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急に慌ただしく出て行ってしまった善法寺さんの背中を、私はただきょとんと見つめる事しか出来なかった。そしてふと、側に置いていった傷薬が気になって、私はそっとその小瓶を手に取って見つめる。この薬を、私の為に一晩中作っていてくれていたのかと思うと、胸がじんわりと温かくなっていく気がした。

『(…ありがとう、ございます…。)』

自然と溢れたお礼の言葉は、勿論誰にも届く事はない。それでもつい、言葉にして言いたかった。私は少し微笑みながら、大事に大事に小瓶を両手で包み込んだ。
すると、徐に障子が静かに開いて、出て行った筈の善法寺さんが眉を下げながら戻ってきた。

「すみません、まだお粥が出来ていなかったみたいで…。もう少ししたら出来るそうです。」
『(そうなんですか。わざわざありがとうございます。)』
「いえ、気にしないで下さい。良ければお粥が出来上がるまで、僕とお話してませんか?」
『(良いんですか?是非。)』

善法寺さんは先程と同じ場所に腰を降ろすと、私の話し相手を申し出てくれた。きっと、療養中で暇な私を気遣ってくれたのだろう彼の優しさに私は嬉しそうに頷いた。

「山川さんは、普段はどんな風に過ごしていたんですか?」
『(家が農業をやっていたので、殆どが畑のお手伝いをしていました。時折、幼い弟の面倒も見ていました。)』
「弟さんがいらしたんですか。二人姉弟ですか?」
『(はい。善法寺さんはご兄弟は?)』
「僕は一人っ子なんです。だから、昔から兄弟のいる家が羨ましくて。」
『(ふふ、そうなんですか。)』

少しだけ羨ましそうに表情を作る善法寺さんの様子に、私はついクスリと笑う。そんな私に気付いて恥ずかしそうに彼は笑うと、ほんのり赤くなっていた頬を誤魔化すように頭を掻いた。

「でもこの学園に入ってからは後輩が出来て、まるで弟が沢山出来たようで凄く嬉しいんです。」
『(皆、良い子達でしたからね。私にも優しくしてくれましたし、きり丸くんにはお説教までされてしまいましたから。)』
「え、きり丸にですか?」
『(はい。“他人ばかりじゃなくて、自分の事をもっと大事にしろ!!”って。…以前、利吉さんにも同じような事を言われているんです。私は別に、そんなつもりはなかったんですが…。)』

目を丸くする善法寺さんに、私は苦笑混じりでそう話した。その間も、善法寺さんは驚いたような表情を浮かべている。そんな彼の様子にそれ程意外だったのかな、と私は内心首を傾げていた。

『(寧ろ、私は自分の事ばかりしか考えていないように思います。……実際に、あの時だって…。)』

村を襲われたあの日、私は自分の命欲しさに逃げ出したのだ。目の前に迫りくる“死”の恐怖から、必死に逃げた。
あの時少しでも、家族の事を、村の事を考えただろうか。
もしかしたら、まだ助けられた命があったのかもしれないのに。
利吉さん達やきり丸くんの時だってそうだ。自分の勝手な感情を押し付けて、心の奥底にある感情を見てみぬ振りをして自身を守って。そうやって何度も何度も周りを振り回してしまう私は、呆れる程酷く自分勝手だ。

『(私は皆が思う程、他人を気遣ってなんかいません。結局は全部、自分の事しか考えていないんです…。)』
「………。」
『(…何て、こんな事、きり丸くんと利吉さんの前で言ったらまたお説教されますね。)』

クスクスと苦笑を溢していると、善法寺さんがゆっくりと口を開いた。

「…貴女は、自分が思っているよりもお人好しなんじゃないですか。」
『(え?)』
「何て言うか…無自覚なのは解りました。」

発せられた善法寺さんの言葉を、私は直ぐには理解出来ずにきょとんとしてしまう。それに、言葉だけじゃなくて、何となくではあるけれど雰囲気までもが変わったような気がして私は首を傾げた。

『(えっと…善法寺さん…、)』

「すみません、お待たせしました!」

首を傾げたまま私が話し掛けたその時、障子が徐にスッと開かれ、入ってきた人物に私は目を見開いてしまった。そのあまりにも理解し難い出来事に私は混乱しつつ、側に座る彼と現れた人物を見比べてしまう。

