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あれから更に二週間程が経ち、徐々にお菊さんとの生活に慣れ始めた頃だった。もう身体も充分回復し自由に動き回る許可が降りてからは、私は率先して家事の手伝いに回っていた。今日も日課である洗濯に取り掛かり、洗った服の皺を伸ばしながら綺麗に干し終えると、私は満足気に息をついた。風に靡く洗濯物を暫し見つめてから振り向けば、私の直ぐ近くに人が立っていた事に気付いて思わずビクッと肩が飛び跳ねた。

『(〜〜〜〜っ!!!!?)』
「あぁ、ごめん!驚かせたみたいだね。丁度声を掛けようとしたら、君が此方を振り返ったからタイミングを逃してしまって。」

私の驚き様にその人は驚いて、慌てて私に声を掛けてきた。私も大丈夫だと伝えるべく首を左右に振ってから、はたとある事に気付いた。お世話になっているお菊さんが暮らすこの家は、かなり深く要り組んだ場所に建てられている。誰もが容易に此処まで辿り着ける場所ではない為、秘境とまで言われているとお菊さんに聞いた。極限られた人しか出入りしないそんな場所に、お菊さん以外の人、それも若い青年が訪れた事に私は驚いていた。そして直ぐにもしやと、ある一つの予想が浮かび上がった。

「――…その様子じゃ、もう大丈夫なようだね。良かった、仕事中もずっと気になっていたんだ。」
『(……やっぱり、この人って…。)』

私が此処で目覚めたばかりの時、お菊さんが自分の息子が私を此処まで運んできてくれたんだと言っていた。
確か、その息子さんのお名前が……。

「っと、そう言えばまだ名乗っていなかったね。私は山田 利吉。君は覚えていないと思うが、私が倒れていた君を此処へ連れて来たんだ。」

にこりと、爽やかに笑みを浮かべた目の前の青年――利吉さんはそう名乗ってくれた。私はそれに軽く頭を下げて、今度は自分が名乗る番だと思い伝えようとしたが、そこで当然ながら問題が生じた。
今の私には“声”がない。
ジェスチャーと言う手段はあるが、名前をどう表現したら伝わるのかが分からないのだ。それに、お菊さんは私の唇の動きで何が言いたいのか読み取ってくれるから、書くものなんて日頃から携帯していなかった。どうしようと手を宙にさ迷わせオロオロとしていれば、やはり利吉さんは私を不思議そうに眺めていた。

「…? どうかしたのかい?」
『(……えっと……。)』

私の体調でも優れないと思ったのか、利吉さんは心配そうな瞳で此方を窺ってくる。私は大丈夫だと慌てて手を振り、取り敢えず声が出ない事を伝えようと試みた。喉元に手を当て口をパクパクとさせたり、唇の所に指で×印を作ってみたりとなるべく解りやすいよう工夫する。それを見て考えるように顎に手を添えていた利吉さんは、ある考えに行き着いたのか、ハッと目を見開いて私を凝視してきた。そして、恐る恐ると言った風にポツリと口を開く。

「…まさか、声が……?」
『(…コクリ。)』
「……、それは、やはり…あの戦で…?」
『(コク……。)』
「……そうか…。」

利吉さんの言葉に頷き答えれば、彼はそっと少しだけ目を伏せた。その姿がまるで、私を助けきれずに悔やんでいるのかのように見えて、私は焦り出した。
そんなの私の勘違いかも知れない。
けれど私には彼が自分を責めているように感じてしまい、必死になって大丈夫である事を伝えた。例え声を失ってしまったとしても、私は現にこうして生きているのだ。生きている、その事実だけで十分だった。これ以上ない幸せを噛み締める事が出来るのは、あの時、利吉さんが私を助けてくれたから。でなければ、私はきっとのたれ死んでいただろう。だから、利吉さんには本当に感謝しか溢れ出てこない。利吉さんが悔やむ必要なんて何処にも無いのだ。ましてや、戦なんてこの乱世では珍しい事でもない。たまたま、私の村が戦に巻き込まれてしまっただけなのだ。これは誰のせいでもない。強いて言うのであれば、この乱世事態が悪かった。ただ、それだけの事。そして、私だけがこの世で一番不幸な訳じゃない。だから、そんな顔しないで下さい。私はそう思いながら、自分が元気である事をアピールした。そんな私の行動に驚いたのか、利吉さんはパチリと目を瞬かせる。 そしてフッと、優しげな表情で私に笑いかけた。

