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『(……ん………、)』

チュンチュンと鳴く雀のさえずりに目を覚まし、私はゆっくりと瞼を押し上げた。眠りから覚めたばかりだからか、まだ少し意識がぼんやりとしている。ぼやーっと瞳に映る天井を暫く見つめ、だんだんと意識が覚醒し出してくると、ふと、今がどのくらいの時間帯なのか気になり出した。横にしていた身体をゆっくりと起こし、私は障子へと視線を移す。障子から入る日の光は、まるで早朝のように柔らかい。夕方の陽射しにしては些か優しすぎる気がする。

『(………ぇ、あれ…?私、もしかして……。)』

日付が替わるまで、あのままずっと眠ってしまっていたのだろうか。もしそうだとしたら、よくもまぁ一度も目覚めず眠りこけていられたものだと、思わず自身に苦笑した。それだけ疲れていたのか、あるいはただ単に図太いだけなのか、出来れば前者でありたいと私は密かに願った。

「あ、目が覚めたんですね。」
『(! ぁ…善法寺さん。)』

スッと静かに開かれた障子から入ってきたのは、優しい雰囲気が似合うこの学園の上級生、善法寺 伊作さんだった。善法寺さんは私の側までくると、傷に響かぬようにそっと腰を下ろした。

「体調の方はいかがですか?」
『(えっと、大分良いです。傷も余り痛みませんし。)』
「薬が効いてるみたいですね。」

良かった、と私の返答に善法寺さんはホッとした表情を浮かべて微笑んだ。

「新野先生の煎じた薬はとても良く効くんです。他の薬と比べると治りが早いんですよ。」
『(そうなんですか…?それは凄いですね。)』
「その分、苦味は強いんですけどね。」
『(…はい、確かに。…ぁ、でも、“良薬は口に苦し”と言いますよね。)』
「ははっ、そうですね。」

あははと笑いながら頷いてから、善法寺さんは先程から手にしていた小さな壺を私に見せてきた。

「それであの後、新野先生と僕とで傷薬を調合していたんです。つい先程、その傷薬が出来上がりまして…。」
『(…傷薬……背中の、ですか?)』
「はい、そうです。元々傷薬はあるにはありますが、傷痕を消せる程の効能はあまりなくて…それで新たに調合したんです。」
『(ぇ、そんな、わざわざ作って下さったんですか…?)』
「女性の体に傷痕を残すのは、やはり辛いだろうと思いまして…。」
『(……………、)』
「……? あの、どうしました…?」

私を気遣って傷薬を調合したという新野先生と善法寺さんに、私は目を丸くして驚いた。まるで薬を調合する事を至極当然のように言ってのけた善法寺さんに、私は申し訳ない気持ちになった。そんな私を見て、善法寺さんは不思議そうな顔で此方を伺ってくる。

『(…あの、すみません。手を煩わせてしまって…。)』
「え!? いや、そんな謝られるような事じゃありませんよ!薬の調合なんて慣れていますし、ましてや当然の事ですから…。」
『(でも…元々、私が傷を作らなければそんな時間を取らせませんでしたし、)』
「山川さん。」

申し訳ない気持ちで一杯になっていると、不意に善法寺さんに名を呼ばれた。それに私が顔を上げると、目の前には真っ直ぐに私を見つめる善法寺さんの姿があった。

「山川さん、過ぎてしまった事を悔やんでいても何も変わりません。あまり自身を責めるような考えは、体にも心にも良くありませんよ。」
『(…ぁ…そう、ですよね。)』
「それに、僕達は少しでも皆を助けたいから、これくらい苦には感じません。寧ろ、元気になっていく姿が見れて嬉しいんです。」

目元を弛ませてそう言った善法寺さんの表情はとても優しくて、私は思わず見つめ返してしまった。まだそれほど関わり合っていないけれど、善法寺さんの人柄が滲み出ているようなそんな笑みだった。

