【緊張バグ発生中】プロゲーマーの家へ突撃せよ
(ついに来てしまった……)
編集長から直々に、ゲームコラムの担当を任されて三日後。私は、街の喧騒から少し離れた住宅街の一角にある、一軒家の前に立っていた。広めの庭と、どこか懐かしい雰囲気の瓦屋根の家。引き戸の前で立ち止まり、大きく息を吸って、吐く。
──ここが、コヅケンさんの家。
プロゲーマーとしてはもちろん、人気YouTuber、さらに株のトレーダーとしても活動していると聞いた。
正直、てっきりタワマンの高層階とか、ガラス張りのスタジオみたいな空間を想像していたけれど……こんな普通の家に住んでいるなんて、ちょっと意外だった。セキュリティとか大丈夫なんだろうか、と余計な心配をしてしまう。
あれから、彼のことを自分なりに調べてみた。
まず「コヅケン 経歴」で検索。ヒットしたファンwikiはやたら濃くて、読み切るのに2時間かかった。試合データとかマウスの型番とかならまだ分かるけど、配信中食べてたお菓子の特定とか、何の参考になるのかよくわからない情報がびっしり詰まってて、逆に尊敬した。というか怖かった。
YouTubeも見てみた。ゲームプレイ動画が多めだけど、時々知り合いとコラボ配信もやってるみたいで、全く他人と関わらないタイプではないようだった。
が、ファンの切り抜き動画はなぜかスロー再生の手元カメラばっかりで、正直、すごいのかどうかもよく分からない。「あっ、今のが神プレイってやつ?」って思っても、解説がないから誰も教えてくれない。コメント欄は盛り上がってたけど、用語が難解すぎて完全に別の世界線。
顔立ちは、動画やSNSの写真でなんとなく把握したけど、実際どんな雰囲気かはよく分からなかった。
でもひとつだけ印象に残っているのは、大きな目と、どこか気だるそうな表情。まるで、自由気ままで人の手になんて収まらない、野良猫みたいな目をしていた。
とりあえず「すごそう」ということだけは分かったけど、これで取材できるのか私……? と若干不安になったのは、ここだけの話。
しかし仕事は仕事なので、今やれるべきことを全力でやるしかない。とりあえず今日は本取材前の挨拶に来たので、本人に会わなきゃ始まらないのだ。
(……よしっ!)
小さく作った握り拳を、さらに握りしめて気合を入れる。約束した時間ぴったり。意を決して、引き戸の横にある、うっすらとベルマークが描かれた呼び鈴ボタンを押した。ピーンポーンという電子音が家の中で鳴っている。私は中の人物に聞こえるように少しだけ声を張った。
「こんにちはー! 週刊少年ヴァーイ所属のミョウジと申しまーす!」
初対面の人へは第一印象が命。ニコニコと営業スマイルを顔面に貼り付けているが、心臓はバックバクである。反応が返ってくるまでの時間が永遠のように感じられて、手元のバックと、手土産を入れている紙袋をギュッと握った。
しばらくして、家の奥から静かな足音が聞こえてくる。パタパタ…というより、ペタペタと、木の床を踏む、ゆっくりとしたリズム。
音だけでなんとなく分かる。初対面の、しかも仕事の相手に対して急いでるわけでもなく、気を使ってる様子もない。これは——素で、マイペースな人だ。
「……はい」
気だるげな雰囲気そのままのトーンの声が聞こえて、やてガチャリと鍵が解錠される。カラカラ、と軽い音を立てて動いた引き戸の奥には、正真正銘のコヅケンさんがいた。ここ最近、取材準備のために何度も見た姿。だけど、画面越しに見るのと、目の前で見るのとは大違いだ。
映像の中では頼りなさそうに見えていた身体は、実際に目にすると、そこまで線は細くない。身長も肩幅も小さめに思えるが、引き戸に掛けられた骨張った指が、彼を成人男性だと実感させる。
肌は驚くほど白くて、長い前髪の隙間から覗く瞳は、不思議な色をしていた。無表情とも無関心ともとれるその顔は、どこか人形のように整っていて、それでいて——画面越しとは違う、生きている温度が、確かにそこにあった。
「……どうも」
小さく開いた口からこぼれたその声は、やっぱり配信で聞き慣れたものと同じで、でも、同じじゃなかった。
ああ、本当にコヅケンさんだ。目の前に、いる。
「あ、あの…! 週刊少年ヴァーイ編集部のミョウジナマエと申します! この度は取材許可いただきありがとうございます!」
名刺を差し出してしっかり九十度に頭を下げると、彼は目を細めるでもなく、眉をひそめるでもなく、ただ、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
受け取った私の名刺を一瞥してそれだけを言うと、くるりと背を向ける。そのまま引き戸の奥へと引っ込んでしまった。
(え? あれ? もしかして、置いていかれてる?)
