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≪ 鉢屋視点 ≫



―――様子が可笑しい。

そう感じたのは夕食の時だった。
今日の夕食にはあいつの好物である豆腐があるのにも関わらず、あいつは何処か上の空だった。上の空といっても、それはほんの微妙な変化であって殆どの奴はその変化に気付いていないだろう。現にあいつの異変に気付いたのは、何時もの面子である五年だけだった。何時も一緒に居たからこそ気付けた変化に、私達はこっそりと顔を見合わせた。あいつと同じ組で同室である勘右衛門に目配せするも、理由は解らないらしく小さく肩を竦めるだけだった。
夕食後、風呂を済ませた私達はあいつの様子が気掛かりで、勘右衛門達の部屋へと訪れた。私達の突然の訪問にきょとりとしていたが、それはある問いかけによって直ぐに顔色を変えた。最初の方こそ何の変化はなかったのだが、勘右衛門の思い出したような問いにあいつは小さく反応を示したのだ。

「そういや、夕方医務室に行ってから様子が可笑しいよね。」

その問いにあいつは一瞬、本当に一瞬だけ僅かに頬を赤らめて目を逸らしたのを私は見逃さなかった。
どうやら他の奴等もそれに気付いたようで、そんな反応をしたあいつが珍しくて目を丸くしていた。

医務室――そこで“何か”あったのは明白だ。

これ以上は何を聞いても答える様子がないと察した私達は、あいつが自ら話してくれるのを待つ事にした。




だが、私はあいつのあの反応が気になり、次の日朝早くに医務室へと訪れた。

「……ん?」

中に入ると奥の方に衝立が置かれているのが目に付いて、気になった私はそっと近付いた。衝立の奥からは静かな寝息が聞こえてきて、誰かが横になっているのだと知る。チラリと覗き見れば、其処には見知らぬ女性が眠っていた。

「(…誰だ…?)」

見覚えのない顔に首を傾げながら、私はその女性に近寄りじっと見つめてみた。私が近付いても目覚める気配は全く無く、スヤスヤと無防備に寝顔を晒している。パッと見た感じの体つきからして、同業者であるという線は薄いと見て取れた。何故医務室で寝ているのかは分からぬが、何かしら学園と関わりがありそれで此処に居るのだろうと漠然と思った。
そして同時に、恐らくこの女性があいつの異変の原因の一端でもあるのだろうとも感じた。
あいつとどのような関係であるのかを暫し考え込んでいれば、不意に女性が身動ぎする気配を感じ、私は咄嗟に天井裏へと潜んだ。少しの間を空けてから女性が目を覚まし、ぼんやりと部屋の中を見渡していた。その後、直ぐに障子から不運委員ちょ…失礼、保健委員長である善法寺 伊作先輩が中へと入って来た。暫く私は天井裏から二人の会話を盗み見ていたのだが、そのやり取りがどうにも可笑しくて眉を潜める。眼下の光景を会話と呼ぶにしては、あまりにも一方的なように見えてしまう。それと言うのも、先程から先輩だけしか声を発していないように思えるのだ。だが先輩は、まるで会話をしているかのように相槌を打ったりして話を繋げている。もしかして、私が聞き取れないだけで、女性は中在家先輩のように小さく声を発しているのだろうか。だが、それにしたって全く声を拾えないというのは些か可笑しい気がする。疑問に思いながら会話を観察していれば、ふとある事に気が付く。会話をしている時、先輩は女性の顔を、否唇を注視しているように見えた。その様子に、私はもしやとある考えに行き着く。

「(この人、声が出せないのか…?)」

その仮定を当て嵌めれば、今の状況にも説明がつく。そう考察しながら様子を窺っていれば、先輩が医務室を出て行く姿が目に入る。私はその隙を狙い、女性に接触する事を試みた。勿論、先輩へと変装し怪しまれぬよう数分時間を置いてから。

