オルカの海
【同じクラスの黒尾くん シリーズ】
「黒尾くんは、日曜日お休みですか」
水曜日、いつもの「おはよう」よりも先に彼女が言った一言。
「休みだけど?」
「私の、一生のお願いを聞いて欲しいんです」
突然の彼女の申し出に俺は、予定も思い出さず「イイヨ」と答える。
彼女の不安そうな顔が、一瞬で明るくなった。
「で、日曜日どうするの」
金曜日の昼、4限目が終わってすぐに前の席の水無月さんの背中を突く。
「あのですね、黒尾くんは早朝集合って大丈夫ですか」
「なんで、敬語なんですか」と言う質問を飲み込んで「まぁ、普段から朝練してるし大丈夫だけど?」と答える。
「じゃあ、8時に東京駅に来てください」
言い逃げして、お弁当を持って友達のところへ駆け寄る水無月さんを見ていると、夜久に「リア充か」と背中を叩かれた。
「悪いな」
「は?」
今までで、1番キツい睨みを貰った。
「おはよう」
日曜日、朝8時20分前、東京駅。
ちょっと、早かったか?と思いながら、指定された場所に行くと、そこにはキョロキョロと人混みを眺める水無月さん。
しばらく眺めていたいような気持ちを抑えて、声をかける。
「おはよう、黒尾くん。早かったんだね」
「水無月さんのが早いでしょ」
「なんか、楽しみで眠れなくて」
「そういえば、どこに行くかも聞いてないんだけど」
土曜の朝に「言い忘れてたけど、歩ける格好でお願いします」とメッセージが入っていて、東京駅に集合だからと勝手に某テーマパークなんだろうなんて考えていた。女子って、結構好きな人多いし。と、入場料と1日遊ぶのに問題ないであろう金額を財布に相談して、履き慣れた靴と動きやすい服装で来た。
さらに長時間、立っていても問題ないように荷物も軽くした。
ただ、早く寝ようと思ったのに、水無月さんから休日に会う約束をしてもらったことが、楽しみだったのか俺も正直なところ少し眠れていなかったりする。
昨日の練習ですら、浮かれていることが顔に出ていたのか夜久から「リア充め」と睨まれた。
「えっとね...、こっち」
彼女が指を指す先には「東海道・山陽新幹線」の文字。
「え?」
「はい、切符。予定よりも早いやつに乗れそう」
渡された切符を受け取って、改札に入って行く水無月さんについて行く。
テーマパークは?ポップコーンとパレードは?
混乱するまま、切符を改札機に投入する。
「自由席は、こっちだ!」
「ちょっと待って、俺まだ理解できないんだけど」
「乗ってからでいいかな」
ホームに滑り込んで来た新幹線に乗り込んで、空いた席に座る。
「お天気いいし、富士山見えるといいな」
手元の切符には、名古屋の文字。
え?俺、今から名古屋に行くの?
「そう、名古屋!水族館に行く!」
水無月さんの手には、水族館のチケット。
「ほんとは、お母さんと行く予定だったんだけど、行けなくなっちゃって。友達もみんな予定埋まってて...。無理矢理、連れてきちゃったけどごめんね」
「いや、謝る必要はねーよ。びっくりしたけど」
座席に座りなおす。
少しばかり、強引ではあったが水無月さんと出かけられることに少し浮かれている自分がいた。
あれ、これって、もしかしなくてもデートか...?
