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『(…忍術、学園……?)』

聞き覚えのない名前に私は小さく首を傾げた。恐らくは名前からして、其処は忍者の学校であるのだろうと大体の予想はつく。けれど、そのような場所に私なんかが入ってもよいのだろうか。方や忍者、方や一般人である私に出来る仕事等、到底あるとは思えない。そう考えて不安に感じた私に気付いたのか、お菊さんは大丈夫よと微笑んだ。

「忍者の学校ではあるけれど、花ちゃんでも安心して出来る事ばかりだから。今、丁度事務員を募集していたそうなのよ。」
『(事務員、ですか…。)』

そう聞いて少し安堵する。事務仕事なら、私でも出来るかもしれない。

『(…ぁ、でも、あの…私、声が出ませんからあまり役に立たないんじゃ…。)』
「それなら心配ないだろう。学園の大半は読唇術を会得しているし、そこまで気にする事はないよ。」
『(そうなんですか?なら良かった…。)』
「それで花ちゃん、どうする?このお話、受けてみる?」
『(……はい!受けたいです!)』

コクリと大きく頷きながら答えれば、お菊さんはそんな私を見てクスリと小さく笑った。

「ふふ、解ったわ。それじゃあ、明日の為に早速準備をしましょうか。」
『(!明日…ですか。)』
「えぇ。文には出来るだけ早く来てほしいと書いてあるの。」
『(……そうですか。分かりました。)』
「…ふふ、今日は花ちゃんの為に腕を振るいましょうか。」
『(!ぇ、あ………。)』
「あっちで一段落したら、また何時で帰っておいで。」
「待ってるわ、貴女が帰ってくるのを。もう此処は、貴女の“家”も同然なんだから。」

ぽふりと頭を撫でる利吉さんと優しげな笑みを浮かべるお菊さんのその瞳が、とても暖かかった。その暖かな眼差しが嬉しくて、私は思わず涙を流してしまっていた。ポロポロと溢れ落ちる涙を指で掬いながら、私が泣き止むまで二人はクスクスと小さく笑いながら見守ってくれていた。



『(――…今までお世話になりました。本当に、ありがとうございます。)』
「あらやだ、それじゃまるで最後みたいじゃない。私、寂しいわ。」
『(えっ、あ、いえ!あの、そういうつもりじゃ…!)』
「母上、からかわないであげて下さい。」
「もう、冗談よ。本当に可愛い子ね!離れたくなくなっちゃうわ。」
『(ぇえっ!あああの…っ!)』
「母上…、」
「はいはい、分かってるわよ。」

お菊さんの寂しげな表情に慌てれば、今度はギュウッと抱き締められてしまった。それに私は驚いてオロオロとしていれば、利吉さんが呆れたようにお菊さんを咎めて離してくれた。

「花ちゃん、体調には気を付けてね。くれぐれも、無理はしない事!辛い事があったら、一人で抱え込むような真似は絶対にしないで、周りに頼りなさい。」
『(…はい。)』
「それから、たまには顔を見せに来てちょうだいね。何時でも待ってるから。」
『(!……、はい!)』
「ふふ、良い返事と笑顔ね。…それじゃ、頑張りなさい。」

ポンポンと優しく私の頭を撫でてから手を退けると、お菊さんはとても綺麗な笑顔で私にこう言ってくれた。

「“いってらっしゃい”」
『(…っ!……、…“いってきます”…っ!!)』

ぐっと、溢れそうになる涙を堪えて私は精一杯の笑顔を返した。そんな私の表情を見て優しげに微笑むお菊さんに背を向けて、私は歩き出す。随分進んだ先で一度だけチラリと後ろを振り返れば、お菊さんは変わらずその場から私達に向けて小さく手を振ってくれていた。それに再び溢れそうになった涙をを必死に堪え、前へと向き直る。
すると、隣からポンッとたった一度だけ、私の頭が撫でられた。
たったそれだけの事なのに、私があれだけ堪えていた涙が呆気なく簡単に頬へ溢れ落ちていく。けれど私はそれを拭う事をせずに、ただただ涙を流していた。

