「…はぁっ!」

「チィッ、…まだまだぁ…!」

鍛練場では絶えること無く高い金属音が鳴り響いている。空気を震わす程大きな唸り声を発するのは黄金の瞳を爛々と煌めかした打刀、同田貫正国だ。対するは先日修行を終え帰還した短刀、平野藤四郎。
迫る刃を己が本体で受け止め、その圧により後ろへと弾け飛ぶ。同田貫が上段で構え振りかぶるが、空中でくるりと体制を整え着地した平野はそれよりも速く地を蹴り、黒い懐へと潜り込む。
「…ッ!」

「捉えた…!そこは、僕の間合いです!」
ハッと息を飲んだその時にはもう遅く、秒も無く喉元に峰が当てられていた。

「手合わせ、終了ーー!」

鍛練場全体に響き渡った声に平野は曇りなく光る刃を鞘に仕舞い、同田貫正国はその場に倒れ込んだ。
「あーーっ、くそ、負けた負けた」
「お相手、ありがとうございました」
「おう。実戦ほどじゃないが、いい気分だぜ。また頼む」
互いに先ほどまでの獰猛さを身のうちに隠し、言葉を交わし合う。
同田貫は平野にとって本日四回目の手合わせ相手だった。成長した平野は毎日の様に手合わせに誘わられては勝ち続け、その強さを本丸中に知らしめている。
激しい攻防と夏の暑さが相まって額から汗が頬へ伝っていく。太陽は完全に登りきり、まだまだ暑くなりそうだと誰もが感じただろう。




ちりん、ちりん。生温い風を受け、垂らされた風鈴が涼し気な音を鳴らした。けれども、音だけで火照る身体が冷えていくはずも無く。
「あっっつーー、」
「溶ける前に早く仕事を終わらせてくれ、主が平野の資料を完成させない事には会議に行けないだろう」
「うっ、そうです。その通りです」
現在捌宮は平野の修行、その後の成長について纏めている最中である。数日後、現世の防衛省にて対策本部のお偉いさんは勿論、政府の重鎮へ報告するための資料。捌宮は重い溜息を吐いた。歴史を守るためには欠かせない会議ではあるが、どうにも気分が乗らない。
本部の人間も、政府の人間も、全てが全て綺麗な考えを持っている訳ではないのだ。それなりの地位に座しているからこそ更なる高みを目指し、他人を蹴落とそうと良からぬ事を企んでいる者も少なくない。捌宮は邪な思惑が渦巻く上層部の人間が多く集まるこの会議が嫌いだ。
ああ、もういっそ、このまま溶けてしまえたらどんなに楽だろう。
ぐでりと机に頬を押し付け、国永へと顔を向ける。しかし、その奥に小さな青色の双葉を見つけた。
「小夜?」
柔らかな声掛けに、盆を持った小夜左文字がそろりそろりと近付いてくる。
「………これ、歌仙が」
「お、琥珀か。こりゃあいい」
「琥珀……あ、錦玉羹のことね。うんうん、食べるのが勿体ない。さすが歌仙、風流だよねえ」
錦玉羹、金玉羹、錦玉、琥珀、琥珀糖、様々な呼び名を持つそれはどう見ても職人が作ったとしか思えない完成度だ。ほんのりとしたグラデーション、クリスタルガラスのような透明度、藍のなかに封じられた金箔はまさに満点の星空。
ほう、とその儚くも美しい本日のお八つを丁寧に受け取るが、盆に乗った錦玉羹とお茶は二つだけ。うん?と首を傾けて小夜を見返す。
「僕は、歌仙と食べるから」
「そっか、ありがとね。歌仙にも伝えてくれる?」
「わかった」
身を翻して帰っていく小夜に国永がひらりと手を振った。彼も美しい菓子に機嫌が良くなったらしい。

「いただきまーす」
「……君、今食べるのが勿体ないとかなんとか言ってなかったかい」
「食べるのは勿体ないけど食べない方がもっと勿体ないんだよ」
涼やかな夏の夜空を匙で切り取り、震えるそれを決して零さぬように口へと運ぶ。ひんやりとした清涼感となんとも言えぬ甘さが広がり、うっとりと瞳を閉じた。
「餡も入ってる…しあわせ」
ちびちび小さく掬い食べる捌宮とは違い、あっという間に錦玉羹を平らげた国永が冷えたお茶を飲む。
「今日はほうじ茶だな、うまい」
「はー、ほんと、美味しかった」
疲れた脳が糖分を補給して再びゆっくりと働き出し、捌宮はデスクトップへと向き直る。会議がなんだ、この頼れる初期刀も極めた懐刀も一緒に行くのだから何も心配なんてある訳ない。それに、会議が終われば、会議が、終わればーーーー。

