第二話

(1/1)




『──……、?』

長い眠りから意識が浮上し、あやめはゆっくりと目を開いた。目覚めたばかりの頭はまだぼんやりとしていて、記憶が朧気だった。次第に覚醒していく脳が最初に認識したのは、見覚えのない天井。そしてだんだんと、脳が最後の記憶へと切り変わっていく。はっきりと思い出せた頃には、あやめは見知らぬ部屋から抜け出して居た。

『おとうさん…っ、おかあさんっ…? どこ…っ?』

外へと出れた所で、あやめは広がる景色に立ち止まった。最後に見た記憶とは違った、緑の豊かな山の中に驚いてしまう。現状に理解が追いつかないあやめは、ただ呆然としている事しか出来なかった。

「──────!」
『……、?』

不意に背後から不思議な音が聞こえた。それに反応すると同時に、あやめの肩に誰かの手が置かれ体の向きを変えられる。振り返った先に居たのは、自身よりも少し年齢の高い男の子だった。

「──、────?」
『…? なに…?』
「! ───?」
『…??』

男の子は眉を少し下げた、まるで心配そうな顔であやめに何かを言ってくる。だがあやめは、言葉なのかもよく分からない呪文のような音に、首を傾げるしかなかった。すると男の子は今度は驚いた表情に変わり、また何かを言っている。そして今度はあやめの手を取って歩き出した。その間も何か話掛けてきていたが、全く分からないあやめは手を引かれるまま、男の子に着いて行く事しか出来なかった。
連れて来られた先にあったのは、小さな畑だった。そこには二人の大人が農作業をしていたようで、あちこち土で汚れていた。あやめはそんな大人の後ろ姿に、記憶にある両親の姿と重なって見えてしまった。思わず駆け出そうとして、振り向いたその顔に足が止まる。その顔は両親のものではなく、見知らぬ男性と女性のものだったからだ。あやめは両親ではなかった事に落ち込んで、顔を俯かせた。聞こえてくるのは、やはり知らない音で会話をするモノで、あやめはますます落ち込んでいく。

『…っ、おとうさん、おかあさん…どこにいるの…っ?』

いつの間にか緩んでいた涙腺は、涙声となった自身の言葉で気付いた。だが気付いた所で幼い少女には涙を止める事は出来なくて、ポロポロとその大きな瞳から滴を溢した。突然泣き出してしまった事に男の子は焦ったのか、オロオロと隣で何かを言っている。恐らく慰める言葉を吐いているのだろうが、あやめにはそれに気付く余裕はなかった。泣いてしまった事で、溜まっていた感情が溢れ出してしまったのだ。
──もう、本当は判っているのだ。両親が死んでしまったのだということに。
けれどそれを認めたくなくて、まだ何処かに居るのではないかと、無意味な希望を抱いていた。でも、それはあり得ないのだと、目の前の大人の姿を両親と重ねてしまってから、漸く気が付いた。“勘違い”ではなく、“重ねて”みた時点で、きっと自分は無意識の内に両親の死を理解してしまっていたのだ。
ポロポロと止まらない涙を手のひらで拭っていると、フワリ優しい掌が頭に置かれた。そのまま髪を梳くように撫でられて、あやめは徐に顔を上げた。目の前には柔らかな微笑みを携えた女性が居て、ただただ何度も頭を撫でられる。それにあやめは泣くのを止めて、きょとりと女性の顔を見つめた。

「何か、怖い事にあったんだね。」
『…! ことば…』
「日本から来たのかな?」

先程とは違って、聞き慣れた日本語が女性から紡がれる。傍に寄ってきた男性も、あやめと目線を合わせて日本語を紡いだ。パチパチと目を瞬かせてから、あやめは恐る恐る話し出した。

