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彼女が航海に出てから、これで何度目だろうか。数える事すら止めてしまったそれは、もう8年の月日を要していた。幼かった少女は立派な女性として成長し、その分行動力が増して一度の航海でかなりの成果を出せるようになった。今回も長旅から帰ってきた彼女は良い収穫だったようで、笑顔でウチに会いに来た。けれど同時に、今までとは違って何処か悲しそうな、淋しそうな様子が窺え知れた。彼女が虚勢を張っているのを見たのは、まだ不慣れな航海に出ていた頃以来だ。それとなく心配して問うてみたが、曖昧に笑って答えない彼女にそれ以上聞くのを止めた。代わりに軽く抱き締めるだけに留めて、ウチは彼女を見送った。

『(今回は長かったからな…もしかしたら、気の置けない奴でも出来たか…。)』

もしそうだったのなら、どれだけの苦痛を味わったのだろうか。こんなしがらみさえなければ、きっと素敵な巡り合いだったろうに。だがその苦痛も直に味あわなくて済むかもしれない。あと一度の航海で全てが終わると、彼女は言っていたのだ。

『(…あと少し耐えれば、きっとチャンスが出来る筈だ。そうすれば、やっと…。)』

彼女の、彼女達の長く辛い戦いに終止符が打たれ、文字通りの血の滲む努力が報われるのだ。だが奴等の事だ、すんなりとは彼女達を解放しはしないだろう。野望だか知らないが、アーロン帝国なんて下らない理想を抱いている奴等にとって、彼女の能力は必要不可欠。恐怖で支配し巻き上げる金も、帝国を築くには欠かせない資金だ。その両方を手放すなんて馬鹿な真似を奴等がするとは考えにくい。直に何かしらの手段を使って、再び彼女達を縛り付ける脅しを仕掛けてくるだろう。もしそうなったその時は、勝機も勝算もなければ無謀と知る戦いに挑む他道はない。ウチ一人で事が済むのならそれに越したことはないが、ウチの実力で倒せる程現実は甘くない。この数年で皮肉にも戦闘に駆り出されていたお陰で、幹部一人くらいは倒せるだけの術は身に付いたつもりだ。だがそれも1対1タイマンだったらの条件で、一度に複数を相手取る事は出来ない。それでも、戦うのはウチ一人じゃなきゃいけない。他の誰かじゃ奴等は何の躊躇いもなく殺せてしまう。だが希少な血を持つウチが相手なら、奴等は容易には殺せないのだ。殺せないのならば、それを逆手にとって奴等を倒すしかない。ウチしかこんな馬鹿げた手段を強行出来る奴はきっといないだろう。

『……? 何だ。』

ふと、外から騒がしい声が聞こえ窓際へと移動する。アーロンパークの三階にあるこの部屋からは、下の様子が良く見渡せる。そこには奴等の他に緑頭の男とあの子がおり、何やら話し込んでいるようだ。するといきなり緑頭の男は何を思ったのか、背後にあった海へと身投げをしてしまった。それを彼女が助け出した一連の様子から、あの子と関わりのある人物なのだと理解する。

『(…この島の住人じゃないな。)』

昔この島中を配達業で回っているから、それなりに島の住人達の顔は覚えている。緑頭で強面の男がいたら覚えていそうなものだが、記憶にないのなら島外の人間だろう。それに見た限りではどうやら奴等に怯む様子は見受けられず、寧ろ堂々とした態度で挑発していた。肝の据わった態度と体に巻かれた夥しい包帯の数から、尋常じゃない男の場数が窺い知れる。そんな男と彼女に一体何の繋がりがあったのかは定かではないが、あの子の様子からして恐らく今回の長旅に関わっているのだろう。下っ端の魚人に連れて行かれる男を眺めながら、何となくそう思った。

その後直ぐに奴等は外へと出掛けていき、静寂なアーロンパークが眼下に広がる。数人の魚人がうろついている様子をぼんやり眺めていると、次第に此方へと近づいてくる気配を感じ取った。その気配はこの部屋の前で立ち止まると、鍵の掛かったドアノブを何度か回し出す。その様子を怪訝に思ったウチは、窓際から離れ入り口近くで扉を見つめる。この部屋は外からしか鍵を掛ける事が出来ず、用が無い限りは常にウチはこの部屋に軟禁されている。もし奴等ならば携帯している鍵を使って勝手に入ってくる筈だ。それをしないという事は、扉の外にいるのは奴等では無いと言う事。あの子は勿論鍵を所持していないし、今日の面会は既に終了している為不用意な行動はとる筈がない。一体誰だと訝しんでいると、不思議そうな男の声が聞こえてきた。

「あ?鍵掛かってんのか…中に気配があるのによ。」
『(…この声、)』

チッと舌打ちする男の声は、聞き間違いでなければ先程捕らえられていた奴のものだ。何故外にいるのか、と考えるも恐らくあの子の仕業だろう。奴等のいない隙に、男を逃がす為に牢を開けてやったに違いない。だがどうやら彼女の願いとは裏腹に、男は片っ端から魚人を伸していっているようだ。今も扉の前で、そんな事をぼやきながらどうするか思案している。その様子にウチは思わず口を開いた。

『せっかくあの子に逃がしてもらったのに、何をしてるんだ。さっさと出て行けばいいものを。』
「! 女の魚人もいんのか…。」
『奴等と一緒は死んでも御免だな。』
「…人間か。」

