第四話

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「ねーちゃっ!」
『リナリー!』
「あらあら。」

あれから少しずつ家族として互いに歩み始めて、当初では想像も出来なかった温かな暮らしをあやめは送っていた。その後無事に生まれた女の子の赤ちゃんもすくすくと成長していき、早いものでもう2才になっている。あやめは未だに、当時の生命の誕生の瞬間をよく覚えていた。初めて赤ちゃんを抱っこした時、とても小さく、とても弱々しく、けれどとても愛おしい存在に今までにない感動を覚えた。暫くはその可愛さからコムイと一緒に赤ちゃんの側を離れられず、二人に可笑しそうに笑われてしまった。コロコロと変わるリナリーの表情は本当に可愛くて、ついつい構いたくなってしまう。そのせいか、最近リナリーはあやめやコムイの跡をついて回るようになった。日中はコムイが学校へと通っているから、その間は必然的にリナリーはあやめの跡をついてくる。今もリンファ達の畑仕事を手伝う為に外へ出ていれば、お昼寝から目覚めたリナリーがあやめの元へやって来た。軽く土を払い、駆け寄ってくる妹に腕を広げて見せる。するとリナリーは、パァッと可愛らしい笑顔であやめに抱き着いた。

『どうしたの?』
「にーちゃ、じかん!おむかえ!」
『え、もうそんな時間?』
「あら、じゃあ二人でお兄ちゃんをお迎えしてくれる?」
「俺達はもう少ししたら上がる。」
『うん、じゃあお迎えしてきます。父さん、母さん。』
「おむかえ、してきます、とうさん、かあさん!」
「ふふ、お願いね。」

二人にそう言えば、リナリーも姉の真似をして同じ事を口にした。どうやら今頃の時期は色々と真似っ子をしたがるらしく、よく誰かしらの真似をしては楽しんでいる。その様子を微笑ましく笑いながら、リンファ達は二人を見送った。
お迎えと行っても、この村の入り口まで行くだけで大した距離ではない。その道中、村の中心を必ず通らなければならないのだが、あやめにはそれが少しだけ憂鬱だった。決してこの村が嫌な訳ではなくて、いい人が沢山いてとても好きだ。けれど、数こそ少ないが中にはどうやらあやめの存在を毛嫌いしている人達もいた。小さい村だから、素性の知れない余所者をよく思わない人も少なくない。その中でも殊更露骨に体現していたのは、あやめと同じくらいの子供達だった。

「あ、また来やがった!蒼目女!」
「気持ち悪ぃ目!」
『……、』
「おい!無視すんな、化け物女!」
「…ねーちゃ…?」
『…、ごめんね、リナリー。何でもないよ。行こう。』

次々と浴びせられる暴言に耐えていれば、不安そうなリナリーの目があやめを見る。まだ幼いリナリーにはきっと意味が分かっていないのだろうが、それでも嫌な雰囲気には気付いていた。少しでも早くリナリーをこの場から遠ざける為に、あやめは足早で道を抜けようとする。しかしそれが気に食わないのか、リーダー格の男の子が行く道を塞いできた。

「無視すんなって言ってんだろ!化け物!」
『……どいて下さい。』
「ハッ、ヤだね!お前が村からさっさと出てけばいいだろ!」
『……、』
「お前のせいで、この村は呪われてるんだ!さっさと出てけ!」
「そうだ!そんな気持ち悪い目してっからだ!」
「出てけー!」
『……、……。』

まるで囲うように回りから暴言を吐かれ、あやめはぐっと歯を食いしばった。少しでもリナリーの耳に汚い言葉が入らぬように、ギュッと抱き締める。リナリーも不安からあやめに抱き着き、顔を埋めていた。
この村に来てから、時折こんな風に村の子供達から軽いイジメを受けていた。でも今までそれはあやめが一人の時にしかなかったので、こうやってリナリーが巻き込まれたのは初めてだった。きっとそれは、ここ最近不可思議な事件が多発しているせいで、気が立っているのだろう。その事件と言うのが、奇しくもあやめがこの村へとやってきた後から起き始めたのだ。
“今まで平和だったこの村は、突如やってきた少女に呪われてしまったんだ。少女のあの目は呪われているに違いない。”
次第にそんな風に一部の村人から蔑まれるようになり、それが子供達の耳にも伝わってしまった。それからと言うもの、こうして事あるごとにあやめに絡んでは暴言を吐き、酷い時には石まで投げられる事もあった。
どうにかして早く抜け出さないと、リナリーが可哀想だ。いつもと違う村の子供達に、リナリーの体は小さく震えている。あやめはそんなリナリーに心の中で謝りながら、必死にどうするか考えた。

