い出そうとするジュンの脇を通って、お茶やおにぎりをカゴに入れていく。

「思い出せたか?」
「思い出してみようとしたけれど、ダメなんです。もしかして、いや、尊敬する天喰先輩を疑うとか悪いとか根暗とか言うつもりはないですよ?ないんですが、天喰先輩、私に何を買いにきたか言いましたっけ」

今、さらっと「根暗」って言ったな。
確かに、俺は根暗でうまく人の輪に入れないけど...。

「...そうやって、ジュンは俺をいたぶるんだ。辛い」
「そんなことないです!天喰先輩のことは、尊敬してます!」

ジュンは、両手をぶんぶんと振る。
だから、炭酸水を置いてからにして欲しい。

「で、俺の買い物は終わるけど、ジュンはまだ何かあるのか」
「炭酸水だけで大丈夫です。子供たちと遊んだ帰りで、喉が渇いたのは事実なんですが、本当のことを言うと帰り道を走っていたら、ここに入ろうとしている天喰先輩が見えて、ほいほい飛びついちゃっただけなので。厳密には、まだ飛びついてはいないですが」

まだも何も、絶対に飛びつかないで欲しい。
まぁ、ジュンのことだから俺が「嫌だ」と言ったことは、絶対にしないのだが。

俺は、ジュンの手から、かわいそうな炭酸水を奪い取ると、先程の暇そうな店員のところへ持っていく。
後ろから聞こえる「あの、天喰先輩?聞こえていますかー?無視はダメですよ、悲しいです。それは、私の炭酸水です」という声を無視して、会計を済ませる。
暇そうだった店員は、俺の買い物をビニール袋に入れながら、ちらっとジュンを見た後、炭酸水にだけシールを貼った。

「あざっしたー」

見た目通り、やる気のない小声で挨拶する店員から商品を受け取ると、炭酸水だけをジュンに渡す。

「天喰先輩。ど、どどど、どうしたらいいんですか、これは」
「...飲んでいい」

「ぴゃー、きゃー」と唸るジュンをおいて、店を出る。
そのまま、帰路につく。

「待ってください、天喰先輩」
「まだ、なにか...」

後ろにいたジュンが、俺の目の前に回り込む。
走る時に邪魔だから。という理由で他の生徒よりも、少し短いスカートがひらりと揺れる。
「中、見えそうで困る」と言ったら「ちゃんと、スパッツ履いてますよ!それとも、スパッツなしの方が天喰先輩の好みでしたら、今ここでやめることもやぶさかではないです」と返されたのも、もう随分と前の話だ。

「ありがとうございます、天喰先輩」
「...気にしなくていい」

仁王立ちしてお礼を言うジュンの傍を通り抜けようとしたら、腕を掴まれる。

「もし、お時間がまだ許されるなら、私、もう少し天喰先輩とお話したいんですけど...。だめですか」

俺は今日も、ジュンの勢いに飲み込まれていく。






(こうはいに負けるせんぱい)




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