『(……もう、私ってば泣いてばかりだな…。)』

この暖かな人達の優しさに触れてから、私の涙腺が弛くなったような気がする。でも不思議と嫌な気持ちにはなれなかった。寧ろじんわりと暖かな気持ちへと変えさせてくれるのだから、とても心地が良い。

『(…本当、お菊さん達に出逢えて良かった……。)』

そう改めて心の中で感謝しながら、私は一人小さく微笑んだ。




陽がすっかり高い位置へと上り切った頃、私達は大きな森の前にいた。いや森、と言うよりは山に近いのかもしれない。

「この森を抜ければ、忍術学園につくよ。」
『(この先に…。)』
「足は大丈夫かい?疲れていたら遠慮せずに言ってくれよ。」
『(大丈夫です!まだまだ平気ですよ。)』
「はは、そうか。よし、なら行こうか。学園まであと少しだ、頑張ろう。」
『(はい!)』

コクりと大きく頷く私を確認してから、利吉さんは微笑んで歩き出す。その後を追い掛けるようにして付いて歩き、私達は森の中へと足を踏み入れた。森の中は生い茂る木々のせいで日の光が疎らで、少し暗く肌寒い。それでも不気味に感じる事はなく、寧ろ辺りに漂う森の香りが心を落ち着かせてくれた。森の中をゆっくり見渡しながら、私は直に着くであろう忍術学園の事を考える。
学園には一体どのような人達がいるのだろうか。
私は、そこに上手く馴染む事が出来るだろうか。
ふつふつと小さな不安が浮かび上がってきて、私は無意識の内に緊張し始めていた。ドキドキと強張る心臓の鼓動を感じながら、私は利吉さんに尋ねた。

『(…あの、利吉さん…、)』
「ん?どうしたんだい?」
『(…あの、忍術学園って、どんな場所なんでしょうか?)』
「どんな?…うーん…そうだな、一言で説明するのは難しいかな。なんせ、あそこの人達は皆個性豊かだからね。」
『(個性豊か…ですか。)』
「あぁ、良い意味でも悪い意味でも癖のある奴が多いからね。けど、皆面白いし良い人達ばかりだから、毎日楽しいと思うよ。」
『(そうですか…何か、凄い印象を受けますね、学園の人達は…。)』
「だろう?だから、不安に感じる事はないよ。花ちゃんなら直ぐに馴染めるさ。」
『(ぇ…、何で…、)』
「顔、見れば分かったよ。花ちゃんは分かりやすいから。」
『(ぁ…。)』

クスクスと笑う利吉さんに私は恥ずかしくて顔を赤くする。
そんなに分かりやすかったのか、私って…。
パタパタと赤くなった頬を冷ますように手で扇ぐと、利吉さんが声を掛けてきた。

「もう少ししたら、学園が見えてくるよ。」
『(あ、はい。)』
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。リラックスして…、!」

笑みを浮かべて話していた利吉さんは、突然言葉を切るとスッと目を細めて森の奥へと視線を向けた。その様子に驚いていれば、利吉さんは私を背後にして庇うように前へ立ち、クナイを構える。

「――…誰か来る。」
『(………っ、……。)』

利吉さんの小さな呟きに思わずゴクリと息を呑む。
ガサリと草木の揺れる音が聞こえ、だんだんとその音は此方へと近付いてくる。結構なスピードで迫ってきたその音は、私達の目の前で一瞬止まったかと思うと、それは突然飛び出してきた。

「うわあぁぁあっ!!」

『(……っ!!)』
「なっ…!お前達は…!」

いきなりの叫び声にビクリと身体を震わせる。けれど、草木から飛び出してきた正体を目にして私達は目を丸くした。しかも飛び出してきた正体は利吉さんの知り合いのようで、彼は驚きで声を上げていた。

「乱太郎、きり丸、しんべヱ!!」

「「「あ!利吉さ〜ん!!」」」

森の奥から飛び出してきた正体は、小さな三人組の少年達だった。


end.