慌てて「し、失礼します!」と頭を下げて玄関を跨ぐ。靴を脱ぐ手がちょっとだけ震えていることには、見ないふりをした。
──大丈夫、大丈夫。想定内。コヅケンさんは無愛想って評判もあるし、人との距離感も独特って、リサーチ済みだから…。
そう自分に言い聞かせながら、脱いだパンプスをきっちり揃えて彼のあとを追う。
廊下は、思ったよりも静かだった。生活音がないというか、空気が止まってるみたいで、余計に自分の心臓の音が響いてくる。足元はスリッパではないので、ストッキング越しに伝わる冷たい床が、緊張で暑くなった身体に心地よかった。
「こっち」
振り返りもせず、彼は淡々とリビングらしき部屋の襖を開けていた。
通された場所は、想像以上にシンプルだった。広い畳の室内に、テレビとテレビ台があるだけ。無駄な物はなく、すっきりとした印象。テーブルの上にあるノートパソコンとゲーム機、そしてリモコンだけが唯一“生活感”のようなものを主張していて、妙に目を引いた。ダイニングの奥に向かおうとするコヅケンさんは、私に平坦な声で告げる。
「適当に座ってて」
「は、はい! あ…あの、これ、良かったら…」
少し緊張しながら手に持っていた紙袋を差し出す。中身は日持ちする焼き菓子セット。堅苦しくなく、失礼にならないものを…と考えて選んだものだ。コヅケンさんは一瞬、袋と私に交互に視線を送り、あまり感情の読めない声でポツリと呟く。
「……ありがとう」
袋を受け取ると首を小さく傾げるようにして、今度こそ本当にダイニングの奥に下がっていく。冷蔵庫の扉を開け、彼が手に取ったのはミネラルウォーターのペットボトル。キャップの外れる音が小さく響いたあと、彼はこちらを振り返る。
「飲む?」
「……あっ、はい、ありがとうございます!」
少し遅れて答えると、彼は再びミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出し、二本のペットボトルを片手でまとめて掴んでリビングへ戻ってきた。私の立っているすぐそば、テーブルの端にペットボトルを置く。その仕草に言葉はないけれど、どこか“どうぞ”とでも言いたげな気配がにじんでいた。
それから、先程開封したミネラルウォーターのペットボトルを持ったまま、反対側に回ってゆっくりと腰を下ろす。私も、軽く頭を下げて向かいに座る。
コヅケンさんがペットボトルを呷ると、ゴクッという嚥下する音だけが居間に響いた。数秒、無言の時間が訪れた。気まずい空気を払拭するため、私は笑顔を貼り付けたまま口を開く。
「あの、改めまして……本日はお時間いただき本当にありがとうございます。えっと、まず……」
そう言いながら鞄をごそごそと開けて資料を取り出すが、目の前に座った彼からは予想外な声を掛けられた。
「……緊張してる?」
「えっ」
その言葉があまりに唐突で、思わず顔を上げると、彼の大きな目がこちらを射抜いていた。無表情のまま、でもどこかくすぐったいような、全てを見透かすような色が目の奥にある気がして、ドキッとひときわ大きく心臓が音を立てる。
「だって、手、震えてるよ」
静かに告げられた言葉に、資料の上で握っていた手を見下ろす。
……ああ、ほんとだ。ペンを持つ指先が、微かに震えている。
初めてのコラム担当。初めてのYouTuberへの取材ということで、自分が思っている以上に気が張っているらしい。
「……そうかも、しれません」
「ふーん」
コヅケンは、ペットボトルに指を添えたまま、ぼそっと言った。
「で、俺のこと、どこまで知ってるの?」
「え……?」
思わず瞬きを繰り返してしまう。あくまで淡々と。探るような目つきで、彼は問いかけてきた。
(——これは、警戒されてる…?)
