(1/1)




「花ちゃーん!ちょっと手伝ってもらえるー?」
『(はい!今行きます!)』

――あの日、渇れ果てるまで涙を流して、心の奥底に燻っていた暗い感情を全て吐き出した。
涙にするだけで、泣き止んだ後の心持ちは大分軽く、晴れやかな気持ちへと変えさせてくれた。完全に吹っ切れたとはまだまだ言い難いけれど、それでも以前に比べれば前へと気持ちは向かっていてとても気分がいい。それに表情だって、変な堅さが抜けて柔らかくなったとお二人に揃って口にされた。それくらい、良い方へと漸く変われてきているのだと、自分自身でも感じていた。

『(…ふぅ……、終わった。)』

お菊さんに頼まれた空豆の皮剥きを終えて一息吐く。ずっと座り続けて固まってしまった身体を解すように、私は腕を伸ばして身体を解す。小さくパキリと鳴った関節の音を聞き取ると同時に、後ろからクスリと笑う声が耳に届いた。

「お疲れ様。うわ、凄い量の空豆を剥いたんだね。」
『(あ、利吉さん…。)』

振り向いた先に居たのは、笑みを浮かべた利吉さんの姿だった。その背には荷物が掛けられていて、これから出掛ける事が一目で窺え知れた。

『(これからお出掛けですか?)』
「いや、そろそろ仕事に戻ろうと思ってね。暫くは家に戻らないつもりなんだ。」
『(え…そうなんですか…。)』

暫く戻らないと聞いて驚いてしまったが、利吉さんはフリーの忍者であった事を思い出して直ぐに納得もする。これから暫くはお菊さんと二人きりなんだと思うと、急に少し寂しさを感じた。けれど仕事なのだから仕方ないと思い直して、私は利吉さんに声を掛ける。

『(…気を付けて下さいね。お仕事、頑張って下さい。)』
「ありがとう。花ちゃんも無理はしないで、程々にね。」
『(はい、気を付けます。)』
「……………ハハッ。」
『(え…?)』

不意に笑い出した利吉さんを、私は不思議そうに見つめる。キョトリと首を小さく傾げた私の頭へと、利吉さんは手をポンポンと優しく撫でるように載せた。

「“寂しい”って、顔に出ているよ。」
『(…!!!! えっ……あ、えっと……そ、そういう訳じゃ…!)』
「あれ、勘違いかな? そっか…、私だけがそう感じていたのかな。」
『(!…ぇ…ぁ、…………ぅ…っ、わ、私も…ホントは寂しく、思いました……。)』
「フフ、そっか。なら良かった。」

クスクスと笑う利吉さんの声が、まるでこうなる事を見通していたかのように感じて、余計に私の羞恥心を煽った。恥ずかしさから顔を背ければ、それがまた利吉さんの笑いを誘ったらしく、少しだけ笑い声が大きくなった。

『(…っ、わ、笑わなくてもいいじゃないですか…。)』
「ごめんごめん。素直に言ってくれたのが嬉しくて。つい、可愛いなって。」
『(…!!!!? …ぅ、からかわないで下さい…っ!!!)』

予想他にしていなかった言葉に、思わずカァァアッと顔を赤くする。そしてまるで毛を逆立てた猫のように思わずシャーッとなって言い返した私に、利吉さんは逃げるように背を向けた。

「別にからかってなんかいないよ。思った事を言ったまでだ。それじゃ!」
『(あっ…! …あの! お気を付けて…!いってらっしゃい…!)』

唐突に走り出した利吉さんは私の方へと振り向いてそう告げた。それに私は慌てて声を掛けると、利吉さんは私の唇を読んでから一度微笑んで一気に駆け出していった。私はその背が見えなくなるまで見送った後も、暫くその場から動かなかった。そして徐に頭へと手を添えて、つい先程の事を思い浮かべる。優しく撫でられた掌の感触が、今でも鮮明に思い出せて、私は思わず頬を弛ませた。

『(…なんか、嬉しい、な…。)』

ホッとするようなその温もりが、今の私を酷く安心させてくれる。もし私に兄が居たとすれば、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。そしたら、私にとって利吉さんは兄のような存在になるのだろうか。ううん、もう既に私は利吉さんを兄のように感じているんだ。そう自覚してから私は一人、へにゃりと締まりのない笑みを浮かべていた。幸せな気持ちに満たされた私は、よしっと気を入れ直してお菊さんの元へと戻っていった。