「なんか言った?」
「いや、なんでも...」
新幹線に乗り込んで、2時間後に俺は名古屋駅に立つ。
富士山を見て、なんでもない話をしている間にその時間はあっという間に過ぎていった。
「ここからはねー、こっち」
ここは、俺がリードすべきかとも思ったが、遠足にはしゃぐ水無月さんがあまりにも楽しそうだから、何も言わずに姿を見失わないように着いて行く。
「じゃーん!チケットね!」
途中、乗り換えがあったものの、迷うことなくたどり着けてドヤ顔の水無月さん。
お礼を言って、差し出されたチケットを受け取る。
新幹線で聞いた話では、今日の目的はシャチ。
入場してすぐ、右手の水槽で2頭のシャチが悠々と泳ぐ。
「シャチ、好きなの?」
「賢いし、かっこいいし、強いから!」
「ふぅん」
2頭の親子シャチは、浮き輪のおもちゃで遊びながらじゃれあっている。
そんなシャチを、きらきらした目で見つめている水無月さんから目が離せない。
「シャチのショー見に行こう!」と、水無月さんが急にくるりとこちらを見て目が合う。
「りょーかい」
俺は、水槽ではなく彼女を見ていたことがバレないか緊張しながらパンフレットを開く。
「3階のメインプールだって」
「黒尾くん!イルカがいる!」
俺の話を聞かず、駆け出した水無月さんが手招きしている。
3頭、並んですいすいと泳ぐイルカを眺めた。
イルカを見てから、メインプールで席を取って売店で買った昼食を食べながらスクリーンに映し出されるシャチの公開トレーニングを見る。
終わってからも、可愛いね、すごいね。と興奮が収まらない水無月さんを連れてベルーガの水槽へ。
そのまま、流れに乗って南館へ移動し、日本の海や深海、サンゴ礁、南極の海を眺めて行く。
「これで全部見たかな」
「多分...。結構、面白かったな」
展示されている魚よりも、あちこちではしゃぐ水無月さんが。
「最後にもうひとつだけ、お願いしてもいいかな」
「なに?」
「もういっかい、シャチが見たい...」
ふりだしに戻る。
入り口まで戻って、シャチの水槽へ。
床に座る際にご利用ください。と設置されたジョイントマットを借りて、水槽の目の前に座る。
親子は、朝と変わらず悠々と泳ぐ。
「水無月さんは、なんで俺に声かけたの」
「うーん」
「友達は、みんなダメだったんだろ?シャチ、諦められなかった?」
「まぁ、シャチが見たかったってのはあるけど...。なんとなく、同じクラスの黒尾くんと出かけてみたくなったから」
その答えに、心臓がどきりと跳ねる。
「席も前後だし、喋ることはあるけど、黒尾くん昼休みも放課後もいつも部活だし、ゆっくりしたことないなーと思って」
水槽の中で、シャチがくるくると回る。
彼女の横顔が水槽の青にに照らされている。
「あとさ、黒尾くんが好きだって」
.......え?
なんだって?
今、水無月さんはなんて言った?
好きだって...、誰が何を?
「黒尾くんが魚好きだって、海くんが言ってたから」
しばしの沈黙。
シャチが、水面に上がってジャンプをする。
他の客の歓声が聞こえる。
水無月さんの、言った言葉を飲み込む。
「っ、くくっ、くくくっ」
笑いが止まらない。
「わっ、私おかしいこと言ったかな!」
「いやいや、確かに魚は好きだって言ったけど、食べるほうね」
「え...、そうなの」
「くくくっ、そうそう」
恥ずかしいのか、水無月さんが両手で顔を覆う。
シャチがこっちを見ている。
シャッター音が聞こえる。
「まもなく、閉館となります」
「水無月さん、帰るぞ」
借りたジョイントマットを返すために立ち上がった。
少し歩いたところで、水無月さんがいないことに気がついて振り返ると2頭のシャチが口を開けて、立ち上がった彼女と見つめ合っている。
俺は、ポケットからスマフォを取り出すとカメラモードにして彼女とシャチに向けた。
カシャリ。
青い光と、海のギャングと彼女のシルエット。
「水無月さん、置いて行くぞ」
「あっ、待って」
水無月さんが、小走りで駆けてくる。
彼女が手に持ったジョイントマットをとって、元の位置に戻す。
ちらりと水槽を見るが、シャチは何事もなかったように水面近くを泳いでいる。
「ごめんね、ありがとう」
「どういたしまして」
「お腹すいたね、なんか食べて帰る?魚?」
「流石に、今日は肉でしょ」
「そうなの?魚じゃなくて?」
「味噌カツ」
水無月の目が、また輝く。
「賛成!」
「よし」
(名古屋に行ってきた)
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