女の編集者だからなのか、もしかしたらファンだと思われてるのだろうか。
"すごく好きでよく見てました!"と答えたほうが、本人にとっては気分が良いのかもしれない。だけど、編集長からの「根性があるから」という私の評価を思い出す。私は背筋を正して、真っ直ぐに彼の目を見返した。
「……すみません。実は今回の取材が決まってから、初めて配信などを拝見したので、コヅケンさんをずっと追っていたわけではありません。ただ——そのぶん先入観なくお話を伺えると思っています」
これは本心なので、臆することなく素直に伝えたい気持ちだ。すると、彼はふっと短く笑った。口元だけで、ほんの一瞬。
「へぇ。ちゃんとしてるんだね、編集者って」
皮肉にも見えるその言い回し。でも、ほん少し——ほんの少しだけ、距離が縮んだように感じた。彼の言葉の余韻が、広い和室に残る。私は、返す言葉を探しかけて、でも、それより先に、コヅケンさんがテーブルの上に腕を伸ばす。
「……じゃあ、俺、ちょっと作業するね。聞きたいことあったら、適当に声掛けて」
そう言って、テーブルの端に置いてあったノートパソコンを自分へ引き寄せ、画面を開いた。キーボードを叩く音が静かな空間に広がる。その音が、この和室に落ちていた緊張の膜を、ほんの少し破ったような気がした。
私は、ゆっくり深呼吸をしながら、強張っていた肩の力を抜く。やれるべきことを、やらなければ。
ひとこと断りを入れて、出してもらったミネラルウォーターを開封し口に含む。冷たい液体が身体の中を流れる感覚が鮮明に分かるほど、自分は緊張で火照っていたらしい。
とりあえず、せっかく本人を目の前にしているので、彼を知ることから始めることにする。
「あの、コヅケンさんって、毎日どのくらいゲームの練習するんですか?」
「……うーん、まぁ、気分次第かな」
カタカタとキーボードを打つ手は止めないまま、相変わらず淡々とした口調で答えるコヅケンさん。その答えに私はインタビューということも忘れて、素で一際大きな声を出してしまう。
「えっ! 一日何時間とか決まってないんですか!?」
「ないよ。する時はするし、しない時はしない。まあ、チームの練習がある時はちゃんとやるけど」
「…ち、チーム?」
「FPSの、プロのチームに入ってるから。大会前とかは、それなりに」
「えふぴーえす…?」
「……そこから?」
私のカタコトな返答に、今までパソコンの画面を見つめていただけの瞳が、初めてこちらを捉えた。文字を打つ指は止まってないけれど、僅かに怪訝そうな顔をしていて、"こいつ大丈夫か?"という無言のツッコミが、視線からダダ漏れだった。地雷だったかな、と背中に嫌な汗が流れてしまう。
彼はふいに視線をパソコンの画面に戻して、小さな、本当に小さな声で呟いた。
「……ま、知らないなら、あとで調べれば」
淡々としたトーンはそのまま。説明すら面倒、という空気が滲んでいる声音だった。
「す、すみません! ちゃんと調べます……!」
謝りながら、鞄からメモを取り出して、"えふぴーえす"という単語をひらがなで書く。この気まずさを払拭したくて、私は半ばヤケクソで話題を切り替えた。
「あっ、じゃあ、今回のコラムの初回のテーマなんですけど……!」
「……うん、なに?」
キーボードの手を止めることなく、口だけで返してくる。表情は相変わらず無表情。でも、ちゃんと聞いてはくれているらしい。私は意を決して、この三日間で考えてきたネタを提示した。
「たとえば、ですけど……“ゲーマーの朝活”とか、どうですか?」