「気持ち悪い化け物女!」

「──君達、僕の大事な妹達に何してるの?」

『…!ぁ…、』
「げ、コ、コムイさん…!」
「やべっ…!」

その時不意に聞こえてきたのは、何時もより低めの声の、けれど聞き馴染んだコムイの声だった。何時もだったら待っている筈のあやめ達が居なくて、心配してきたのだろう。

「凝りずにまたやってるって事は、そんなに僕の実験体になりたいんだね?それならそうと言ってくれればいいのに!何時でも大歓迎だよ!」
「あ、いや、そのっ、」
「実は今日は科学の実習授業があってね!好きに作って良いって言われたから、沢山作ってみたんだよ!けど、まだどんな効果があるのか判らないから困ってたんだ〜!助かるよ!さぁ、どれを試して見たい?さぁさぁ!」
「「「ゔっ、ご、ごめんなさい…っ!!」」」
「あれ、遠慮しなくてもいいのに〜!」

先程の低い声とはうって変わって満面の笑みを浮かべると、コムイは饒舌に喋り始めた。ニコニコと笑っているのが逆に恐怖に感じたのか、子供達は一気に顔を青ざめさせる。そして怪しげな小瓶を勧められると、一目散に逃げ出した。それにコムイは不満げに唇を尖らせてから、ゆっくりとあやめ達に近寄った。

「大丈夫?」
『…うん。私は平気。でも、リナリーが…。』
「ねーちゃ、にーちゃ…っ!」
「もう大丈夫だよ、リナリー。怖かったね。」
「ふぇ…っ!」
『リナリー…、』

顔を上げたリナリーの瞳は潤んでいて、コムイが抱き上げたと同時に泣き出してしまった。よほど怖かったのだろうと思うと、あやめは酷く罪悪感に襲われた。自分が早くあの場を抜け出せれば、そもそも自分がこんな“目”をしていなければリナリーを悲しませる事は無かったのに。あやめはこの村でイジメを受け始めてから、自身のこの目が大嫌いだった。皆とは違う蒼い目。自分だけ異質に見えるこの目が、嫌で嫌で仕方がなかった。それからと言うもの、あやめはその目を隠すように前髪を出来るだけ伸ばしていた。泣いているリナリーの姿に胸を痛めていると、コムイは優しくあやめの頭を撫で出した。キョトリと上を見上げれば、苦笑するようにコムイがこちらを見つめていた。

「平気なわけないだろう?そんな泣きそうな顔をして。」
『ぇ、あ…。』
「頑張ったね。リナリーを守ろうとしたんでしょ。偉いね、お姉ちゃん。」
『…うん。』
「でも、もう我慢しなくてもいいよ。辛かったね。」
『…う、ん…っ、』
「ほら、おいで。」
『…っ!』

リナリーを抱えたまま、コムイはしゃがんで片腕を広げた。優しい顔で呼び寄せるコムイに、あやめは耐えていた涙で瞳を潤ませ抱き着いた。いくらお姉ちゃんとして、妹を守る為に耐えていたとしても、あやめもまだ7才の幼い女の子だ。暴言を吐かれればそれだけ傷付くし、涙だっていっぱい流す。キュウッと抱き着いてくる妹達に優しく微笑みながら、コムイは二人をあやしつけた。

「僕はね、あやめ。あやめの瞳が好きだよ。」
『ぅ、…ひっく、でも…っ、』
「とても綺麗な瞳だよ。あやめの瞳は、まるで海みたいにキラキラしてて素敵だよ。」
『っ、…ぅ、み…っ?』

以前から瞳の色を気にしていたあやめに、コムイは気付いていた。隠すように伸びた前髪を分けて瞳を覗き込みながら、ずっと思っていた事をあやめに伝えた。初めて見たあの日から、あやめの瞳はまるで海のようだと思っていた。

「それに僕だけじゃない、父さんも母さんも、リナリーだってあやめの瞳を綺麗だと思ってるよ。」
『…でもっ、私だけ、違うのやだ…っ!』
「…じゃあ、僕もあやめと“一緒”になってあげる。」
『ぐす、? どういう…?』
「見ててね。」

