【初期ステータス:知識0】取材対象はプロゲーマー


 朝の淡い光が、窓ガラスからオフィス内を照らしている。フロアには既に数名の職員が自席についていた。キーボードを叩く音や、紙を捲る音が、静かに響いている。

「おはようございまーす!」

 入り口で会釈しながら挨拶すると、それぞれの席から「おはよう」「おはようございます」と声が返ってくる。

 壁一面の本棚には、雑誌や単行本が隙間なく収められていて、その中には誰もが知るような超人気アニメの原作タイトルも並んでいる。壁に貼られたポスターや、棚の上に平積みされた新刊のサンプル。それぞれの机には、所狭しと紙の束や本、タブレット、PCが乗っている。雑然としてるように見えるが、実はこれで 「どこに何があるか自分は分かっている」状態の人が多い。

 ここは、とある出版社の週刊少年誌編集部。世間では“誰もが知る大手出版社”として知られる会社。でも、私にとっては、ただの「職場」だ。確かに大手だし、知名度だってある。でも、肩書きや規模なんて、毎日机に向かって原稿とにらめっこしてる私にはあんまり関係ない。

 やるべきことは、ただひとつ。読者の心を動かす、面白いものを生み出すこと。
 ああでもない、こうでもないと頭をひねって、漫画家さんやライターさんと一緒に、ページの先にいる誰かに届けたいものを作っていく。それが、この仕事のすべてである。

 自分のデスクに辿り着いて、手に持っていたコンビニのカフェラテを置く。整頓されているほうだといっても、他の編集者と比べて、というだけで、ごちゃごちゃしているのには変わらない。
 机のど真ん中には、昨日退社のときにはなかった、真っ赤に修正が入った紙の束——いわゆる「ゲラ刷り」が置かれていた。雑誌に載る前の仮の印刷で、誤字脱字や構成のミスをチェックする大事な工程だ。

「げぇ……」

 思わず漏れた声。引き攣る口元をそのまま椅子に座りパラパラと中身を確認していると、隣の席の椅子が引かれる音がして顔を上げる。
 そこには少し癖のある黒髪に涼し気な目元。Tシャツにジャケット姿や、ボタンを緩めたワイシャツなど、比較的ラフな格好をする人が多いこのオフィス内で、いつもきっちりとした清潔感のある格好をしている同期の男は、「おはよう」と声を掛けてきた。

「赤葦、おはよう〜」

 自席につき、リュックの中からタブレットやら手帳を出しながら、赤葦は横目で私のデスクを見る。紙束の上に無造作に積まれたゲラ刷りを見て、いつもの淡々とした口調で言った。

「それ、昨日の夜、編集長が置いてったよ」
「うえ……まあ、やりますけど……」

 思わず口をとがらせながらも、再びゲラに目を落とす。ざらついた紙にびっしりと詰まった文字と、赤ペンで走り書きされた指示。内容を見る前から、すでに胃のあたりが重くなる。

「そういえば、そのときにミョウジはもう帰ったのかって聞かれた。話したいことあるみたいだったから、今日どこかで呼ばれるかもね」
「……まじ?」

 思わず手が止まり、眉がぴくりと動く。編集長からの“話がある”なんて、ろくなパターンが思い浮かばない。呼び出されて、良い思いをしたことなんて、数えるほどしかない。大抵は、指導という名の反省会か、誰も手を挙げたがらない案件を押しつけられるかのどちらかだ。

(お願いだから、今日は平和に過ごさせてください……)

 そんな淡い願いを胸に、ゲラの修正をしようと、机の上のペンケースにそっと手を伸ばした——ちょうどそのときだった。

「ミョウジ、ちょっといいか?」

 背後から聞こえた低めの声に、思わず肩がビクッと跳ねる。

 …出た。

 願いは即座に打ち砕かれた。助けを求めるように隣の赤葦を見るも、彼はモニターをじっと見つめたまま、ピクリとも動かない。完全に「関係ありません」モードである。

(くそぉー!)

 心の中で毒づきながら、しぶしぶ椅子を引き、声の主——編集長のあとを追う。通されたのは、編集部の一角にある簡素な会議室。ガラス張りの壁に囲まれた、小さな打ち合わせスペースだ。会議用のテーブルを挟んで、編集長と向かい合う。

「まぁ、そんなに緊張しなくていいから」

 と、編集長は手をひらひらさせながら言う。その言葉、何度聞いたことか。むしろこのテンプレ台詞が出てきた時点で、全神経が警戒モードに入る。
 だって、私だってもう分かってる。この人は、安心させた瞬間に雷を落としてくるタイプだ。私は内心ぐっと身構えつつ、膝の上で手を握る。呼吸を整えながら、静かに息を吐いた。

「突然なんだけどさ」

 ——来た。編集部あるあるの“ろくでもない話の始まり”の枕詞。

「はい……」
「今度、本誌でゲーム特集を組むことになってさ。で、そこに短期連載でコラムページ入れようと思ってんのよ」

 にこりと笑う編集長。その顔が笑っているほど、こっちは冷や汗をかく。もしや、これは……。

「で、お前がそのゲームコラムの担当。プロゲーマーに取材してもらうから」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 私、ゲームなんて全然やらないですけど!?」

 ほとんど反射的に声が出た。
 ゲームって、あの、コントローラーとかキーボードとか、なんかすごい速さで動かしてるやつだよね? それを、私が? 取材?? 漫画しか見てこなかった私が??