──その瞬間。
カタカタと鳴り続けていた音がピタリと止まった。部屋に完全な静寂が落ちる。空気が凍った、とは、まさにこういうときに使うのではないだろうか。
彼の指が宙で止まる。画面を見たまま、しばしの沈黙。それからゆっくりと、私のほうに顔を向けてきた。表情は変わらない。でも、その目の奥にあるのは……呆れでも怒りでもなく、確実に、"こいつ思ったよりヤバいな"の色。
「……ゲーマー、あんまり朝起きないよ」
静かな声が、ゆるく私の胸に突き刺さる。
「えっ、そうなんですか!? あっ、じゃあ……“ゲーマーが朝に弱い理由”とか!」
思いついた! とばかりに、前のめりで言った私に、彼はほんの少しだけ眉を寄せて、考える素振りを出してから返す。
「……うん、それ、“夜ふかしするから”で終わっちゃうけど、大丈夫?」
あまりにも冷静で、あまりにも正論。ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。
「た、たしかに……でも、意外と需要あるかもです……!」
シュルシュルと身体が小さくなってしまうけど、なんとかポジティブにまとめようとする私。「新しい切り口では?」という顔で反応をうかがうように彼を見上げると、彼はふう、と息を吐いた。
「……まぁ、好きにすれば?」
「あ、ありがとうございます…!」
彼はもう、こちらを見ていない。視線はノートパソコンの画面に戻り、その声には"許可"というより、どこか投げやりというか、諦めにも似たような響きが混ざっている。でも、それはたぶん、完全な拒否ではなかった。この人を知るには、まだまだ時間がかかりそうだった。
私は震える足を叱咤して立ち上がり、鞄を肩にかけ直す。来た時と同じように、顔に営業スマイルを貼り付けた。
「と、とりあえず今回はご挨拶メインという感じではありますので、本取材は次回させていただければとは思ってます! その前に、一旦今回お聞きした内容を元に仮の原稿をお作りしても良いでしょうか? 出来上がり次第、メールかチャットでお送りさせていただきますので、ご確認いただくことはできますか?」
一息に、ほとんどまくしたてるように言う。
彼の気が変わらないうちに、次の約束を取り付けてしまいたかった。
カタカタと動いていた彼の指が止まる。一瞬の静寂。やがて、彼は画面を見たまま、短く答えた。
「…わかった」
その声に、私は心の底から安堵する。
「ありがとうございます! 次回のときには、その仮の原稿を元に、またお話うかがいたいと思ってます!」
なんとか、次のチャンスに繋げられた。私は深々と頭を下げる。彼がこちらを見ている気配はなかったけれど、そんなことはもう気にならなかった。
「では、本日は本当にありがとうございました! お邪魔いたしました! お水もありがとうございました! 失礼いたします!」
彼の背中にそう告げ、私は出してもらったミネラルウォーターを手に、静かに部屋をあとにする。来た時と同じように、冷たい廊下を歩き、玄関でパンプスを履く。カラカラ、と引き戸を開けて外に出ると、少しだけ湿った午後の空気が、火照った頬に心地よかった。
(……散々だったけど、一歩は進んだ、はず)
私は自分の手帳に「ゲーマーは朝が弱い理由!」と大きく書き込み、力強く丸で囲んだ。
大丈夫。このテーマを、私が最高のコラムに仕上げてみせる。
そう、この時の私は、本気でそう思っていたのだ。
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