不思議そうに見つめてくるあやめに、コムイは鞄から小瓶を取り出してその中身を飲み込んでみせた。それにびっくりして不安そうに見ていれば、ふとコムイの瞳に変化が出始めた。黒曜石のように綺麗だったその瞳が、徐々に茶色く色素を変えていく。その様を食い入るように見つめ、完全に変わってしまったコムイの瞳の色にあやめはポカンと呆けてしまった。

「…どう?」
『目が…茶色くなった…?』
「え!? 茶色!? …ん〜?もしかして、配合が違ったかな…。」
『え…??』
「本当はね、あやめと同じ色になるつもりだったんだけど…。」
『私と…? …この、目?』
「うん。あやめとお揃いの、綺麗な蒼い目。」
『………、』

どうやら予定では蒼く変わるらしかったその茶色の瞳で、コムイは苦笑した。あやめは今起きた事にぼんやりとしていたが、すぐにハッとなってコムイの腕に掴まった。

『ぇ、だ、大丈夫なの…?痛くなったりしない? も、元に戻らないの…?』
「え?大丈夫だよ。何ともないから。それに、数時間したら元に戻るよ。」
『そ、っか…よかった…。』
「…あやめ、」
『よかった…お兄ちゃんまで、イジメられるの、やだから…。』
「…、ごめんね。そんな顔させるつもりじゃなかったんだ。」

元に戻ると聞いた時の、安堵したような、泣きそうな顔にコムイは驚く。この子は自分と同じような瞳の仲間が出来る嬉しさよりも、同じように異端視される恐怖の方が怖かったらしい。そんな心優しい妹をコムイは優しく撫でた。

「ただあやめと“一緒”になって、独りじゃないよって言いたかっただけなんだ。」
『…、私と一緒…。』
「それに、イジメになんか負けないよ。この色んな薬で追い返しちゃうからね!あやめもさっき見ただろう?あの子達の青ざめた顔!全く失礼しちゃうよね!」
『…、確かにお兄ちゃんのお薬は怖いかも。』
「あ、酷い!ただちょっと体に変化が出るだけで、危なくはないのに〜…。」
『ふふ…。』

確かに先程の薬を勧めているコムイは、ちょっと怖かったかもしれない。そう素直に思った事を口にすれば、コムイはしょんぼりと大袈裟に拗ね始めた。そんな兄の姿にあやめは思わず笑ってしまった。

『…お兄ちゃん、ありがとう。』
「んー?」
『私とお揃い、凄く嬉しい。』
「…ホント?」
『うん!』
「よかった。本当は出来るならこのまま変わっていたいけど、限界があるからね。ずっと“一緒”じゃなくてごめんね。」
『や、ずっとは駄目!』
「え、あやめ?」
『だって私、お兄ちゃんの目、好きだもん!だから、ずっとじゃなくていいの!』
「あやめ…、」
『父さんや母さんや、リナリーの…皆の目、好きだから…。』
「…僕達も、同じだよ。」
『え?』
「あやめの気持ちと同じように、僕達もあやめの目が好きだから。だから、自分の瞳を嫌いにならないで。」
『…ぁ、』
「すぐには無理かもしれないけど、少しずつ好きになってあげて。本当に素敵だから。」
『……ん、頑張る。』

コクリと頷けば、ポンポンと頭を撫でられた。立ち上がったコムイに手を差し出されて、あやめは自然とその手を握る。

「それじゃあ、帰ろうか。リナリーも眠ってしまったみたいだ。」
『うん。』
「帰ったら父さんと母さん、僕の目を見てどんな反応するかな。」
『きっと凄くびっくりしちゃうよ。お、怒られない…?』
「大丈夫だよ、あやめとお揃いにしたんだって言えば、二人共呆れたように笑うと思うよ。」
『呆れちゃうの…?』
「うん、苦笑されるだろうね。」

ゆっくり帰路を歩きながら、二人は両親の反応を思い浮かべ笑い合った。そしてそれはコムイの予想通りになってしまい、呆れたように、けれど微笑ましそうに笑っていた。その時にリンファから言われた言葉に、あやめは照れてながらも自分も同じ事を口にした。

「本当にコムイはあやめが大好きなのね。」
『…私も、お兄ちゃん大好き…。』
「〜〜!!」
『わぷっ…!』
「あらあら、ふふふ。」

口にした瞬間、コムイにギュウッと抱き締められ暫く離れてくれなかったのは言うまでもない。


end.