「…君は強いね。」
『(…? フルフル。)』

そんな事はないと、私が首を左右に振れば利吉さんはまた小さく微笑んだ。

「さぁ、家に入ろうか。私も手伝うよ。」
『(………、えと…。)』
「あ、でもその前に。君の名を教えてくれないかな。」

優しく背中に手を添えられ家へと歩き出し、私は僅かに戸惑いを見せる。そして思い出したように名を尋ねられ、再びどう伝えるべきかと悩み出す私に利吉さんはもう一度口を開く。

「以前のように喋る感覚でいいよ。口元を読めるから。」
『(!…山川 花と言います。)』
「花ちゃんと言うのか。何か不思議な感じがするよ、もう知り合いのような感覚でいたからね。それも一方的なものだけど。」

クスクスと笑いながら言う利吉さんにつられ、私も小さく笑い返す。利吉さんの纏う雰囲気はキリッとしているけれど、それは爽やかでとても優しいものだった。だからなのか、普段は人見知りをする筈の私なのだけれど、とても居心地良く感じた。そう言えば、お菊さんに対してもあまり人見知りをしなかったように思う。それ以前に、初対面だと言うのに彼女に母の面影を感じて泣き付いてしまっていた。そう思うと、この人達には不思議な雰囲気があるように感じる。そして、とても優しい。その優しさに、私は大分救われているのだと気が付いた。

「あら、利吉!! 帰って来てたの!? もう、帰るのなら文くらい寄越しなさい。」
「只今戻りました、母上。すみません、慌ただしくしていたら出す事を忘れてしまっていて…。」
「全く…今回も無事で何よりだわ。おかえりなさい、利吉。さぁさ、貴方も手伝って頂戴!花ちゃんにばかり手伝わせる訳にはいかないわ!」
「勿論そのつもりですよ。」
『(えっ……ぁ、あの!私は大丈夫ですから、利吉さんは休んで下さった方が…!)』
「大丈夫だよ。特に疲れてもいないし、次の仕事は今の所入っていないから。」
「そうよ、花ちゃん。寧ろ利吉よりも、貴女の方が心配だわ。毎日手伝いばかりで、働きすぎよ。」
『(え、そんなこと……。)』
「そんなことあります。…少し休んでいらっしゃい。」

ポンと背中を押され、借りている部屋へと少し強引に向かわされた。本当に大丈夫なのだけれど、お菊さんの心配した表情を前に強く言う事が出来ず私は渋々部屋の中へと入っていった。そんな花を見つめ、部屋へと入っていくのを確認してからお菊は小さく溜め息を溢す。

「…あの子、自覚がないのかしら。」
「どのくらい手伝いに回ってるんですか?」
「殆ど一日中、花ちゃんは動き回っているわ。それに、夜もちゃんと眠れていないみたいなのよ。」
「…そうですか。恐らく、気を紛らわす為なんでしょうね。」
「えぇ…。しかも無意識でしているから、いつ倒れるかヒヤヒヤするわ。花ちゃんは優しく良い子なのだけれど、周りに気を使いすぎていて見ていられないわ。」
「…………、」
「ところで利吉。貴方が仕事を入れていないなんて珍しいわね。どういう風の吹き回しかしら?」
「特に理由なんてありませんよ。たまたま依頼がなかっただけですから。」
「あら、そう。そういう事にしておくわ。」
「……母上、」

ふふふ、と微笑みながら利吉に瞳を向ければ、彼は参ったような表情を浮かべた。そんな利吉に更に笑みを深めれば、お菊は楽しそうに利吉に言う。

「素直じゃないわね。」
「何の事です?」
「ふふ、それは貴方が一番分かっているのではなくて?」
「…さぁて、さっさとやりましょうか、母上。」

お菊の視線から逃れようと利吉はわざとらしく話題を変える。そんな息子の姿を見て、お菊はただ微笑むばかりだった。



end.

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やっと利吉さん出せた。
そして話が進まない。
どういう事だ。