「すみません。まだお粥が出来ていなかったみたいで…。もう少ししたら出来るそうです。」
『(そうなんですか。わざわざありがとうございます。)』
「(やはり声が…)いえ、気にしないで下さい。良ければお粥が出来上がるまで僕とお話してませんか?」
『(良いんですか?是非。)』

特に怪しまれぬ事なく言葉を交わして行き、さりげなく女性の情報を探り入れてみた。先程上から聞いていた会話からして、この女性が何か辛い経験をしてきたのだろうと察しはついていた。だから当たり障りのない事を慎重に選んで会話を繋げていった。

「(…至って普通の村娘と変わりないな。)」

聞く限り何か特別な事がある訳でもなく、よく村で見かけるような女の一人のように思う。あいつがあんな反応を示すものだから、何か面白い事の一つや二つ浮き出てくると思っていたのだが…。しかし、そうなると益々あいつとどんな接点があるのか分からない。
もしかして、昔からの仲だったりするのだろうか。出身が同じという線もあるかもしれない。
…いや、だとしたらあんな風に上の空になってまで会おうとしないのも可笑しな話だ。
昔馴染みなら気軽に会いに行くだろうしな。じゃあ一体何なのだろうか、この二人の関係性は。
中々すっきりとしない疑問に頭を捻っていると、聞き慣れた後輩の名が出てきてそちらに意識が傾いた。

『(皆、良い子達でしたからね。私にも優しくしてくれましたし、きり丸くんにはお説教までされてしまいましたから。)』
「え、きり丸にですか?」
『(はい。“他人ばかりじゃなくて、自分の事をもっと大事にしろ!!”って。以前、利吉さんにも同じような事を言われているんです。私は別に、そんなつもりはなかったんですが…。)』

そういえば、先程上から聞いていた時もきり丸の名が上がっていた。けれど、私は女性が利吉さんとも知り合いである事に驚いていた。

『(寧ろ、私は自分の事ばかりしか考えていないように思います。……実際に、あの時だって…。)』

不意に、女性の視線が私から外れ何も無い宙を見つめ出す。
その時の瞳が僅かに翳りを見せ、まるでここではない別の場所を見ているかのようだった。

『(私は皆が思う程、他人を気遣ってなんかいません。結局は全部、自分の事しか考えていないんです…。)』

そう言って小さく笑う女性の笑みは、自身を責め立てているようにしか見えなかった。

――上で聞いていた時から思っていた。

この女性は、自分に自信を持とうとしていない。
常に自身を低く見ては周りにばかり目移りし、“自分”という存在を主張しようとしない。慎ましいと言えば聞こえは良いが、その限度を超えているのだ。他人に対し渾身的とも言えるようなその言動は、言ってしまえば正に偽善のようなもの。個人的に本来そのような考えは好ましく思えない。
だが何と言うか、この女性には偽善という言葉よりも、もっと別の言葉の方が私にはしっくり来ていた。

「…貴女は、自分で思っているよりもお人好しなんじゃないですか。」
『(え?)』
「何て言うか…無自覚なのは解りました。」

思わずフッと、呆れたように小さく笑ってしまった。
こんなに妙に後ろ向きな人を見たのは初めてだ。
そんな私を見て女性はきょとんと首を傾げていたが、本物の先輩が戻って来た事で目を丸くして驚いていた。そんな様子にまた笑みが溢れながら、私は女性に軽く笑いかけてさっさと退散させてもらった。



結局、あいつと女性の関係性が何なのか分かる事がなかった。
だがまぁ、別にそれでもいいと思えた。
遅かれ早かれ分かる事だ、焦らずともあいつの行動を暫く観察するつもりだったから、何れ知る事になる。

さて、あいつは一体どんな風に動くのだろうか。

私は先程の女性の驚きようを思い出し、一人ひっそり笑みを浮かべながら長屋へと歩いていった。



end.

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書いてて何の話を書こうとしていたのか分からなくなる馬鹿は私です。
結局何を言いたいのか良く解らん内容になってしもた…!
そしてわざと“あいつ”と名を伏せてみたが、思っきし奴しかおらんような文章に。
伏せる意味とは何ぞ。