第九話

(1/1)




乃木くんが早退した日から、日向くんは二日も学校へは来なかった。乃木くんは学校に登校するものの、やっぱり日向くんが心配なのか何処か上の空な様子が多かった。三日目の今日も、日向くんの姿はない。副担任の先生が朝礼を進める中、私は日向くんの心配をしていた。三日も登校出来ない程、体調が優れないのだろうか。この三日間に乃木くんに聞いてみたが、やはり応えてはくれなかった。というよりは、乃木くんの顔色から見て恐らく彼もよく分かってはいないみたいだった。今日もダメもとでHR後に乃木くんに話しかけようとぼんやり考えていると、不意に教室のドアが音を立てた。自然と皆の視線が集まった先には、先程まで気に掛けていた日向くんの姿があった。数日振りに見た彼の姿に安堵するよりも先に、まず目についた怪我に目を丸くさせてしまった。それは皆も同じようで、口を閉口させて日向くんを見つめていた。特に仲の良い乃木くんが一番反応を示していて、思わずといった様子で立ち上がっていた。

「っ、棗…!」

集まる視線に苛立ったのか舌打ちを鳴らし、一度だけ教室内を睨みつけると乃木くんの隣へ腰を下ろした。その時に小さく何かを乃木くんに言っていたが、彼はまだ不安げな表情を浮かべていた。ぎくしゃくとした空気の中、副担任の先生は早々に朝礼を切り上げ逃げるように出て行った。直後ざわつく教室内はいつもより控えめな気がするのは、気のせいではないだろう。昨日まで乃木くんの元へ集まっていた女子達も、流石に日向くんの様子に気圧されたのか近付こうとはしなかった。

「棗くーん!心配したのよー!」
「怪我してる!大丈夫ー?」

…一部を除いて、ではあるが。
正田さん達、凄いな…。


結局あの後正田さん達はあしらわれ、私も日向くんに気圧されて近づけなかった。もう既に3限目を終えた休み時間で、中々話し掛ける勇気が出ない。緊張し過ぎて、今までどうやって話し掛けていたのかすら分からなくて頭の中をぐるぐるとさせる。まだたった数日だけど、よくめげずに声を掛けられたなと自分を称賛してしまう程だった。元々緊張しいの自分が更に意識して緊張してしまえば、行動に起こすなど容易なものではない。

『(ぅ、うー…!もう、諦めようかな…で、でも…、)』

ぐるぐると考えながら、私は手元にある一冊のノートに目を落とした。これは日向くんが休んでいた間のノートをとっておいたモノだ。必要ないかもしれないけれど、一応はと思って作ったのだ。だがやはり今までノートをとっている姿を見た事がないし、無駄かもしれない。小さくうんうん唸っていれば、その様子を見ていた心読みくんが呆れたように笑っていた。

「まだ悩んでるの?渡してきちゃえばいいのに。」
『ぅ、でも…近づきずらくて…。』
「まぁ確かに、オーラが凄いよね。」
『うん……、……〜〜〜っ………、……よ、よしっ!』
「お、頑張れ〜。」

散々悩んで漸く決心が着いた私は、ノートをぎゅっと胸に抱いて立ち上がる。ニコニコと笑いながら見送る心読みくんを背に、ゆっくりと日向くんへと近づいた。短いこの距離で心臓をバクバクと鳴らし、ちょっとだけ既に逃げたい気持ちが湧き上がる。それでもなけなしの勇気を振り絞って、私は日向くんに声を掛けた。

『…ぁ、あの…っ、ひゅ、日向くん…!』
「……。」
『あの、ぇと…! こ、これ…!』
「……。」
『っ、休んでた分のノートっ、い、一応取っておいたの…っ。』

自分でも分かるくらいに声が震えてしまっていて、あまりにも情けない。そっと遠慮がちに抱えていたノートを彼の前に置けば、一度だけ視線をノートに寄越して再び興味なさげに目を閉じてしまった。やはりと言うべきか、予想通りの反応に怯みそうになる気持ちをぐっと堪え、たどたどしくも言葉を繋げた。

『その、い、いらなかったら、捨てて下さい…!』
「……。」
『…っ、』

相変わらず無反応な彼にこれ以上話し掛けるのが悟れて、戻ろうかと思考を巡らす。しかしずっと気になっている怪我の具合を聞きたくて、足はその場で踏み留まっていた。数秒迷った挙げ句に意を決して、私はもう一度日向くんに話し掛けた。

