(1/1)




あの後、朝食を終えてから伊作くんは授業に出席する為、医務室を出て行ってしまった。そして入れ替わるように新野先生が戻られて、私の体調の様子を窺った。特にこれといった異変もないのでその事を伝えれば、新野先生は安心したように笑みを浮かべていた。新野先生が薬草の調合の準備をし始めたのを見て、私は話しかけるのは作業の邪魔になるかもしれないと思い、黙って静かにしていることにした。
けれど、私の意に反して新野先生は穏やかに話しかけて下さった。その事に少しだけきょとりと目を瞬かせてから、どうやら私の考えが杞憂だったのだと気が付いて、少しばかり甘える事にした。おかげで退屈に思うことなく午後まで時は過ぎていき、気が付けば放課後を迎えていた。
放課後に入り、新野先生は職員会議に向かう為に医務室からいなくなってしまった。誰もいなくなってしまった医務室は酷く静かで、寂しくも思えた。私はする事もなくてただぼんやりと医務室を眺めた。これがあと6日続くのかと思うと、私は無意識の内に小さく溜め息を吐いていた。怪我を治す為とは言え、やはり何も出来ずにお世話になっているのは気が引けるものだ。勿論、治ってからその分以上に働くつもりではいるが、この時ばかりはどうしようもなくもどかしい。もう一度、ふぅと息を吐いていると、不意に誰かに声を掛けられた。

「溜め息なんて吐いて、どうしたんスかお姉さん?」
『(! ぁ…きり丸くん…それと…。)』
「こんにちは、お姉さん!」
「こんにちは〜。」

横に顔を向ければいつの間に来ていたのか、きり丸くん達三人が隣に座っていた。私は慌てて枕元に置いてあった紙に筆を走らせ、小さく笑いながら挨拶を返した。実は先程、新野先生が気を配って私に書くものを渡して下さったのだ。おかげで少々テンポは悪いが、会話が出来るようになった。

「あ!書くもの頂いたんですね!」
「これでボク達もお姉さんとお話出来るねー。」
「そうだな。」

会話が出来るようになって嬉しそうに笑った三人につられて、私も顔が自然と弛んでいくのが分かる。私はここで漸くちゃんと自分の言葉で自己紹介をする事が出来た。

『(私の名前は山川 花です。お二人の名前を聞いてもいいですか?)』
「私の名前は猪名寺 乱太郎って言います!」
「ボクは福富 しんべヱです!」
「あの、お姉さんのこと、名前で呼んでもいいですか?」
『(勿論、好きに呼んでいいよ。私も、名前で呼んでもいいかな?)』
「はい!」
「ボクもー。」
『(ありがとう。)』

ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべる二人に、私はつい頭を撫でてしまった。そんな私の行動に驚いたのか、乱太郎くんはパチリと目を丸くさせている。それにハッとなって自身の行動に気付き、私は直ぐ様手を引っ込めた。
思わず、弟にしていたように無意識に手が動いてしまった。
乱太郎くん達は弟よりは大きいけれど、やはり私とは年が離れているせいか、何処か重ねてしまっていたのだろう。染み付いてしまった癖はそう簡単には抜けないのかと、私は小さく苦笑してしまった。

『(ごめんなさい!急に撫でて…嫌だったよね。)』
「いえ!全然そんなこと!私、その、嬉しかったですよ…?」
『(え?)』
「何ていうか…手が優しくて、凄く温かかったです。」
『(……。)』
「それに、安心するというか…あの、えっと…!」
『(…ふふ、ありがとう。)』

頬を赤く染めて、一生懸命伝えようとしてくれる姿が何だか嬉しく思えて、私はお礼を言った。乱太郎くんは今度は照れたようにはにかんで笑っている。それにきり丸くんが「照れてるのか?」と茶化し出し、しんべヱくんまで乱太郎くんの顔を覗き込んでいた。それに乱太郎くんは更に顔を赤くして、茶化す二人に弱く怒っている。そんな様子が微笑ましくて、私はクスクスと笑って見守っていた。

「久々知?何してるんだい?」

『(…?)』

すると、不意に障子の向こう側から伊作くんの不思議そうな声が聞こえてきて、私はそちらに視線を移した。どうやら乱太郎くん達もその事に気付いたようで、きょとりと障子の方へと顔を向けていた。様子から見るに伊作くんの他にもう一人、医務室の前に誰かが居る事が窺えた。

「いえ…その…。」
「まぁ、入りなよ。医務室に用があるんだろう?」
「伊作先輩!」

言葉を濁している人物を中へと促すように伊作くんが障子を開けると、乱太郎くんが伊作くんの名を呼んだ。

「乱太郎、遅くなってごめんね。きり丸としんべヱは花さんのお見舞いかな?」
「こんちは、善法寺先輩!」
「こんにちは〜!はい、そうなんです。」
「そっか。花さん、具合はどう?」
『(えっと、大分良いかな。)』
「良かった。この調子なら治りも早そうだね。」

