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日が傾き、学舎へと差し込む柔らかなオレンジが優しく部屋を照らし、包み込む。そんな一室に先程まで一人でいた立花は、ずっと走らせていた筆を置き一息吐いた。書き損じがないかを確認して、立花は漸く自身の背中にある温もりに問いかけた。

「いつまでそうしているつもりだ、名前。」
『……………。』

反応を示さない温もりの主に、立花は小さく息を吐いてその頭を軽く撫でた。ふわりと緩やかなウェーブを描くその髪質は、二つ下の後輩と双子なだけあってよく似ている。性格も兄譲りなのか、とてもマイペースなものだった。その証拠に、委員会を終えて一度帰ったかと思えば、ふらりと数刻前に戻ってきてピタリと背中に張り付き出した。一度声を掛けてみたが反応はなく、その内何かしら動くだろうと放ってみた。
だがそれでも微動だにしない後輩の姿に、立花は流石に違和感を抱いていた。

「何かあったのか?」
『…………。』
「………、」

何も答えない名前に、立花は彼女を背中から引き離して目の前に移動させる。唐突に移動させられた名前は、キョトリとした顔で立花を見つめていた。

「名前、答えるだけ答えろ。何かあったのか?」
『…いえ、何もありません。』
「じゃあどうしたんだ。くっついてきたりして。」
『…………別に…。』

フルフルと小さく首を振る後輩に、立花は疑問符を浮かべる。すると、そんな立花に応えるように名前はポツリと呟いた。

『ただ、立花センパイに甘えてみたかっただけです。』
「……は、」
『あと、構って欲しかったのかもしれません。』
「………。」

淡々と表情も変えずにそう言ってのけた名前に、立花は思わず呆けてしまう。大きな瞳でじっと此方を見つめてくる名前の頭を、取り敢えず撫でてみせた。すると、気持ち良さそうに目を瞑り、もっと撫でろと言うように頭を少し押し付けてきた。
それに立花は軽く笑いながら優しく撫で続ける。

「珍しいな。お前がこうして甘えてくるなんて。」
『…そうですかね。』
「お前は大抵、喜八郎の側に居るか一人で居るかのどちらかだろう。私の元へはあまり来ないからな。」
『そう言われればそうですね。』

頭を撫でられるのがよほど嬉しいのか、何時もより表情が柔らかい。心なしか、笑っているようにも見える。

『…いいな、と思ったんです。』
「何がだ?」
『滝や三木、タカ丸さん達が委員会のセンパイの話を楽しそうに喋ってるのを見て、いいなって…。』
「………。」
『きーちゃんも、時折楽しそうに笑ってるんです。同じ委員会なのに、違って見えるくらい。でも私は、そんな風に笑った事、殆どなくて…。』

笑っていた表情が、話す内にだんだんとなくなっていって、今度は少し眉を下げ浮かない顔に変わった。こんなに表情を変え、ましてや話す姿を見た事がない立花は少しだけ目を見張っていた。
だが初めて、こうして自分から話してくれた名前に、立花は嬉しくも思った。

『私はくのたまだから、きーちゃん達みたいにセンパイと一緒にいられる時間は少ないし、それにもう上級生になったんだから、下級生みたいに甘えてもいられない。』
「…そうだな。」
『必然的に皆より私は、あんな風に笑える程センパイと過ごせませんでした。…それに、センパイはもう半年も学園にはいられない。』
「…あぁ。」
『だから、余計に羨ましくなったんです。だから…甘えてしまいました。』

すみません、と謝る姿に撫でていた手を止めて離した。それに何を思ったのか、名前は少し顔を俯かせ小さく頭を下げる。そして部屋から出て行くように立ち上がり、立花に背を向け歩きだした。立花はその背に、間を置いてから一度溜め息吐き声を掛けた。

「何をしている。お前は甘えに来たのだろう。」
『………。』
「ほら、おいで。」

軽く腕を広げるように微笑む立花に、名前は若干戸惑った表情を浮かべる。戸惑いから立ち尽くしている間も変わらずに腕を広げる立花に、名前は恐る恐ると言った風に近寄る。そして立花の目の前に座り、暫し躊躇ってからきゅっと弱く抱き着いてみた。すると立花も優しく抱き締め、ポンポンとその背中をあやすように叩いた。
それに何だか無性に胸が熱くなり、名前は今度はぎゅうっと抱き着く。それに立花は可笑しそうに小さく笑っていた。

「甘えたいのなら甘えればいい。私が卒業すれば、あいつらのセンパイはお前達になるんだ。なら甘えられる時に、甘えていた方が賢いだろう。」
『………。』
「センパイになれば甘える事も出来ない。だが今は、お前も私の可愛い後輩には変わりないんだ。」
『…センパイ、』
「ん?」
『…………ありがとう、ございます…。』

すり、と額を押し付けながら名前は小さな声で言った。立花はそんな名前の頭を優しく撫で、彼女の気が済むまでずっと甘やかした。
その間、二人の姿をオレンジの優しい光が照らし続けていた。






――気紛れ猫の

不器用な甘え方…―







(……センパイ…あの…、)
(何だ?)
(…………頭……撫でて欲しい、です…。)
(お前は好きだな、頭を撫でられるのが。)
(…センパイだから…好き…。)
(…全く、可愛い奴め。)


end.