『…ぁ、の……、怪我、大丈夫……?』
「……。」
『…っ、ぇと、ず、ずっと休んでたから、その…、』
「……チッ、うぜぇ。さっさと散れ。」
『っ、ぁ、ご、ごめん…!』

舌打ちと共にガッと机を蹴る音が聞こえて、思わずビクリと肩を揺らす。下に下げていた視線を思わず上げれば、眉間に皺を寄せこちらを睨んでくる彼と目があった。見るからに機嫌の悪い日向くんに咄嗟に謝ってから、逃げるように私はその場を離れた。あの時すぐに戻っていれば彼を苛つかせずに済んだと思うと、後悔の念しか浮かばなかった。



今日の午後からは能力別クラスの授業が入っていて、私は自身のクラスへと足を運んだ。教室には既に皆集まっていたようで、各々楽しそうに過ごしている。その様子から察するに、どうやら担任の野田先生はタイムトリップしてしまっているらしい。いやでも、野田先生がいても皆自由気ままにしているけれど。それでも野田先生の周りには必ず輪が出来ているから、やはりとても慕われているのだ。今日はアリスの訓練が出来ないと知り、どうしようかと悩んでいると先輩達に名前を呼ばれた。笑顔で手招きする先輩達に近寄れば、原田先輩に頭を撫でられる。

「どうした?何か元気なくないか?」
『え、そ、そんなことないです…。』
「そう?何かあったら遠慮せずいいな、いつでも聞いたげるからさ。」
『はい………、』
「ん?」
『ぇと…、やっぱり、相談してもいいですか…?』
「勿論!どうしたんだ?」

原田先輩の優しさに甘えて、私は日向くん達の事を相談してみた。どうやったら仲良くなれるのか分からないと、今までの事を話しながら零せば、私の話を聞いていた安藤先輩が会話に入ってくる。最近転校してきた奴等か?と、確認するように問われて私ははいと頷いた。すると安藤先輩は僅かに眉を顰め、あまり浮かない顔をする。その表情を不思議に思えば、原田先輩も少し困ったような、少し迷うような表情をしていて私は小さく首を傾げた。

『あの、先輩…?』
「あぁ、ごめんな。ちょっと…何て言えばいいかなってな…。」
『…?』
「…あくまで噂なんだけどな、そいつ等の事で善くない話がチラホラ上がってんだよ。」
「おい、翼…。」
「どーせ遅かれ早かれ耳にするだろ、この学園じゃ尚更な。」

安藤先輩の言葉に原田先輩が咎めように言うが、安藤先輩は構わずに話を続けるようだ。日向くん達の善くない噂が流れているなんて知らなくて、私は目をパチリと瞬く。安藤先輩の次の言葉に何となく心して構えていれば、予想以上に噂の内容は酷いものであった。

「──日向 棗は人殺しだって噂が流れてる。」
『……、…え…?』

安藤先輩が聞いた話では、日向くん達が学園ここに来る前に住んでいた町で大きな火事が起きたそうだ。出火原因は至る所で突如同時に発生した事から、炎のアリスである可能性が高かった。しかも火事現場を駆け回る日向くん達の姿を多くの町人達が目撃したとの証言もあり、ほぼ犯人確定だと言われているらしい。実際の所どれ程の被害だったのかは定かではない。けれど少なくとも町が炎のアリスにより火事になった事から、日向くん達、正確には日向くんが「人殺し」だなんて噂が流れてしまっているそうだ。

『(…日向くん、が……?)』

その噂を初めて聞いてまず思った事は、それは本当なのだろうかと言う疑問だった。少なからず最初はショックを受けたし、一瞬でもその噂を間に受けてしまった。けれどふと思ったのだ。仮にその噂が事実であるとして、なら何故日向くん達は学園ここへ入ってきたのだろうか。いくらアリスとは言え、流石に罪を犯した人を入学させはしないだろう。外の世界にもアリスを活かして活躍する大人達がいるのだ。きっと警察にもアリス専門の犯罪部署が存在する筈。けれど日向くん達は学園ここへ連れてこられた。もしかしたら私が考え付かないだけで、何かしらの制約を受けて日向くん達は他の生徒と同じように過ごせているのかもしれない。多種多様なアリスが存在するのだから、そういった特殊なアリスがあってもおかしくはない。でもそうまでして学園ここへ連れてくる意味はあるだろうか。更生させるにしたって、それこそ外の世界で更生させてから学園ここへ入学させても構わないだろう。それとも、どうしても学園ここへ入学せざるを得ない理由でもあるのだろうか。若しくは学園側にそうせざるを得ない理由があるのか。色々考えを巡らせた所で、結局は噂の真相は当事者達にしか分からないのだが。