側へとやって来た伊作くんは、穏やかに微笑みながら私達と言葉を交わしていく。私の体調を確認すると、伊作くんは顔だけ振り返って一緒に入ってきた男の人に声を掛け出した。

「それで、久々知。どうしたの?怪我したのかい?」
「あ…はい…。」
「じゃあそこに座ってて。直ぐに手当てするから。」

そう言うと、伊作くんは慣れた手付きで救急箱を持ち出してその男の人へと近寄った。私はその様子をただ何となく眺めていると、ふと、その手当てされている男の人の顔が気になった。
男の人にしてはパチリとした大きな瞳に、長い睫毛。
スッとした鼻筋にキュッと結ばれた唇は、とても整った顔立ちをしている。肌も白く、髪はフワリと緩やかな癖のある黒髪で、更にその容姿を際立たせた。

『(……、…んー…?)』

私は、そんな彼を何処かで見覚えがあるような気がしていた。
けれど、私と彼は今日が初対面である。
なのに記憶の片隅にある過去は、彼を知っているように感じていた。一度でも彼のような美人な人を見掛けていれば覚えているようなものだが、一体何処で知ったのだろうか。

『(美人……ぁ…あ!そうだ!)』

――思い出した。
村を失う以前、度々赴いていた町で出会った女性に似ているのだ。町へと出掛ける度によく鉢合わせる事が多くて、それがきっかけで仲良くなった人だ。懐かしいな、あの人は元気にしているのかな…、と考えていると徐にその男の人と一瞬だけ視線が交わった。あまりにも不躾に見つめすぎたと思い、私は慌てて視線を逸らすと伊作くんが彼に声を掛けた。

「久々知?…あぁ、彼女の事、気になるかい?」
「…ぇ、あ…いや…。」
「どうせ近々知る事になるんだから、先に紹介しとこうか。彼女は山川 花さん。これから忍術学園で事務員として働く事になったんだ。花さん、彼は久々知 兵助って言って、5年い組に在籍してるんだ。」
「…初めまして。久々知 兵助と言います。」
『(ぁ…初めまして。山川 花と申します。)』
「…声が…。」
『(あっ…。)』
「少し訳あって、声が出せないらしいんだ。」
「そうですか…。」

淡々と、あまり感情の起伏が感じられない声色と表情が酷く彼をクールに見せた。そのせいか若干話し掛けづらい雰囲気に怯みながらも、私は先程からずっと気になっている質問を問い掛けてみた。

『(…あ、の…久々知さん…?)』
「何でしょうか?」
『(あの…久々知さんは、ご兄弟はいらっしゃいますか…?)』
「え?兄弟、ですか…?」
『(す、すみません、突然…あの、私の知り合いの女性に似ていらっしゃるので、その、つい…。)』
「……、…いえ、私には兄弟はいません。」
『(あ、そ、そうですか…あの、本当にいきなりすみませんでした…!)』
「いえ…。」

それではそろそろ失礼します、と断ってから、久々知さんは直ぐに医務室から出て行ってしまった。その後ろ姿に私は本当に失礼な事をしたな、と反省していると伊作くんが不思議そうに声を掛けてきた。

「花さん、その知り合いの女性って久々知に似てるのかい?」
『(うん、とても。だからてっきりご兄弟なんじゃないかって思ってしまって…。)』
「久々知先輩に似てる女の人なら、すっごく美人なんだろうね。」
「な。先輩顔整ってっからなぁ。」
「花お姉さんはその女の人と仲良いんですかぁ?」
『(うん。よく町で一緒に甘味処に行ったりしてたよ。)』
「甘味処!?いいなぁー!!」
「ちょっ、しんべヱ、ヨダレヨダレ!!」

甘味を想像して涎を垂らしているしんべヱくんに、乱太郎くん達が慌てて注意する。その様子に苦笑していると、何かを考え込んでいた伊作くんが私に声を掛ける。

「…ねぇ、花さん。その人の名前って教えてもらえる?」
『(名前?その人は“兵美”さんっておっしゃるけど…?)』
「(……まさか、ねぇ…。)」
「どうしたんですか?伊作先輩?」
「あ、もしかして先輩、その人に会いに行こうとしてるんじゃないんスか!?」
「えっ!?ち、違う違う!!そういうんじゃなくて、ちょっと確認、をね…?」
「確認?何のですかぁ?」
「うーん、それは言えないかな。」
「…とか何とか言って、やっぱ気になってんじゃないスか…ってぇ!!!」
「だから違うの!!」

ベシッと小気味のいい音で叩かれたきり丸くんは、涙目で冗談スよっ!!と唸っていた。それに乱太郎くん達は、きりちゃんは何時も一言多いんだから、と呆れながら慰めていた。私はただただ、それを苦笑しながら見つめている事しか出来なかった。


end.