『…、わ、たし、おとうさんと、おかあさんといっしょに、おうちからでたの…。』
「ご両親と?」
『ん…あたらしいおうちにいくんだって、おうちはあぶないからって、いってたの。こんどのおうちは、うみをわたったところにあるって…、いってた…っ。』
「…何か、あったのね。」
『っ!! ぅえっ…、ん゙っ、そ、そじたらっ、おどっ、おどう、ざんが…っ!おがっ、ざんも…っ!!』
「うん…、」
『ひっぐ…、ご、ごわい、のに…っ!! こわい、おばげみたいな、っへんなのに゙っ、ご、ろされ…ちゃ…っ!!!』
「…もう、いいわよ。大丈夫、わかったから…。」
『ひっ、ぅえっ、…い゙、なぐ、なっちゃっ…た、…っ、し、しんじゃっ、だぁ…っ!!!』
「…っ、」

伝えていく内に、あの時の出来事が鮮明に思い出せて、止まりかけた涙がまた溢れ出した。嗚咽混じりの聞き取りづらい言葉達を、二人の大人はしっかり受け止めた。あまりにも痛々しい幼子の姿に、女性は宥めるように抱き締めた。男性も少女の頭を優しく撫で回す。再び泣き出した女の子に戸惑っていた男の子は、酷く不安定に見える女の子の手をただキュッと握ってあげていた。



暫くしてから、女の子は泣き疲れてしまったのか、女性の胸の中で眠ってしまっていた。そんな少女の姿を見ながら、二人の大人はある決断をしていた。

「この子は、ウチで引き取りましょう。まだ、とても小さいもの。」
「…そうだな。こんなに幼い子は、流石に放ってはおけん。」
「…父さん、母さん。この子、ウチに来るの?」
「そうだな。何だ、嫌か?」
「ううん!嫌じゃ無くて…その…。」
「…あぁ、言葉の事か? 何、心配せずとも、少しずつ教えていくさ。」
「…さっきの言葉は、何処の国のですか?」
「日本よ、あれは日本語。」
「日本…。」

日本と聞いて、男の子はまず鎖国の島だと思い浮かんだ。初めて見る外人に、男の子は興味深けに少女を見る。容姿は自分達と殆ど変わらないアジア系で、若干顔立ちは幼い気がする。最もまだ幼い少女なのだから当たり前なのだろうが、何となく顔の造りがそんな風に感じた。そして何より印象的だったのは、少女の瞳の色だった。自分達と違って少女の瞳は、深い蒼色をしていたのだ。初めて見る瞳の色に、男の子は暫く魅入ってしまう程綺麗だと思った。日本人は皆、そんな綺麗な瞳をしているのだろうか。
だから女の子が泣いてしまった時、酷く動揺してしまった。綺麗な瞳は涙に濡れて、思わず溢れ落ちてしまうのではないかと思う程、大きな瞳から大粒の雫が落ちたから。言葉は判らなかったけれど、女の子と両親の表情から少女が辛い目に遭ったのだと理解出来た。自分よりうんと幼い女の子が、自分には想像も出来ないような体験をして傷付いている。両親の話から察するに、この子は独りぼっちになってしまったのだろう。だからこれからはウチで一緒に暮らしていく。もうこの子には、守ってくれる存在がいないのだ。だったら、これからは…。

「父さん、母さん。僕がちゃんと、この子を守るからね。」
「! コムイ…、」
「詳しくは解らないけど、もうこの子を独りぼっちにさせないようにするからね。安心して。」
「…ふふ、頼もしいわね。今日から貴方は、この子の“お兄ちゃん”ね。」
「! うん。“妹”は任せてよ。」

僕には大切な人を失う辛さは判らない。でも、想像しただけでも血の気が引くような恐ろしさを感じたから、きっと相当なショックだろう。幼心に絶望感を覚えてしまったかもしれない。だからね、今度はそんな君を僕が、僕達が守っていくから。少しでも心の傷が癒えるように、僕達が今日から君の“家族”になるからね。

「ねぇ、僕にも日本語教えて?」

だからまず、君に歩み寄れるように僕も日本語を憶えるよ。そしていつか、君の故郷の言葉で、君と色んな話をしてみたいから。一杯、君の事を教えてね。


end.