ああ全く、一体俺が何をしたと。

今日は朝から散々だった。まず玄関を開けたら顔面に蜘蛛の巣を浴びた。廊下の天井からぶら下がっていたらしい。巣を破壊されて地に落ちた蜘蛛は音も立てずに逃げ出し、姿を消した。
どれだけ念入りに顔を洗ってもあのやわらかな感触と全身の毛穴が開くような嫌悪感が抜けずに気分は最悪。

再びセーフハウスを出てしっかりと鍵を掛ける。想定外のタイムロスだ。
早足で駐車場に向かい、愛車に鳥糞が掛けられているのを見れば無意識に舌打ちしていた。どうやらマンションの駐車場に燕が巣を作ったようだ。それにしても、よりによってフロントガラス!この辺りで既に機嫌は底辺へと落ちた。
ふつふつと体の内側から湧き上がる苛立ちはぶつける先もなく、無理やり押さえ付けて車内に常備してあるウェットティッシュでそれを拭う。

その後も、警察庁内の上り階段でつまづき、換気しようと窓を開ければ蝶が部屋に侵入し、ポアロに向かう為着替え始めればインナーを裏表逆に着用していたことに気付く。ワイシャツを脱ぎ、飛び出してきたタグには自分でも呆れた。
どうにもついてない。今日は大人しくしていた方が良さそうだ、ポアロのシフトが終わればもう仕事も無いしそのまま降谷零の自宅に帰ってしまおう。
小さく息を吸って、安室透の仮面を被る。
組織は崩壊したというのに、いつになったらこれを棄てられるのか。早く残党を狩り尽くし、せめて1ヶ月の休暇は貰いたいものだ。






*****






満足気に雑貨屋から出てきた少女達が次に向かったのはウェルカムバーガー、昼食を取るらしい。
店内は昼時とあって客が多いが満席ではない。堀川を場所取りに行かせて、レジ前の列に並ぶ。
プライドポテトが揚がる香ばしいにおいがお腹を擽り、食欲が湧く。ハンバーガーなんて久しぶりだ。本丸でも洋食は出るが、さすがにハンバーガーは7年間食べていない。チェーン店ならではの、なんとも言えない安っぽい味がまた好きだった。
きっと体に悪いものがたくさん入ってるんだろう。
「ウェルカムバーガー二つ、フィッシュバーガーセットで烏龍茶一つ、単品の烏龍茶を一つ。以上でお願いします」

お坊ちゃま感溢れるビジュアルに反して、堀川は男らしく大きく口を開けてフィッシュバーガーにかぶりついた。口の端に付いたタルタルソースを唇で舐め取り、咀嚼する。
「僕、ハンバーガーってはじめて食べます。兼さんにも持って帰っていいですか?」
たしかに和泉守が好みそうな食べ物ではあるが、冷めたハンバーガーと萎びたポテトはとても美味しいと言えない。やめておいた方がいいですよ、そう伝えると彼は残念そうに笑う。それから、食べかけのハンバーガーをじいと見つめてまた味わうように食べ始める。これは近々本丸で作る気だ。さすがに全員のを作っていては時間がどれだけあっても足りない、夜食としてかそれとも監察任務時の昼食か。
器用な彼のこと。きっと味もそのまま同じように、もしかしたらさらに美味しく作ってみせるだろう。

「それにしても、呑気ですよね。」
本丸をひとつ、機能停止させたっていうのに。すぐに彼女の刀が殺しに来るとは思わなかったのかな、堀川が小声で呟き、万寿菊を見つめた。視線の先、万寿菊は友人との会話に花を咲かせて楽しげに笑っている。どこにも居るような少女だ。つい最近呪具を使い友人を陥れた犯人とは思えない。
「もし僕があそこの清光と同じ立場だったら速攻首取りにいってたけどなあ」
「…聞かなかったことにしておきましょう」
堀川はにこやかな表情を変えずさらりと問題発言、さすがに監察の刀がそれを言ったら駄目だろう。


「あ、そろそろ別れるみたいです」
白藍の耳では万寿菊の声は届いても内容を聞き取ることは不可能だが、堀川は違う。彼は刀剣男士であり、脇差。そう距離が離れている訳でもない、彼女達の話し声を聞き取ることなど容易い。
堀川が言った通り、盆を持ち席を立った二人は店を出ると、笑顔で手を振りあいそれぞれ歩き出した。
「行きましょうか」