『(ぇ…善法寺さ……え、ぇえっ!?)』
「なっ!?僕が居る!!? …って、まさか!」

「…あー…もう戻って来たんですか、先輩。」

『(…え…ぇ…??)』

―――医務室に現れた人物は、今も私の側にいるはずの善法寺さんと瓜二つだった。
全然気配に気付かなかった…やっぱり六年生だな、と側に居る善法寺さん?は呟いて立ち上がった。その姿は本当に善法寺さんそのものなのに、もう一人の善法寺さんが現れるや否や、一気にその人の雰囲気が変わったのが私でも解った。そんな善法寺さん?らしき人をぽかんと見上げていると、その人はフッと小さく笑ってから障子の所にいた善法寺さん?の方へと向かった。

「鉢屋!お前、一体僕の姿で何して…。」
「心配せずとも、ちょっとお話しただけですよ。何もしてませんって。」
「…本当かい?」
『(…はい。)』

事実かどうかを確かめるように私の方をチラリと見遣った善法寺さん?に、私はコクリと頷いた。そんな私を見て、善法寺さん?はホッとしたように息を吐いていた。

「そんなに信用ないんですか。」
「日頃の行いを見れば当然だろう。」
「ひどっ!! まぁ、いいですけど。それじゃ、私はこれで。」

後ろ手に軽く手を振りながら、彼は医務室からさっさと出て行ってしまった。そんな彼の姿を見送ってから、恐らく本物であろう善法寺さんは呆れたように溜め息を吐いた。

「全く…何を考えているんだか。」
『(あの…。)』
「あっ、すみません。山川さん、本当にあいつに何もされてませんか?」
『(いえ、本当に何も。ただお話に付き合ってくれていましたよ。)』
「そうですか…良かった。今、僕に変装していた奴は、五年ろ組の鉢屋 三郎なんです。鉢屋は変装名人と呼ばれる程変装が得意で、完璧に成り済ますんです。」
『(変装名人…凄いですね。)』
「確かに凄いんですが…その変装のせいで色々やらかす奴で。日頃からあいつの悪戯には困っているんです。」
『(わぁ…それは…大変ですね。)』

はぁ、と大きな溜め息を溢す善法寺さんの様子から、相当の事なんだろうなと想像し苦笑した。

「だから、もし鉢屋に何かされたりされそうになった時は、僕に直ぐに言って下さいね。」
『(あ、はい……でも、優しい人ですね、彼。初めて会った私とお話してくれましたし…。)』
「…うーん…まぁ、悪い奴ではないですからね。ただ、日頃の悪戯が目立ってるだけで、仲間想いだし後輩も大切にしてますし。僕にとっても、やっぱり可愛い後輩の一人ですしね。」
『(ふふ、そうですか。)』

苦笑を溢しながらも優しい表情で言う善法寺さんに、私はクスリと笑う。例えどんな後輩でも彼にとっては可愛い後輩に過ぎないのだと、その表情を見れば意図も容易く伝わった。

「さぁ、お粥をどうぞ。冷めないうちに食べて下さい。」
『(はい。善法寺さん、わざわざありがとうございます。)』
「…“伊作”で。」
『(え?)』
「伊作で構いませんよ。善法寺だと長いし、呼びにくいでしょうし。」

不意にそんな事を言われてきょとりとすれば、彼はニコッと笑った。私は唐突な事で少し躊躇ったが、その好意を受け取る事にした。

『(でしたら、私も名前で構いませんよ。実のところ、あまり名字は呼ばれ慣れていなくて…。)』
「そうなんですか?じゃあ、そう呼ばせて戴きます。」
『(あと、敬語もいいですよ?)』
「え?でも……それじゃあ、僕も敬語は無しで。」
『(え、ぅ…分かりまし…あ、えっと…分かった…?)』
「フフ。ごめんね、さぁどうぞ召し上がれ。」
『(ふふ…頂きます。)』

直ぐには慣れない妙なくすぐったさにお互いに小さく微笑みながら、私達はゆっくりとした時間を過ごした。

少しだけ、伊作くんと仲良くなれたような気がして私は嬉しく思った。


end.