【思考回路ショート】爆弾発言と剥がれかけた仮面
平日の昼下がり。
私は自分のデスクで、次の企画書を作りながら、つい鼻歌交じりになりそうなのを必死に堪えていた。
(今日は取材で研磨さんの家行くし、マイマウス持参しちゃった〜)
頭の中に浮かぶのは、先日の彼の言葉。
──『今度持ってきなよ』
──『ゲーム、教えるって言ったじゃん』
あの少し拗ねたような表情を思い出すだけで、頬が緩んでしまう。もちろん、これは仕事の一環だ。取材対象との良好な関係構築は、編集者の重要任務である。
最近の彼からの言葉と態度。あれらがこちらに心を開いてくれている証拠だと思えば、これほど喜ばしいことはない。
休憩がてら、モチベーションをさらに上げようと、私はスマホを手に取った。画面に表示されているのは、SNSの検索結果。先日掲載されたコラムの第二回目の反響は、私の予想を遥かに超えていた。
『今週のヴァーイ、コヅケンの写真ヤバすぎ』
『神記事ありがとう』
『このコラム読んで、コヅケンのこと前より知れた』
並んでいるのは好意的なコメントばかり。編集者として、ガッツポーズをしたくなる完璧な成果だ。
「うんうん、順調〜……ん?」
けれど、ふと目に留まった、とあるファンのつぶやきで、画面をスクロールする指が止まる。アイコンや過去の投稿からして、おそらく彼に本気で恋をしている、いわゆる“ガチ恋勢”の方だろう。
『この写真のコヅケン、いつもの取材記事よりすっごく優しい顔してる。カメラマンに心を許してる目だよね。こんな顔をリアルで向けられてるカメラマンが羨ましくて死にそう。私もこんなふうに見つめられたい』
その一文を読んだ瞬間、浮かれていた心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。まるで、冷や水を頭から浴びせられたみたいに、一気に血の気が引いていく。
撮影のとき、私はいつも願っている。「とびきりの一枚が欲しい」と。それはあくまで「良い写真を撮るため」の欲求だったはずだ。被写体の魅力を最大限に引き出すのは、編集者の義務であり、技術だ。
──そのはずなのに。
私は本当にただ「仕事」として、彼の新しい顔を引き出しただけだった?
「その瞬間を自分だけが切り取れる」という、小さな優越感に酔っていなかった?
無意識に、“特別”になろうとしてはいなかった?
その可能性に気づいた瞬間、胸いっぱいに罪悪感が広がる。誰かに責められたわけでもないのに、逃げ場のない痛みだけが残った。
(……違う。違うってば。私はファンじゃない。編集者。仕事をしているだけ)
そう自分に言い聞かせて、逃げるようにタイムラインをスクロールした、その時だった。
一つの動画が目に留まる。再生回数が伸びている、昨夜のコヅケンさんの配信の切り抜き動画だ。タイトルには【コラムについて語るKODZUKEN】の文字。
指が勝手に再生ボタンを押していた。画面の中の彼は、いつものように淡々とゲームをプレイしながら、流れるコメント欄を横目で拾っていた。
『あ、なんかコラムについてのコメント多いね』
ゲームの操作を止めることなく、彼はぽつりと呟く。
『ありがと。なんか、評判いいみたいで』
いつものテンションの低い声。でも、その口調は決して冷たいものではない。
『あんまり、ああいう少年誌とかで、ゲームのこととか自分のこと語ったことなかったかもね。……基本、聞かれないと喋らないし』
すると、コメント欄が加速する。『写真がすごく良かった!』『あの表情、初めて見た』『エモい』といった称賛の言葉が次々と流れていく。
『……コラムの写真が素敵? ……ふーん、そう』
照れているのか、それとも本当に何とも思っていないのか。少しだけ鼻を鳴らした後、彼は思い出したように、カメラに向かって、ほんの少しだけ口角を上げた。
『あのコラム、担当の人がすごく一生懸命な人でさ』
——えっ。
不意打ちで出た自分の話題に、動画を見ている私の心臓が跳ねる。彼は画面の向こうの敵を倒しながら、くすくすと楽しそうに笑って続けた。