『(…今でも怖い、とは思う事あるけど…。)』

確かに日向くん達の態度を見ると良い印象は受けず、下手したら噂は真であると思う人も少なくないだろう。まるで自分達以外は敵だと言わんばかりに警戒して、拒絶して、誰も近付かせないように距離を取る。鋭い目付きを更に細くさせ睨まれると、どうしても怖じ気づいてしまう。でも怖いとは思っても、出来るなら仲良くなりたいと思っていた。それは噂を聞いた今でも気持ちは変わらなくて、寧ろそんな噂が流れてしまっている事のショックの方が大きいかもしれない。まだほんの数日しか共に過ごせていないし、日向くんに至っては暫く教室へ来ていなかった。久しぶりに今日登校してきたかと思えば、何故か傷だらけの状態で何時も以上にピリピリとした雰囲気を醸し出していた。既に噂を耳にしている生徒からしてみれば、きっと更に不安を煽ったかもしれない。でも、きっと私がその時既に噂を知っていたとしても、日向くんの傷の具合を心配していたと思う。パートナーとして任命されてから、日向くん達を気に掛けていたから分かるのだ。二人はお互いを凄く大切にしている。日向くんのそれは分かりづらいけれど、比較的分かり易い乃木くんの表情や態度から日向くんをとても気に掛けているのが伝わってくる。日向くんもそんな乃木くんをまるで何かから守るように、常に周りを警戒している様に見えた。あの鋭い目も乃木くんと話す時だけは、少し和らいでいるのを何度も見た事がある。そんな二人の姿を見て、たまに思うのだ。二人は周りの人達に冷たいけれど、それは自分達を守る為に距離を置いているんじゃないかって。以前いた町での出来事が、どういった経緯か分からないけれどあんな噂になって流れてしまうくらいだ。必然と周りの人達は彼等を遠ざけ、中には非難を浴びせる人達もいただろう。噂になんてなってしまえば尚更、真偽など関係なく日向くん達は非難に晒される。そんな状況に立たされれば、誰だって自分達の身を守る為に常に周りを警戒しなくてはならない。そんな状況に追い込んだのは、紛れもなく周りの人達だ。だったら、その警戒を和らげるのも周りの人達にしか出来ない。ずっと周りに気を張っていては、何時しか絶対に疲れてしまう。それを学園ここを出るまでずっとするのは、きっと凄く辛いし悲しいと思う。なら少しでもいい、私に出来る事なんてもしかしたら何もないのかもしれないけれど。それでも、ちょっとでも学園ここで過ごす時間の中で楽しいと思えるような時を感じて欲しい。そんなお手伝いが少しでも出来たらいいなと、私は改めて思った。

『…それでも、やっぱり私は、仲良くなれたらいいなって思うんです。』
「……、」
『へ、変ですかね…?』

噂の内容を聞かされた上で、私が感じた事、思った事を拙いながらに言うと、先輩達はジッとこちらを見つめてきた。自分でももしかしたら変わっているのかな、と思う所があるので先輩達の反応が少し居たたまれない。目線を下にずらしてどうしようか悩んでいると、安藤先輩から深い溜息が聞こえてきた。かと思えば何処か呆れたような笑いを溢して、ぽんと私の頭を一撫でする。それに顔を上げると、笑い声と同じようにその表情も呆れを滲ませていたが、少し嬉しそうな柔らかい表情を浮かべていた。

「いや、いーんじゃねぇか? 所詮噂は噂だしな。」
「それに、花のその考え方嫌いじゃないよ。寧ろいいなってあたしは思うな。」
『ほ、本当ですか…?』
「おう。これからもお前らしくそいつ等と関わってやれ。但し、もし何かされたりされそうになったらちゃんと逃げろよ。相談だって何時だって聞いてやるからな。」
『ぁ、ありがとうございます!』

私の考え方を否定せず受け入れてくれた先輩達に、嬉しくなって顔がつい緩んでしまう。先輩達みたいに私の考え方に共感してくれる人達は、きっと他にもいる筈だ。そんな素敵な人達もちゃんといるんだって、少しでも早く気付いてもらえるようにもっと頑張ってみよう。まだまだ道のりは長いけれど、もう一度勇気をもらった私は小さく気合を入れ直した。



end.