White Rose Bud



「あたしは今ね、北海道にいるのよ」
「北海道ですか」

放課後、誰も居なくなった2人きりの図書室で、彼女は言う。

「一面の畑と、先が見えない程に真っ直ぐな道路が伸びているわ」

読んでいた本にしおりを挟んで、向かいの席に座るジュンさんが語る風景に耳を傾ける。

「畑しかないから、視界を遮るものは何もなくて、青い空に茶色の大地があたしを包み込むの」
「ジュンさんは、道路に立っているんですか」
「うーん、違うわね。車。車に乗っているの。それも、オープンカーよ」
「貴女が運転を?」
「まさか。違うわ。あたしは、助手席で風を浴びている。爽やかな北海道の風を」
「運転手は」
「背の高い男の人がいいわ。頭も良くて、運動もできる人」

そう言って、彼女はにこりと笑う。
図書室の開け放たれた窓からは、ジュンさんの思い浮かぶ爽やかさとは程遠い、湿った風が吹き込んでくる。

「他に車は走ってなくて、遠くに木が並んでいるの。森とか林とかとは違って、1本ずつ並んでるやつ」
「防風林ですね」
「ぼうふうりん?」

ジュンさんが鞄から筆箱を出したので、そこからペンを借り、俺は自分の鞄から取り出した懐紙に文字を書く。
彼女は、俺との会話で分からないことがあると、すぐにこうやって筆記を求める。

「文字の通り、風を防ぐ目的なんかで植えられています」
「あの子達には、意味があるのね」

満足そうに、そして愛おしそうに文字を眺める。
彼女は以前、俺の字が好きだと言った。
その言葉がどこかくすぐったく、俺の耳に残って消えない。

「それで、何処に向かわれるのですか」
「なぁんにも」
「目的は無いと」
「そうよ。ただ、風を感じて走るだけ。でも、きっと、時々町に入ったり海が見えたりするのよ」
「良いですね」
「そうかしら。あたしが、何処かで観光しましょうよ。なんて言っても、彼はきっと止まってなんかくれないわ。イジワルな人なの。あたしの意見なんか聞いてくれないで、頭が良いからって自分だけで考えて判断して決めちゃうの」
「......それは、酷いですね」
「でもね、そう酷いものでも無いわよ。あたしが、行きたくも無いけど彼を振り回したくて言ってるだけだから。彼は、分かっているの。あたしが、本当に望んでいるけれど、自分じゃ分かっていないものを」
「その人は、ジュンさんのデータをよく収集しているみたいで」
「だから、振り回してみたくなるのね」

良いものでも無い、と言いつつも、酷くは無いと言う。
意見がどこか不安定でころころ変わるから、俺にはジュンさんとの会話の意図がいつも掴めない。
どれだけ、データを取ろうとしてもそれはすぐに更新されてしまう。
正直、悪く言えば疲れる会話だが、飽きないと考えればそう悪いものでも無いのかもしれない。

「柳くんは、北海道に行ったことはある?」
「いや、無いですね。いずれ行ってみたいとは思いますが」
「そうなの。あたしもないんだけれど。北海道って星は見えるのかしら」
「札幌なんかの市街地では難しいかもしれませんが、山の方に行けば明かりも無くてよく見えるんじゃないでしょうか。北海道の冬は乾燥していますし、星の町なんて呼ばれる場所もあります」
「乾燥していると、よく見えるの?」
「湿度が高いと、大気に含まれる水蒸気によって星が霞んでしまいます」
「知らなかったわ。だから、天体観測は冬がおすすめなのね」

手持ち無沙汰なのか、ジュンさんは俺が書いた防風林の文字の周りに星マークをいくつか描き込む。
歪な星が白い懐紙を埋めていく。
星座にもなっていない、ただの星たち。

「ところで、さっきの運転手は誰かモデルがいるのですか?」
「そうね、ドライブやデートをした事が無いから分からないけれど、きっとそんな風にあたしのこと見てる人、だと思うわ」
「なるほど」

