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≪ きり丸 視点 ≫



「(…………ぁ…、)」

医務室を後にしてあと少しで自室に着きそうになった時、俺は大事な事を不意に思い出した。まだ、お姉さんに助けられたお礼を言っていない。それに気付いた俺は直ぐ様足を止めて来た道を引き返す。

「乱太郎、しんべヱ。俺もっかい医務室に行ってくるわ。」
「え?どうしたの?」
「いや、さっきお礼言いそびれた事思い出して。」
「あ、そっか。分かった、じゃあわたし達は先に戻ってるね。」
「あぁ、悪ィ。じゃ!」

乱太郎達と別れると、俺は急ぎ足で医務室へと向かった。だんだんと目的地へと近付いて来ると、僅かにだが話し声が聞こえてきた。医務室の前へと来ればそれははっきりと耳に届き、その声色がやけに真剣みを帯びている事に気付く。

「(なんだ…?何か、入りづれーかも……。)」

如何にも中に入り難い雰囲気が滲み出ていて、俺はどうするべきか躊躇った。ここは出直した方がいいかもしれないと考えた俺は、自室へと足の向きを変え歩き出そうとした。

「―…傷口は塞がりますが、もしかしたら傷痕が残ってしまうかもしれません。」

「(――――ぇ……?)」

けれど、耳に届いた言葉に俺の足はピタリと止まった。それは足だけではなくて、全身の動きまでもが無意識のうちに全て停止してしまっていた。

「(……今、何て………。)」


…傷痕が、残る…?
お姉さんの身体に…?

―――俺を、庇ったから?


「(―――っ…!!……そ、んな…。)」

その事実に衝撃を受けた俺は、まるで足が床に縫い付けられたかのように、全く動かす事が出来なかった。もう俺は当初の目的も忘れ、医務室の中で行われている会話に必至になって聞き耳を立てていた。話を聞く限りでは、どうやら必ずしも痕が残ると言う訳ではないらしい。でもそれは、結局は痕が残ってしまう可能性も十分にあると言う事。その話を聞いて、俺はグッと唇を噛んだ。

「(…傷痕が残ったら、どうしよう…。)」

俺だって、まだ子供とは言え女性が身体に傷を残してしまうとどうなるか、知っているつもりだ。もし傷痕が残って、そのせいで今後嫁ぐ事が出来なかったら、俺のせいでお姉さんがいき遅れてしまうかもしれない。かといって、俺が責任を取るにしてもまだまだ子供の俺に出来る事なんて、たかが知れてる。

「(…何も出来ないじゃん、俺…。)」

そんな自分が情けなくて、前髪をくしゃりと掻き掴む。思わず吐きそうになった溜め息を咬み殺していると、中から利吉さんの不思議そうに上がった声が聞こえてきた。

「え、きり丸の事かい?」
「(っ!? え、俺…!?)」

唐突に上がった俺の名前に、心臓がドキリと嫌な音を立てた。
もしかしたら、お姉さん俺の事、恨んで…。

「…きり丸に、今の事を黙っていて欲しい、って…?」
「(……ぇ…、)」
「…確かに、庇われたきり丸が一番怪我の事を気にしていたから、この事を知れば自分を責めるかもしれないが………、うん、分かった。君がそう言うなら、黙っておこう。」

「(―――…………、)」

その言葉を聞いた俺は、直ぐ様医務室から足を遠ざけた。次第に歩みは速くなり、気付けばいつの間にか、俺は走っていた。



「(………、…なんで…。)」

はぁっ、はぁっ、と乱れた呼吸を繰り返しながら走る。がむしゃらに走り続けて行き着いた場所は池のようで、行き止まりだと分かると俺はその場で立ち止まった。上下に激しく肩を揺らしながら、俺はぼんやりと空を見つめた。

「……なんで、………っ!!」

――どうして俺を責めない?

俺は先程の出来事を思い出し、ギュッと拳を握り締めた。
…俺が気に病むから?
だから傷痕の事は黙ってる?