「ぐっ、けほ…っ、」

「おいおいどうした。茶が器官に入ったか?」

そうだ、降谷だ。
会議の後は降谷に会う。それには、この鶴をどうにか言いくるめなければならない。
なんと言ったら行かせてくれるだろうか。昔の同期、友人とは言え男の家だ。しかも国永は同席することは不可能。
夏の暑さに当てられていた頭がさあっと冷えていく。どうしよう、何かいい案は、必死に考えてもぐるぐると同じ所を回るばかりで全く出てこなかった。

「あの、さ。国永、……会議の後なんだけど」










「ありゃ?彼、どうしたんだい?」
「うーん、うん、気にしないで…」
捌宮の言葉に国永が纏う空気は一変し、室内は一気に冷え込んだ。「こりゃ驚いた」その言葉に温度は無く、自分が如何に考えなしなのかを約1時間説かれ、遠征部隊が帰還し出陣部隊が帰還し、夕餉を食べている今も尚そのしかめっ面は元に戻っていない。
「主、やはり僕も賛成はしかねます」
「えっ平野……」
「どうにか僕か鶴丸様の一振りでも、人の形で同席させて下さい」
その言葉に広間はざわつき、視線が上座へと集まる。誰よりも早く長谷部が言葉を発した。
「主、どういうことでしょう」

「我らが主は近々現世で行われる会議の後、男の家に一人で行くつもりらしいぞ。そうだ、一人で。驚きだろう?」

「ちょっと国永!一人って言っても平野は懐にーー」
そう声を上げるが、すぐに捌宮よりも大きな声に打ち消され誰の耳に入る事も無くただ空気に溶けた。
ああもう、なんでこんな所で言うかな!
刀剣男士は何よりも主が第一だ。自分を顕現した審神者を守る、その為ならば折れることだって厭わない。
捌宮は広間の刀達全てを相手に舌戦を繰り広げ、あの男の家に行く許可をもぎ取ることはもはや不可能だろうと頭を抱えた。
自分の味方は居ない。

と、思ったのだが。

「やっと主さんにも春が来たの!?」

大きく丸い瞳をきらきらと光らせ、驚きの機動で乱藤四郎が捌宮の元へ駆け寄りその手を握った。頬を染め嬉しげに笑う姿は可愛らしい女の子のようだ。
「ボク、ずっと心配してたんだよ。ウエディングドレスだって、出産だって、やっぱり若い方が良いでしょ?」
でも白無垢も良いよね、なんて幸せそうに言葉を続けるが広間の刀が全て固まった事に気付いているのか、いないのか。彼の頭にはもう捌宮の花嫁姿しか浮かんでいない。
「泊まる訳じゃないんだよね?なら気にしなくても良いよ!もし何か起きたら平野が顕現して成敗しちゃえばいいんだから、ね!」
「乱、落ち着いて。私と彼はそんな関係じゃなくて、」
「なんならボクも平野と一緒に忍ばせてもいいよ?じっくりと見定めてあ・げ・る」
乱はそう言ってアイドル顔負けの可愛さでウィンクし、軽やかにスキップしながら自分の席へと帰っていった。
ーーこの空気、どうしてくれるの?

「男ってこの前喫茶店で会った奴だろ、俺も別にいいと思うけどな」
「ええっ!獅子王さん、本気ですか?あの店員、凄く胡散臭い笑顔でしたよ」
獅子王と堀川は本人に会ったことはあるが、互いに意見は違うらしい。他の刀剣男士達も意見が真っ二つに割れ、至る所から言い争う声が聞こえてくる。ややこが、嫁入り前なのに、ぬしさま、爺は孫が、闇討ち、お覚悟、少し拾い上げただけでも頭が痛くなるような会話だ。

「助けて……」

「フン、…アンタの自業自得だろ」
「写しの俺には荷が重い」



結局騒動を沈めたのは国永だった。自分が荒らしたのだから当然だ。会議までまだ日はあるが、暫くはこの話ばかり振られることだろう。心底憂鬱である。

「主」
「なーに」
閉ざされた襖の向こう、廊下に座る国永の影が見える。語りかけてくる声のトーンは既に落ち着いていた。

「俺は相手が男だから許可しなかった訳じゃあない、分かるかい。君は捌宮だ、そして白藍でもある。……逆行軍もだが、政府や本部にだって君を目障りに思う汚い人間は居るだろう。例え平野を忍ばせていても、俺を佩いたとしても、予測出来ないような何かが起こる可能性は低くない。…何か異変を感じたらすぐに顕現する、それが守れるならば竹刀袋にでも入ってやるさ」

「恋をするなとは言わん、君も番を見つけ、子を成し、女として幸せなるべきだ。だがどうか、俺が斬るような相手を選んでくれるなよ」

静かに私と彼の境界を消し、長い襟足が掛かるその背に体を預ける。鶴丸国永は刀だ、しかし、温もりがあった。7年間変わらないその温もりを、ただ冷たいだけの鉄屑にはしたくない。