万寿菊の進む道を先回りし、交差点で待ち伏せる。
コツ、コツ、ヒールの音が段々と近づき、白藍と万寿菊との距離は3mも無い。

「…っきゃ、!」
「え…っ!?」
丁度万寿菊が曲がるタイミングで飛び出し、お互いの身体がぶつかり合う。持っていた鞄が指を離れ、大きく音を立てて地面を跳ねた。リップやハンドタオルがばらばらに散らばって寂しげな歩道を彩る。
「すいません!」
当然飛び出した白藍に非はあるのだが、万寿菊は即座に謝りワンピースが地面に付くのも気にせず、鞄とその中身を拾い始めた。
「なにか割れたりしてないといいんですけど…どうしよう、すいません」
「…いえ、飛び出したのは私ですから。あなたは大丈夫でしたか?」
「あたしは大丈夫です、気にしないで下さい!…あ、これって、…鏡の破片…?」
きらきらと光る欠片を見つけると、万寿菊の顔色がさっと悪くなる。ぶつかってきたのが相手だとしても、一見して年上と分かる白藍の持ち物が壊れたことに焦っているようだ。
気持ちが顔にすぐ出る、素直な少女。白藍が実際に会話して感じた印象はそれだった。悪い子じゃ無さそうなんだけどな。直感的に、黒ではないとは思いつつも、まずは話を聞かせてもらわなくては。
「ええと、えと、こういう時ってどうしたら…。あっ、なにかお詫びに、珈琲でも…?」
あたし、珈琲の美味しい喫茶店知ってるんです。誘う万寿菊の右手首を掴み、白藍はにっこり笑う。


「お詫びは結構です。それより私達とお話しませんか?万寿菊さん」

「…え、?っ、なんでその名前…!まさか、歴史修正主義者!」

明後日の方向に勘違いした万寿菊は顔色を失い、ぶるぶると震えはじめた。これからいったいどうなるのか、拷問にかけられるか、殺されるのか。なんにせよ、嫌な考えしか浮かばない。
「え、ちょっと、落ち着いて。大丈夫です、違いますからね!?私は審神者ですからっ」
「……っ」
「落ち着いて!監察官の白藍です、お話を聞かせてください!」
うっすらと涙の膜が張った瞳が大きく開かれる、漸く白藍の話を聞いたようだ。
「監察官、本当に?」

「姉さん、ここでは目立っちゃいますよ」
万寿菊からの疑問は堀川が遮ってしまったが、気配を絶っていた彼の姿を確認すると緊張を解かれ、重心を失ったようによろよろと崩れていく。
掴んだままだった彼女の右手を引き、倒れこまないように身体を支えた。その背中は冷や汗で少しべたりとしていて、最初から名前を告げていれば良かったか、と少しばかり反省。

「そうですね。…脅かしてしまったお詫びに、美味しい珈琲をご馳走します。良い喫茶店を教えて頂けますか?」



大きな探偵事務所の看板が目に付くビルの1階、万寿菊に案内してもらったポアロという喫茶店。お詫びと称してこんな対応を取るのは普段の白藍からしてみれば異例だ。いつもであれば、ブラック本丸の審神者や不正をした役員達は即捕まえて監察へと送り、係の者に全て吐くまで尋問される。
ただ万寿菊は、白藍が監察官と知っても逃げることも無く大人しく、焦りを隠しているようにも見えない。そしてあの直感。少しばかりこちらで話を聞いてからでも構わないだろう。部下に迎えを頼むならまだしも、獅子王を現世に残して帰ることはできない。
運ばれて来たホットコーヒーを飲み、対面に座る少女の言葉を待つ。

「それで、ええと、白藍さんて、監察の人なんですよね」
「そうですね。以前貴方の本丸に、監査に行った蘇芳の上司にあたります」
「蘇芳さんの…。あの、あたし、ブラックな運営なんてしてません。ご飯も一緒に食べてるし、無理な出陣だって。まだ1年だけど、みんなはあたしの家族で…」

「ちょっと待って、万寿菊さん。私はブラック本丸運営について疑っている訳ではありません」

「え?」

呆ける万寿菊に堀川が一枚の写真を差し出した。例のイヤリングが写ったそれを確認すると、小さく声を零す。
「あ、これ…」
「よかった。この呪具に覚えがあるんだね」
「あの、あの子はどうなりましたか?無事ですよね?隠されてないですよねっ?」
早口で捲し立てる万寿菊に、堀川と2人で目を合わせる。無事?隠されていない?どういうことか。それらは明らかに被害者である審神者を心配する言葉で、呪具を使った本人から吐き出されるにはどうにも違和感がある。
「……貴方、これがどんな呪具か分かってますか?」

「え?はい、神隠しを防ぐ呪具って教えてもらいました。あの子は自分の刀剣男士に愛され過ぎているから、もう少しで神隠しされちゃう。だから、それを防ぐものを贈ったんです!それ、ちゃんと効果ありましたか?」