『……なんか、見てて飽きないんだよね』
動画はそこで終わっていた。
コメント欄には『コヅケンが楽しそうで何より』『コヅケンの心掴む担当すごくね』なんて文字が踊っている。
(……見てて、飽きない)
私はそっとスマホを伏せて机の上に置いた。
嬉しい。彼が私に対して好意的なのは間違いない。けれど、それはあくまで「警戒心の強い猫が、餌をくれる人間を見る目」に近い。
そうだ、そういうことだ。
私は彼にとって「害のない、面白い仕事相手」。私にとっても、彼は「新しい世界を見せてくれる取材相手」で。
この胸の高鳴りも、決して恋愛感情なんかじゃない。懐かない猫が自分にだけ喉を鳴らしてくれた時の、あの「選ばれた優越感」と同じ種類のものだ。
変に期待したり、意識しすぎたりして、この良好な関係を壊してはいけない。
──頭では、そう納得できているはずなのに。
「面白い」だけじゃなくて「特別」になりたいと願ってしまう自分が、心のどこかにいるのだ。
「……はぁ」
「人気コラムの担当が、そんなにため息ついてどうしたの」
ふいに隣から降ってきた声に顔を上げると、赤葦がマグカップを片手に、不思議そうな顔で私を見ていた。
「赤葦…。…いや、なんか、ちょっと悩んでて」
「珍しいね。取材は順調なんでしょ?」
隣にある赤葦の席に座りながらかけられたその言葉に、私の胸がチクリと痛む。順調、だからこそ、悩んでいる。
このまま一人で考えていると、また思考が「彼」のことばかりになってしまいそうだ。私は強引に気分を変えようと、赤葦に向き直った。
「んーん、なんでもない! それよりさ、今度パーッとご飯とか行こうよ! 奢るから!」
「……急にどうしたの。まあ、いいけど」
私の強引な話題転換にも、彼はあっさりと頷いてくれる。その優しさが嬉しくて、私はぱあっと顔を輝かせた。
「ほんと!? じゃあ今日とかどう!?」
「っ……今日…は、無理かな」
いつも淀みなく答える彼にしては、珍しく歯切れが悪い。ふと、その表情にいつもと違う気配を感じたけれど、それ以上は踏み込まないことにした。彼にも、私の知らない事情があるのだろう。
「そっか、残念ー。じゃあまた今度ね!」
「うん。……それより、コヅケンとはどうなの」
「……」
やっぱり、またその話だ。赤葦は、やたらと研磨さんのことを気にかけている。私は動揺を悟られないように、あくまで「担当編集者」の顔を作って答えた。
「どうって……もうすぐチームで出る大きい大会があるみたいで、すごく大変そうだよ。プロゲーマーって本当にすごいよね」
「そうなんだ。じゃあ大会が終わるまでは忙しそうだね」
「うん。練習は夕方からが多いみたいだから、取材にはあまり困ってないんだけど、最近、いつもより研磨さん眠そうなときが多くて……あ」
——しまった。
口をついて出た名前に、時が止まった気がした。思った時にはもう遅かった。目の前の赤葦が、マグカップを口に運ぼうとした手を止め、ぴくりと眉を動かす。
「……"研磨"さん?」
一瞬の沈黙の後。いつもの冷静な声が、鋭く問いかけてくる。
その目は、完全に「いつの間に名前呼びする仲になったの?」と、訴えている。
「い、いや、あのですね、これは取材の都合上というか、ほら、現場での呼び名? みたいな! あちらからもフランクでいいって言われてて、その場のノリというか……!」
しどろもどろになりながら、私は壁掛け時計を見る。時刻は十四時二十分。
「ああっ! もうこんな時間! 私、三時からコヅケンさんと打ち合わせだから!」
「……あ、ミョウジ」
「ご、ごめん赤葦! また今度ね! 行ってきます!」
赤葦のツッコミを背中で受け止めながら、私は逃げるように週刊少年ヴァーイ編集部を飛び出した。
残された赤葦が、顎に手を当てて、何かを考え込むように私の背中を見つめていたことなど、今の私には知る由もなかった。
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