俺とジュンさんと共通の人物なんて、先生方かテニス部の先輩くらいしか思いつかないし、きっと俺のデータからは導き出せない答えなのだろう。
彼女の人間関係にも興味はあるから、データ収集を試みても良いが、そうなるとまるでストーカーだな...と思う。
そもそも俺とジュンさんの関係自体、偶然生まれた不安定なもので、たまたま俺が図書室で本を探していた所に高校1年で図書委員の彼女が「何を探しているの?」と声をかけてきたのが始まりだった。
たまに時間と都合が合えばこうやって会話をする程度のもの。
だから普段の生活や友人関係、そういったデータはこの会話の中や偶然校内で見かけたものしかない。

「柳くんは、今なにを考えているの」
「いえ、大したことではありませんよ」
「ふぅん」

落書きにも飽きたのか、ジュンさんは防風林と星の懐紙を折り畳んで俺の鞄に投げ込む。

「それ、あげるわね。捨てちゃっても良いし、大事にしてくれても良い。好きにしてよ」

そう言って、ジュンさんは立ち上がる。
同時に、下校時刻を知らせる放送が流れる。

「そろそろ鍵閉めちゃうから、借りるものがあればカウンターに来てね」

開け放たれた窓を閉めて、てくてくと歩き出すジュンさんの背中を少しだけ眺めた後、机に置いてあった本と鞄を持ってカウンターへ向かう。

「これだけお願いします」
「今日は、テニス部はお休みだったの?」
「はい。休養日で」
「テニス部って、ただただ毎日練習が厳しいものだと思っていたわ」
「努力はすべきものですが、無茶をすれば良いものでもありません」
「じゃあ、誰かさんはちょっとくらい頑張った方がいいのかもしれないわ」
「...そうかもしれませんね」

嫌なデータを手に入れてしまったかもしれない、と思いながら貸し出し手続きの終わった本を受け取る。
彼女のデータは然程持ってはいないが、確かにあの人とは同じ学年なのだから、俺の知らないところで繋がりがあってもおかしくはない。
俺の頭の中で、空想の運転手とジュンさんの人間関係のデータが繋がりをちらつかせる。
背が高くて運動ができる。
果たして、彼の頭の良さはどれくらいだったか。
飛び抜けて良い等と聞いたことはないが、悪いという印象もない。

「ごめんなさい、そんな顔しないで。あたし、彼について何か知ってるわけじゃないのよ。話をしたこともないわ。ただ、友達から厳しいテニス部の中で部活に全く行っていないサボリ魔だって聞いたから、テニス部で部活をサボるのが流行ってるんじゃないか、って思っちゃっただけなの。まさか、柳くんがそんな人だとは思ってないのよ。でも、いつも図書室に来るのは昼休みが多いのに、今日は放課後だったから部活があるんじゃないかって少しびっくりしただけ」

顔に出したつもりはなかったが、彼女には何故か俺の感情が伝わってしまったらしい。
俺の気を悪くしてしまったことを気に病んでか、すぐに謝ってくれる。
他人を気にせず自由奔放に見えて、意外と人の顔色を伺うのが上手い人だ。
俺はジュンさんの言葉を信じてさっきの嫌な感じがした、不確定なデータを頭の中から全て削除する。
不安は一瞬で拭い去ったが、同時になんと言って良いか分からない安心感を覚えた事に、自分で少し戸惑う。

「ねぇ。良かったら、一緒に帰りましょう」

そんな戸惑いからジュンさんの声で、すぐに現実へと引き戻される。

「構いませんよ」
「寄り道したいんだけど、それも付き合ってくれる?」
「どこに行くんですか?」
「駅前のビルで、沖縄の物産展をやっているのよ。どうかしら。気を悪くしてしまったお詫びに、アイスでも食べない?」

図書室の鍵を閉めて、返却の為に職員室に向かいながら、ジュンさんはそう笑う。

「それは、ハイと言えませんね」
「ダメかしら?じゃあ、駅までで良いわ」
「いや、百貨店の地下で北海道展があるのでそっちにしましょう」
「......そういう所よ、柳くん」

「それは、どういう...」と言う俺の言葉が届いているのかわからないが、彼女は「失礼します」と職員室に入っていく。
戻ってきた彼女は、とぼけた顔で「じゃあ、行きましょうか」なんて言って昇降口へと足を向ける。





(恋をするには若すぎる)






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