『(……善法寺さんって、優しいですね。)』
「え?そう、ですか?うーん…、自分じゃよく分からないんですけど…。あ、でもよく忍者に向いてないって言われます。」
『(優しいですよ。忍者の事はあまり分かりませんが…それでも、誰かを気遣ったり思いやったり出来る心があるから、そう当たり前のように考えられるんだと思います…。そういう気持ちって、私は凄く素敵に思います。)』

先程の善法寺さんと同じように無意識に目元を弛ませながら、私は素直にそう感じた事を口にした。すると今度は善法寺さんの方がポカンとした表情を浮かべ、私を見つめ返してきた。その表情を見て私は、はた、と今しがた自分が言った言葉を思い返して、顔を赤く染め上げた。
今、私、恥ずかしい事言ってしまったんじゃ…!?
そもそも、会って間もない人にこんな事言われたくない筈…!

『(〜〜〜っ!!す、すみませ…っ! あの、私っ、〜〜…っ、!!)』
「…へっ!? あ、いや、だ、大丈夫ですから!! 寧ろ凄く嬉しいです、そう言って戴けると!!」
『(〜〜〜…っ、うぅ…い、今の、忘れて下さい…っ。)』
「それは…えっと、出来ません。」
『(ぇえっ…な、何でですか…?)』
「山川さんの今の言葉、凄く嬉しいんです。そんな風に言ってくれた人、場所が場所なだけに今までいませんでしたし…。」

だから嬉しくて、と笑う善法寺さんの様子に私は困ったように眉を下げてしまう。そんな風に言われてしまえば、とてもじゃないがこれ以上強く言える訳がない。

「…でも僕は、山川さんの方が充分優しい方だと思いますよ。」
『(え?私が、ですか…?)』
「今まで、薬の調合の事を気に掛けたりする人なんていませんでしたし、そもそもの着眼点が他の方よりも繊細に思います。それって、相手の視点から物事を考えられるからこそ気付ける事ですし、何より思いやる気持ちがあるから出来る事だと思います。」
『(………、)』
「実際、きり丸の話の時も自分ではなく、貴女はきり丸の事ばかり気にしていましたしね。」
『(……、…あれは、別に…。)』

優しいと言われるような事をしたつもりはなかった。ただただ、きり丸くんの立場を私と重ねて、勝手に、あの時の自分を助けようとしていただけだ。そんな事出来る筈がないのに、ああする事で私は、多分自己満足したかっただけなんだと思う。
だから優しいだなんて、お世辞にも私には合わない気がする。

『(…優しくは、ないですよ…。)』

だってあれは、きり丸くんを通して結局自分に言い聞かせているようなもので。とてもじゃないが、あれを優しさとは言えない。

「…何を思っているのかは分かりませんが、そんな否定しなくてもいいと思いますよ。」
『(…え?)』
「優しさなんて、理由はどうあれそれを感じ取った人にしか分からない。その人がそう感じたのなら、それでいいんじゃないでしょうか。人が抱く感情なんて、人それぞれなんですから。」
『(………、)』
「だから、あまり考え込まない方がいいですよ。素直に受け取る事も大事です。」
『(…善法寺さんって、……)』
「?はい。」
『(……やっぱりとても優しくて、とても好い人ですね。)』

私が何か考え込んでいるのを察してそう言ってくれた事に、何だかとても嬉しく感じた。確かにそう考えてしまえば、いちいちこんな風に考えているのが可笑しくなってきた。たまには深く考えすぎずに、素直にその好意を受け取ってもいいかもしれない。私はそう思うと笑みを浮かべながら、今一度善法寺さんにそう伝えた。でも善法寺さんは何故か、少し目を丸くして固まったまま動かなくなった。その様子に私は驚いて戸惑いがちに何度か声を掛けると、漸くハッとした善法寺さんが唐突に立ち上がった。

「あっ、えっと、そうだ!おばちゃんがお粥を作ってくれてるので、今持ってきますね…!」
『(え?あ、はい…。)』

善法寺さんは早口でそう言うと、医務室を足早に出て行ってしまった。少し離れた場所で一度盛大に転けたような音を聞きながら、私はただぽかんと目を瞬かせていた。


end.