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療養生活も早7日目。
漸く最後の1日を迎えた私は、少しばかり明日の事に対して緊張し始めていた。声が出せずとも事務仕事をこなせるのか、足を引っ張ってしまわないか、周りと上手く接していけるのか。ポツリポツリと浮かび上がってくる小さな不安が胸を占めて、自然と表情が固くなっていくのが分かる。けど直ぐに、その不安を払拭させようと頭を振り、心を落ち着かせた。

「…どうしました?頭、痛いんですか?」
『(あ、ううん。大丈夫、どこも痛くないよ。少し、明日の事を考えてただけで…。)』
「明日?あ、そういえば明日からでしたよね。お仕事を始めるのって。」

その様子を見て体調を窺ってきたのは、4日前に初めて顔を合わせた二年生の川西 左近くんだった。その隣に居る三年生、三反田 数馬くんも同日知り合った学園の生徒だ。

『(うん。明日の事を考えると少し不安で…事務仕事でもやっぱり声が出ないと色々不便だろうし、何より学園の皆さんと上手く接していけるのか心配で…。)』
「大丈夫ですよ、この学園の人達は優しい人が多いですから。」
「事務員の小松田さんも穏やかな人なので、怒る事もないですよ。まぁ、小松田さん自身が失敗ばかりなんで、いつも怒られてますけど。」
「こら左近、そう言ってはいけないだろ。」
「事実ですから。」

川西くんを軽く注意するも、三反田くんは返ってきた言葉に苦笑を溢した。二人が私の緊張を解そうと励ましてくれたその会話に、私は思わずクスリと小さく笑った。二人の優しさにほんのりと胸を温かくしていると、不意に医務室の障子が静かに開かれた。

「失礼します。」

中へと入って来た人へ視線を向けると、そこに居たのは若い男の人の姿だった。その人は山田先生と同じ黒い忍び装束を身に纏っていたので、恐らくこの学園の教員の方なのだろうと考える。そんな風にぼんやりと見つめていたら、その人と目が合ってしまった。
すると、私が目線を外すより先にその人が動き出し、私の元へと歩み寄って来た。その事に少し緊張し背筋を伸ばしながら、男の人が私の側に正座をするのを眺めていた。

「初めまして。君が山川 花さん、かな。」
『(は、はい…そうです。)』
「あぁ、そんなに身構えなくていいよ。私は君に御礼を言いに来たんだ。」
『(え…?)』

私の様子に小さく笑みを浮かべながらそう言った相手に、私はパチリと目を瞬く。

「私の名は土井 半助。一年は組の…きり丸達の担任をしているんだ。」
『(! きり丸くん達の…。)』
「君の事はきり丸達と山田先生から聞いたんだ。…本当に、ありがとう、私の生徒を助けてくれて。それから、怪我を負わせてすまなかった。」

私に向けてスッと頭を下げ、男の人――土井先生は御礼と謝罪の言葉を口にした。あまりにも自然で、けれど唐突な出来事に反応が遅れてしまい、私は少しだけ目を丸くし固まっていた。
けど直ぐにハッとなって、慌てて土井先生に頭を上げるよう促した。

『(あ、頭を上げて下さい!その、私が勝手にした事ですし、怪我ももう殆ど治ってきていますから…!)』
「…本当にすまない、…ありがとう。」

何とか頭を上げさせれば、土井先生は眉を下げて微笑みながら、再度私にそう言った。土井先生のその優しげな笑みを見て、彼がどれだけ自身の生徒を大切に想っているのかが伝わってくる。私はそれに小さく微笑んで、改めて自己紹介をする事にした。

『(ご存知だと思いますが、改めて自己紹介をさせて下さい。私の名は山川 花と申します。明日からこの学園で、事務員として働かせて頂く事になりました。これから、宜しくお願いします。)』
「では私も改めて。きり丸達一年は組の担任で、教科担当を務める土井 半助です。こちらこそ、宜しく。本当はもっと早くに御礼を言いたかったんだが、仕事が片付かなくてね。すまない。」

