AM06:00



目が覚めると、見覚えのないサイドテーブル。
自分は、まだ夢の中にいるんじゃないかと、うつ伏せのまま家よりもふかふかな枕に顔を埋める。

「起きた?」

「もし、起こしたならワリィ」という声と共に、サイドテーブルに何かが置かれる音がした。
もぞもぞと顔を上げると、ミネラルウォーターのペットボトル。

「飲んでいいよ」

手に触れたそれは、とても冷たくて、これは現実なんだと教えてくれた。
重たくあたしを包み込んでいた掛け布団とさよならして、未開封の水を受け入れる。

「ここ、は?」
「ホテル」

聞き覚えはある、だが、耳慣れない声に振り返る。
黒いツンツンヘアーの男が、ニヤッと笑う。
ハッとして、自分の体を見た。
衣服に変な乱れもなく、昨日着ていたまま。

「手は出してねーよ」

一安心したところで、「つまみ食いはしたかも」なんて声が聞こえた。

「やだ」
「嘘だよ」

本当だろうか?と疑ったところで、ようやく部屋の中を見渡した。
ホテルはホテルでも、クラブで知り合った男女がその後に行くような場所ではなく、ビジネスホテルのよう。

「目、覚めたならシャワーでも浴びなよ。俺、出て行くし」

男は、立ち上がってテレビ台の前から財布とスマフォだけをポケットに入れて出て行く。
残されたあたしは、とりあえず自分のカバンを探して、スマフォを取り出す。
カバンはご丁寧に、窓横にあるテーブルの上に置かれていて、スマフォも財布もそのまま。
彼を疑うわけではないが、財布の中身を確認するとカード類もお金も減っていない。
ポーチから、充電器を取り出してコンセントにつなぐ。

「まだ、6時か」

友人から送られてきていた、事後報告よろしく!のメッセージに既読だけをつけてシャワールームへ向かう。
部屋のキーは、差し込むと電気が点くタイプで、壁に設置された機械におとなしく差し込まれている。
服を脱いで、熱いシャワーを浴びているうちに昨日の記憶が蘇ってきた。
「先輩から誘われたんだけど、どうしても来れない子が出ちゃって、お願いだから付いてきて!」と誘われたイベントはナイトクラブ。
どうもその空気が苦手なあたしは隅っこで踊り狂う人々を眺めていたんだっけか。

「その後、は?」

その場と空気に疲れて、項垂れてたところで、声をかけられて。

「ダメだわ、完全にお持ち帰りされたんじゃん」

シャワーを止めて、バスタオルで身を包む。
風量の弱いドライヤーで髪を乾かして、また、同じ服を着る。
簡単にメイクを済ませたところで、はたと気付いた。

「ってか、あの人帰ってこれないんじゃ?」

ホテル代も置かずに逃げられたのか。
最悪だ。
良い金ヅルじゃないか。
と、落ち込んだところでテレビ横に備え付けられたメモ用紙に11桁の数字が並んでいるのが目に入った。

「まさか、ね」

数コールの後に、電話が繋がる。

「思ったより、早かったな」
「ホントに、繋がるとは」
「金も置かずに逃げたと思った?」
「そりゃ、まあ、ね」

あまりにも図星。
ドンピシャリ、すぎて歯切れが悪くなる。

「帰っても大丈夫?」
「へーき」
「じゃあ、帰ったらさんさんななびょーしでノックするから開けて」

そこで、電話が切れる。
目が覚めて最初に見た、彼が座っていた椅子に座ってSNSをチェックする。
友人の投稿写真で、楽しそうに笑う自分を見て、あの雰囲気は苦手ではあったけれど、楽しくないことはなかったな、と思いつつハートのスタンプを送る。

トントン、トントン、トントントン。
ガチャリ。

「ホントに叩く人がいる?」
「ここに。いや、まだ七拍子してないけど」
「変な人」
「どうする?もう出る?」
「外の空気吸いたい」
「りょーかい」

部屋に戻って、鞄を持って再度ドアへ向かう。
「荷物は?」って聞いたら「これだけ」と、彼はポケットを叩いた。
フロントで、チェックアウトをお願いする。
支払いの為に財布を取り出したものの、彼に止められてカバンへとんぼ返り。
昨夜の騒ぎとは違って、朝の涼しい風と柔らかな朝日が気持ちいい。

「お金は?」
「なんの?つまみ食い代?」
「ホテル」
「名前」
「なんの」
「キミの」
「ジュン、だけど」
「ジュンチャンね」
「だから、お金は?」
「今貰った」

いつもは、人の多い繁華街もこの時間にはまばらで、あたし達のような朝帰りの人や、これから出勤の人がちらほら見えるだけ。

「どういうこと?」
「キミの名前とかで。お釣り必要?」
「もういい」

ニヤついた顔と飄々とした態度に呆れて、あたしが折れる。

「でも、お礼は言わせて。ありがとう」

「どーいたしまして」と気の抜けた返事。

「で、帰りどっち方面?」
「こっち」

駅に近づいてきて、ちょうど現れた案内を指差す。

「りょーかい」
「どっち?」
「俺もこっち」

そのまま、一緒に駅へ向かう。
改めて、隣にいる謎の男を盗み見る。
帰ってきた時にも思ったけど、背が高い。
それから、半袖から見える腕はスポーツでもやっているのか、なかなかに鍛えられている。

「何見てんの」
「別に」

目付きは悪いが、愛想の良さなのかイヤな感じはあまりしない。
流れるように、改札を抜けてホームへ向かう。

「ジュンチャン、ホームは?」
「これ」

自分の乗るホームを指差すと、彼は「俺はあっち。残念」と別のホームを指して言う。
何が、残念なのか。
あたしといたところで、あなたにはなんのメリットもないでしょうし。
むしろ、飲み物代やホテル代、介抱までされた...かもしれないんだから離れられてラッキーでしょうに。
と、口には出さない。

「じゃあ、ほんとにありがと」
「いえいえ」

最後に、お礼だけ言ってホームを目指す。
運良くすぐに滑り込んできた電車に乗って、座席に座ると鞄の中でスマフォが揺れた。
電話番号からのメッセージ。
よくある迷惑メールかと、削除しようとしたけど、内容が目に入ってスマフォを落としそうになった。

「ジュンチャンのカワイイ寝顔、ご馳走さま。また、連絡していい?」

いつどこで、あたしの連絡先を?と思ったのは、一瞬だけですぐに自分から電話をかけたことを思い出す。

「あの策士め...」

無視しても良かったけれど、今日の貸しをそのままにしておくのも気持ちが悪いし、と返信を送る。

「気が向いたら、のったげる」





(後払いのホテルってあんまり見かけない今日この頃)






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