「……馬鹿じゃねえの……っ。」

なんで、俺に気ィ使ってんだよ。
他人ひとの事気遣う前に、自分の事気遣えよ……!!
一番、辛い目にあってんのはそっちのくせに……っ。
なんで……なんで…。


「きり丸。」

「っ!!」

不意に背後から名を呼ばれて、ビクリと肩が跳ね上がった。ゆっくりと振り向いた先に居たのは、医務室に居る筈の利吉さんの姿だった。

「……利吉、さん…。」
「話、聞いてたんだろう?」
「! 何で知って…。」
「気配を消せていないのに、気付かない訳がないだろう。」
「あ……。」

そっか、俺全然そういう事に気が回らなかったんだ。

「…利吉さん、俺が居ると知ってて止めなかったんスね。」
「聞かない方が良かったか?」
「……いえ。知れて良かったッス…。」
「その割には、釈然としてなさそうな顔だな。」
「……、…………。」

図星を突かれて俺は黙り込む。
あの話を聞けて良かったとは思う。
けど、それを俺に黙っている事には納得なんかしていない。
なんで黙る必要がある。
俺が子供だから?

そんなのおかしいじゃないか。

「…花ちゃんは、とても優しい娘なんだ。」
「………?」
「真っ直ぐで温かくて、少し泣き虫だけど、意外と頑固で芯がしっかりしてる。」
「……はぁ…。」
「そして、困った事に真っ先に自分よりも他人を優先してしまうタイプなんだ。」
「…!」

唐突に利吉さんがお姉さんの事を話し出して、俺は少し呆けてしまう。その意味を図りかねていると、最後に出てきた言葉に俺は反応した。

「彼女はどんな状況下でも、まずは他人に意識が向いてしまうんだ。元々の性格もあるんだろうが、どうも他人至上主義な所があってね。だから今回の事も、彼女はそう考えてしまったんだろう。」
「……………、」
「…なぁきり丸。彼女、“黙っていてくれ”と頼んだ後、何て言っていたと思う?」
「え?………さぁ…?」
「“私がちゃんと上手く助けられれば、あの子にあんな顔させずに済んだんですよね”」
「っ!!」
「“助けられる側の時のあの気持ちは、痛い程知っているから…本当に酷い事しちゃったな”…て、悔やんでいたんだ。」
「………っ、…なんなんスか、それ……っ!!」
「…………。」
「………どこまでっ、他人の事ばっかなんスか…っ…!!」

思わずくしゃりと顔を歪ませ、俺は声を僅かに震わせながらそう吐き捨てた。どうしてそこまで他人の事ばかり気遣えるのか、俺には理解出来ない。俺にはそんな事すら考える余裕なんかなかったと思う。日々を必死になって生きていたから、それこそ自分の事で一杯一杯だった。喪った歳が歳だからかもしれないが、それでも他人の事なんて考える余地などない筈なのに。なのにどうしてそこまで、気に掛けるんだろうか。
他人、他人って、他人の事ばかり気遣って、それで?

「…それじゃ誰が、お姉さんの事気遣うんだよ…っ。」

自分で自分を大切にしないで、他人なんかを気遣える訳ねぇのに。
そんなんじゃいつか絶対、お姉さんが壊れていっちまう。

「…そうだな。彼女は自身の“感情”に関しては、酷く不器用だ。」
「…不器用にも程がありますよ…ホント……。」
「あぁ…。だから、本気で向き合わないと彼女には伝わらない。…さて、きり丸。」
「…何スか。」
「どうする?」

その短い問いに含まれた意味を理解している俺は、一つ大きな吐息を吐き出した。そして俯いていた顔を上げ、はっきり声に出して応えた。

「ちょっくら文句言ってきます!!」
「文句ってお前………まぁ、その方がいいか。」

むんっと口をへの字に曲げそう言った俺に、利吉さんは苦笑しながらも頷いていた。そして利吉さんはどうやら山田先生に用があるらしく、俺は一人医務室へと駆け出していった。

「…きり丸と花ちゃんなら、大丈夫さ。」

クスッと小さく微笑みながら駆け出した俺の背中を見つめ、利吉さんがそう呟いたのを知る事はなかった。





「お姉さんのバカーー!!!何なんスか、もう!!!」
『(…え、えぇぇええっ!!? ご、ごめんなさい…!!?)』
「〜〜〜っ、ホント、お姉さんはバカですっ!!」
『((えぇぇええっ!?どうしよう…!!?なんか怒ってる…!!!?))』


end.

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最後のきり丸、なんか理不尽(笑
突然の登場(しかも怒って)にパニックな花ちゃん。
多分めっちゃ焦ってます。