お互いに微笑みながら挨拶を交わして、穏やかな雰囲気を醸し出す。先程の会話から土井先生が優しい人柄なのが伺えて、私は無意識に張っていた緊張が和らぐのを感じた。

「何かあれば何でも聞いて下さい。大した事は出来ないかもしれませんが、少しでも手助けしますので。遠慮せずに声を掛けて下さいね。」
『(あ、ありがとうございます。…あの、えっと…私に敬語を使わなくても構いませんよ?)』
「え?」
『(その、私の方が年下ですし、まだ新米の事務員ですから…。)』

何となく気になっていた事を口にすると、土井先生はキョトリと目を瞬かせた。私が気にした理由を話せば、土井先生は納得したように微笑みながら頷いた。

「…そうかい?なら、お言葉に甘えさせて貰おうかな。」
「失礼します!花お姉さーん!って、あれ?土井先生!」
「あ〜!土井先生だぁ!出張終わったんですね〜。」
「土井先生、お帰りなさい!いつ帰ってきてたんスか?」
「乱太郎、きり丸、しんべヱ。」
『(あ…三人共、いらっしゃい。)』

ドタドタと音を鳴らしてやって来たのは、この数日で大分仲良くなった乱太郎くん達だった。三人は土井先生の姿に不思議そうに首を傾げ、此方へと近付いてきた。そんな三人に、私は嬉しくて笑みを浮かべて出迎える。私の隣に腰を降ろしたきり丸くんは、そんな私の笑みを見て照れくさそうにヘヘッと笑っていた。

「土井先生はどうして此方に?」
「山川さんに挨拶をしに来たんだ。お前達はどうしたんだ?」
「僕達何時も、放課後になったら花お姉さんとお話してるんです!」
「…まさか毎日来てるのか?」
「はい!あ、ちゃんと新野先生には許可をもらってますよ!」
「そうか…だが、彼女はまだ療養中だろう?毎日来ては疲れさせるんじゃないか?」
「え…あ、そっか…。」

土井先生に優しく諭され気付いた乱太郎くん達は、シュンとしたように大人しくなってしまった。それに私は慌てて、思っている事を紙に書き写す。

『(大丈夫ですよ。寧ろ話相手になって下さっているので、凄く感謝しているんです。一日中、医務室にいるとどうしても暇でして…この時間が楽しみでもあるんです。だから、何時もありがとね。)』

ニコリと笑いながらそう伝えれば、三人は嬉しそうに表情を明るくさせる。その様子に安堵しつつ、私は土井先生にも感謝を述べた。

『(土井先生も、ご心配ありがとうございます。)』
「いや、私の方こそそう言ってもらえると助かるよ。ありがとう。」

そう言ってから土井先生は、さて、と呟いてゆっくりと立ち上がった。

「仕事もあるし、そろそろ失礼するよ。あぁ、そうだ。お前達、宿題は終わらせたのか?」
「「「あ、」」」
「…まだ何だな。全く…。」

初めから分かっていたように小さく溜め息を吐いてから、土井先生はお腹に手を当てた。お腹でも悪いのか、どことなく顔色が悪くなっているような気がする。

「俺、後でやりまーす!」
「僕も!」
「私も!だから、花お姉さんとお話してもいいですか?」
「はぁー…しょうがない。後でちゃんとやるんだぞ。いいな?絶対だぞ?」
「「「はーい!!!」」」
「…本当に分かってるのかなぁ。」

元気の良い返事を返す三人に対して、土井先生は更に胃が痛むのを感じていた。そんな土井先生と三人の様子を見ていた私は、小さく苦笑するしかなかった。

「それじゃあ、山川さん。お大事に。明日から宜しく。」
『(あ、はい。此方こそ、明日からも宜しくお願いします。)』

それから、土井先生もお大事に。と口を動かせば、土井先生は一瞬キョトリとしてから、苦笑を溢して医務室を出て行った。



end.

−−−−−−−
ちょいと微妙な終わり方に…。