ウチの声に驚いた気配を感じつつ、奴等の同類と勘違いされた事を否定する。人間がいた事が予想外だったのか、男は探るように問いかけてきた。

「テメェも仲間なのか。」
『…そうだな。ウチはアーロン一味に身を置いてる。』
「へぇ…あの女以外にも人間の仲間がいるんだな。」
『お前はその子に一体何の用があって来たんだ。大人しく逃げていれば命拾いしただろうに。』
「連れ戻しに来たんだよ。船長命令なんでな。」
『…船長?他にもいるのか。』
「まぁな、海賊だからな。」

今度はウチがその予想外の返答に驚く羽目になった。まさか、あの子が一番嫌っている海賊との関わりがあったなんて誰が予想出来ようか。この大海賊時代を逆手にとって、あの子は海賊専門の泥棒を生業にしている。海賊専門とだけあって危険と隣合わせな上に、騙して財宝を盗み捕るのだから恨みを買うばかり。その大嫌いな海賊を獲物にしているだけあって、あの子は必要以上に関わる事をしなかった。ましてや、この男が本当に海賊であるのならば普段のあの子なら助けたりしないだろう。だが、あの子は助けようとしている。海賊だと言うこの男を。

『海賊? お前等は一体…。』
「あの女が航海士じゃなきゃ嫌だと船長が言うんでね。」
『……、あの子は奴等に縛り付けられてる。そう簡単にいかない。』
「そうかよ。」
『他を探せ。あの子は諦めろ。お前等がどれだけの強さか知らないが、一端の海賊なら分かるだろう。奴等には勝てない。』
「はっ、上等だ。」

遠回しに出て行くように伝えるも、男は意思を曲げる気はないようだ。寧ろ闘争心を煽られたのか、ニヤリと笑う気配すら伝わってくる。その様子につい眉を寄せ、ウチは小さく嘆息した。

『…何故、あの子に拘る。』
「さぁな。船長命令なもんで。」
『……、あの子は、どんな風だった?』
「?」
『お前等の船に乗っていたんだろう。』
「…あぁ、笑ったり怒ったり、とにかく騒がしい女だったぜ。」
『……、そうか。』

この男が乗る海賊船の連中がどんな奴等なのか分からない。だがそんな奴等の中で、笑顔を浮かべて過ごすあの子を想像して見る。あの子は一体どんな気持ちだったのだろうか。大嫌いな筈の海賊なのに、浮かべていたその笑顔は果たしてどっちだったのか。取り入る為の偽りの仮面か、それとも。もし、もしも心から笑っていたのなら、裏切る時の心境は計り知れない。

『(……そうか、コイツらなんだな。)』

帰還した時のあの子の表情。海賊であるのにあの子が情を揺り動かされた、気の置けない奴等。きっとこの出会いは、悲しいかな、こんな状況でなければ巡り合わなかったのだろう。そして何の運命の悪戯か、コイツらはあの子を追いかけてきた。ウチや他の奴等が何と言おうと、端から諦めるつもりなど更々ないらしい。あの子がどんなに拒絶しようが、コイツらはお構いなしにその手を掴んでいくのだろう。もしかしたら、あの子の拒絶の裏に隠された本心を見透かしているのかもしれない。コイツらの事など何一つ知らないのに、何となくそう思えてならないのだ。だとしたら、今この時があの子を救える最大のチャンスなんじゃないか。

「いたぞ!こんな所にいやがった!」
「お、向こうから来やがったか。」
『…海賊なかまになるかはあの子次第だ。』
「!」
『それでもいいなら、あの子を…ナミをアーロンから解放してやってくれ。』
「…言われずとも最初から俺の目的は変わりゃしねぇよ。ただ連れ戻すだけだ。」

まさかそのチャンスが、他力本願と言う形になってしまうのが正直凄く歯痒い。現状この部屋からの脱出は不可能であるが故、どうしてもこの男達に頼らざるを得ない。何処か縋るような声色になってしまった台詞は、我ながら聞いていて情けないものだった。それを男は知ってか知らずかただ淡々と、けれども強い意志を宿した応えを返してくれた。それに思わず小さく口元を緩めると、離れて行こうとする男に向けて最後に一言忠告した。

『死ぬなよ。』
「はっ、ったりめぇだ!」

当然と言わんばかりの返答を残すと、男は向かってきた魚人の方へと駆け出していった。男にやられたのか魚人共の叫び声が建物内に反響し、次第にその声も小さくなっていくのが分かった。下っ端とは言え複数の魚人を相手に一人で片を付けていく男の実力は、予想以上に高いのかもしれない。もしかしたら余計な忠告だったかと小さく笑うが、コレばかりは譲れない。あの子が何よりも恐れているのは、自身と関わる大切な人達の死なのだから。誰かが傷付く事すら恐がっているあの子に、これ以上ない残酷な仕打ちはもうあの一度きりで充分だ。

『……あれから8年、なんだな。』

果たして、この選択の転がる先は吉と出るか凶と出るか。それを知る術は誰にも分からない。ただ一縷の望みを賭けて、このチャンスを是が非でもモノにするしかない。この部屋で何も出来ない自身を酷く呪いながら、ウチはただ只管祈るように彼女達の幸せな未来を願った。



end.