「うん、だからいいんだよ。そういう視点、大事」
「……えええええ」

 机に突っ伏したくなる気持ちを堪える。編集長に逆らったって無駄なのは分かってる。でもこれは、ちょっと急すぎやしないだろうか。そもそも、私が少年誌の編集部に来たのだって、いまだに「なんで?」って思ってるくらいだ。

 もともとは少女漫画誌を志望して、そこに配属されていた。けれど、1年前にいきなり異動の辞令が出て、週刊少年誌へ──。
 とはいえ、その異動のおかげで、入社式や研修で顔を合わせていた赤葦と再会できたのだから、無駄ではなかったと思っている。彼も本当は文芸志望だったのに、なぜかこちらへ配属された仲間だ。

「いや、あの…あまり言いたくないんですが、けっこう今の業務手一杯でして」
「お前、この前連載一個終わらせたし、いま手持ちの連載もあと三回で終わりだろ? 手、空くじゃん。どっちにしろ新しい作品担当させようと思ってたし。漫画かコラムかの違いだけだよ」
「で、でも編集長、私がやると、取材先の人、驚きませんかね? っていうか嫌がられたりしません…?」
「なんで?」
「いや……ほら、少年誌って、男性編集者が多いじゃないですか。実際、本誌の取材とかで“え、女性なんですね”って言われること、まだ結構あるんです」

 ちょっとした慣れでは済まない。女性編集者が珍しいわけじゃないけれど、こういう現場ではまだまだ少数派だと実感することは多い。正直な心配半分、担当割り当ての考え直しへの期待半分で伝えると、編集長はふっと息をついた。

「そこも含めて、お前に任せたいってこと。お前、根性だけはあるからな。どうせ食らいつくでしょ」

 雑にまとめられたようなその言葉に、返す言葉が見つからない。いや、反論はあるけど、それを言っても無駄だと分かっているのだ。げんなりとしつつも押し黙っている私を見て、編集長は次の段階の話をしても大丈夫だと判断したらしく、口を開く。

「とりあえず、今回のコラムの取材相手は決まってる。有名なプロゲーマーでYouTuberでもある、“KODZUKEN”だ」
「こ、こづけん……?」

 名前だけは聞いたことがある。けど、それ以上は何も分からないレベルだ。正直、YouTube自体もほとんど見ないのである。

「……あの、ちなみに取材ってリモートですか?」
「いや、直接」
「えっ、わざわざ会いに行くんですか!?」

 このオンライン打ち合わせが発達した時代に、まさかの対面とは。念のため食い下がってみたが、編集長は当然のように頷いた。

「本人が、『作業しながらでいいなら、インタビュー受けてもいい』って言っててさ。リモートだと作業に集中できないらしいんだよな。こちらとしても、直接会って話す方が、テンポもリアクションも見えていいしな」
「ええ〜、そんな理由で……」
「まあ、取材には慣れてるってさ。編集部からはちょっと遠いけど、その分いい素材取ってこいよ。初回の原稿だから、勝負どころだぞ?」

 勝負どころ、という言葉が、またじわじわとプレッシャーになっていく。
 ……コヅケン。実際どんな人物なのだろうか。

(私、大丈夫かな)

 不安の種は、次から次へと芽吹いていくが、仕事は仕事として受け入れなくてはいけない。会議室を出た瞬間、肺の奥に溜まっていた緊張がドッと押し寄せてきた。

(コラムってどう書くんだっけ…。ゲームネタなんて更に分からない…。やるしかないけどさ…)

 席に戻り、背もたれに寄りかかり天井を仰ぐ。視界の端で、何食わぬ顔で編集者と話をしている編集長が見えた。恨めしく思いながらも、今の業務の整理をして今後のやるべきことを考えていると、隣の赤葦がちらりとこちらを見やる。

「終わった?」
「うん…終わっというか始まったというか」

 机の上に項垂れながら答えると、赤葦はパソコンのキーボードから手を離し、少しだけ首を傾けた。

「……なんの話だったの?」
「ゲームコラム、やることになった」
「……へぇ」

 目を見開くでも、声のトーンが変わるでもない。けれど、その「へぇ」は、明らかに意外そうだった。赤葦の指が、再びキーボードを打ち始めた。私は構わず、今日最大の衝撃をぶちまける。

「しかもコラムの取材相手、コヅケンって人。プロゲーマーでYouTuberらしい」

 その瞬間、赤葦の指がほんの一瞬だけ、キーボードの上で止まった。いつもの私なら「あれ、今ちょっと変な間あった?」くらい気にするのかもしれない。けれど今はそれどころじゃなかった。頭の中は、慣れないゲーム業界と有名人インタビューのプレッシャーでいっぱいだ。

「…私みたいな素人が取材して大丈夫なのかなって思うけど、編集長が“その目線がいい”って……。ねえ、それ本当にいいのかな?」

 赤葦は、また少しだけ笑ったような顔をして、モニターに目を戻した。

「多分、それが正解なんでしょ」
「うわー。赤葦まで編集長側の人間になった……」

 ふてくされたようにうめきながら、私は自分の机に積まれた資料を無造作にめくった。編集長に聞いたところ、三日後には、直接コヅケンの自宅に伺うことになっているらしい。それまでに色々頭に叩き込まなくては。
 頭の中の不安は、雪だるま式に膨らんでいくばかりだった。


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