利吉さんが仕事へと戻っていったあの日から、早いものでもう2ヶ月が経過していた。その間にすっかり心身共に以前と変わらないまでに回復し、心情的にやっと余裕が持てるようになった。けれどただ一つ、やはり“声”だけは未だに発する事が出来ていない。自身が思うよりも大分あの日の出来事がショックだったのだろう、と何処か他人事のように感じている自分に気付き思わず苦笑する。しかし、やはり声が出せないとなるとこれから色々と不便が生じてしまう。何せ声が出ないのだから、私が思い付く限り働き場所なんて皆無に等しいのだ。皆が皆、お菊さん達のように唇が読める訳でもないし、動作で伝えるにしても限界がある。内職という手段も考えてはみたが、それだけでは到底暮らしていけるだけの収入なんて稼げないだろう。だからと言って、このままずるずるとお菊さん達に甘えて居座るわけにはいかない。働き場所を見つけて自立したい、けれどそれ以前にぶち当たった難関に私は溜め息を吐いた。

『(…お菊さんに、相談してみようかな…。)』

お世話になっているお菊さんには、いずれ話すつもりでいたから丁度いいかもしれない。どうせ一人で悩んでいた所で閃きそうにもなかった私は、さっそくお菊さんの元へと向かった。

「え? 花ちゃんでも働ける場所?」
『(はい。私、声が出ないから、中々思い当たる場所が見付からなくて…。)』
「…そう、ね。そろそろ考えなくちゃいけないわね。」
『(……? お菊さん?)』
「ふふ、嫌だわ私ったら。もうすっかり貴女の事、娘のように感じちゃって、当たり前のようにこれからも一緒に暮らしていくのだと思っていたわ。」
『(!)』

キョトリと不思議そうな顔をしたお菊さんに問い掛けると、お菊さんは私に嬉しい言葉を紡いでくれた。その言葉に私は驚いて瞳を瞬かせてから、自分でも情けないくらいに顔が弛んでいくのが分かった。

「私はそれでも構わなかったけれど、これからどう生きていくのか決めるのは花ちゃんだものね。…花ちゃんは、どうしたいのかしら?」
『(…私は、出来れば近い内に此処を出て、一人で頑張っていきたいと思っています。そして働いて、いつか、お二人にご恩を返したいんです。…私はお二人に救われて、凄く嬉しかったから、…だからそれ以上を何かで返したいと思ったんです。)』
「…そう。そう決めたのね。」
『(はい。)』
「ふふ、ありがとう花ちゃん。」
『(え? …お礼を言うのは私の方ですよ。)』
「そんなことないわ。花ちゃんの今の気持ち、とても嬉しかったもの。…そっか、花ちゃんは此処を出て行っちゃうのね。」
『(…はい、そのつもりです。けど、働ける場所が分からなくて…どうしようかと。)』
「そうねぇ…………、一つ、思い当たる所があるのだけど、今働き手を募集しているかは分からないのよ。ちょっと、文を出して聞いて見るわね。」
『(! 本当ですか!? あの、ありがとうございます!!)』
「ふふ、いいのよ。ただまだ確証はないから、返事が来るまで他も探しておきましょうか。」
『(はい!)』

私がコクコクと頷いて見せると、お菊さんはクスクスと微笑ましげに私を見つめていた。お菊さんはさっそくその日の内に文を出して下さり、翌日からは一緒に仕事探しを手伝ってくれた。一緒にあちこち回っては探してみるも、やはり中々私のような特殊な人材を受け入れてくれる場所は見つからなかった。


そしてお菊さんが文を出してから一週間と3日の事、その日久方ぶりに懐かしく感じる人と再会した。

『(利吉さん!お久し振りです!)』
「や、花ちゃん。久し振りだね。元気そうで安心したよ。」
『(利吉さんも元気そうで安心しました。お仕事は終わったんですか?)』
「あぁ。一段落ついてね。そうだ、母上はいるかい?」
『(はい。中にいますよ。)』
「良かった。それじゃ行こうか、母上宛の文を預かってきたんだ。」
『(!それって…。)』
「うん、君にも関係ある話だよ。」

そっと背中を押され家の中へと入ると、利吉さんはさっそくお菊さんへと文を渡した。お菊さんはカサリと文を広げて内容を確認すると、あら、と嬉しそうな声を上げ私に笑顔を向けた。

「花ちゃん!良い返事を貰えたわよ!是非来てほしいですって。」
『(ほ、本当ですか!?)』

色好い返答が返ってきた事に喜んでから、私はハタ、と其処がどんな場所なのか知らない事に気付いた。その疑問を私が口にすると、全く予想していなかった場所の名がお菊さんの口から告げられた。


「忍術学園よ。」



end.