ーー神隠し。まだそんな噂が立っているのか。
一般的な審神者に顕現されている刀剣男士にはそんな力は全くない。随分と前に、刀剣男士による神隠しが問題となり本部と各本霊が話し合ってこれから先に顕現される分霊にはそのような力を与えないように決められている。
それでもまだ都市伝説的な噂が切れないのは、上手く隠れたブラック審神者が逮捕されたりしてこの審神者界から姿を消すからだろうか。そして、神隠しを信じる審神者が直接刀剣男士達に問わないから。
つまり今回の事件にはやはり万寿菊を唆し呪具を手渡した人物がいて、それが呪具を作った本人か、それともまた別にいるのか。
万寿菊が呪具を贈ったのは友人を神隠しから救いたいから。では万寿菊に呪具を渡した人物の狙いは?友人を挟んだ方が受け取ってくれるから、万寿菊が贈るように唆した。
被害者への個人的な恨みがあったのか。新しく作った呪具の試験か。ただの興味本位か。歴史修正主義者からの揺さぶりか。誰でも良かったのか。

「万寿菊さん、よく聞いて下さい。まず、現在神隠しが可能とされている刀剣男士は殆どいません。神隠しが問題となったのはいまから七年前のことで、それ以降に顕現された刀剣男士は神隠しはできないようになっています。貴方の贈ったそれは神隠しを防ぐものではなく、審神者の霊力を食い潰すもの。貴方の友人は日に日に霊力を失い、刀剣男士は人の姿を消され、現在本丸は運営停止状態です」

「……は、」

「神隠しなんてただの噂。僕達にそんな力はないんだよ」

万寿菊は目も口も大きく開けて、酷く動揺していた。大切な友人を守ろうとしたら逆に傷つけていた、なんて。
あ、え?、言葉にもならない声を出し、両手で口を抑えた。
「なんで」「うそでしょ」「あたしが、」「まって」「そんな」
ボロボロと大粒の雨を降らして顔を埋める彼女には白藍の存在などもう見えていないだろう。
「…蘇芳を呼びます。詳しくはあちらで」



程なくして来た蘇芳に支えられながら万寿菊は店から出ていった。
なんだかなあ、自分より遥かに若い少女を泣かすのはたとえ仕事と言えど辛いものがある。そして視線も痛い。
「…あの、大丈夫ですか?さっきの子、随分泣いてましたけど…」

「ええ、きっとあの子は知らない方が幸せだったのでしょうが…。どうもすいませんでした、お店の空気悪くしちゃいましたよね」
いかにもな訳あり感を醸し出し、店員の良心を突く。こう言われればさすがに責めてはこないだろう。
お姉さんは困ったように眉を寄せて、いえ、とだけ。
「ホットコーヒーとミルクティーおかわりおねがいします」
「はい、少々お待ち下さいね」

店員が離れて行き、ほうと息を吐く。きっと蘇芳もびっくりしたことだろう。あの様子では暫くは泣き止まないだろうし、こんど美味しいご飯でも奢ってあげようか。

「…ポアロっていう喫茶店で…はい、わかりました、はい!」
いつの間にやら、堀川が携帯端末で電話をしている。このタイミングからいっておそらく相手は獅子王だ。連絡手段が耳を飾る無線では無いのは、彼の近くに人がいることを想定してのこと。仕事の出来る脇差の頭をよしよしと撫でる。さらさらと指通りの良い黒髪が気持ちいい。
「これからポアロ向かうとのことです」
「はーい」
敬語崩れてきてるよ、なんてお小言を聞き流してポアロのメニュー表を指でいじる。大きく乗っているハムサンドがやけに美味しそうだった。獅子王は昼食を取れているだろうか、もしまだならこのサンドイッチを注文して一口頂きたい。

流石に違うとは思いつつも、ドアベルの鳴った入口を振り返ると雑貨屋前で話した2人の少女が店内へと入っていた。白藍の顔を見て驚く2人に、にこと微笑みを返して軽く会釈する。
「あーっ、あの時の眼鏡美人と将来有望美少年!」
「ちょ、ちょっと園子…!」



女子校生二人組は茶髪ショートにカチューシャの子が鈴木園子、黒髪ロングの子は毛利蘭という名前で、毛利さんは看板にも書いてあった毛利探偵事務所の娘さん。今朝庭で見た夏の象徴、大きく咲くひまわりを思わせるように明るく笑顔が絶えない二人。白藍の沈んだ気持ちも少しずつ上がり、今度は作り笑顔でもなく、自然と目元が和らぎ口角が緩む。
「私は白藍まどか、こっちは弟の、」
「白藍国広と言います」
告げたのは名字に監察官としての審神者名、名前は本来のもの。何処に歴史修正主義者が居るかは分からないが、名前だけで自分の個人情報が漏れることはないだろう。

「まどかさん達はポアロ初めてですか?わたし達、よく此処に来ますけど初めて会いましたよね」
「ええ、知り合いの子に此処の珈琲が美味しいとお勧めしてもらったので 」

「ちっちっち、まどかさん、オススメは珈琲だけじゃないのよ!これ、ハムサンド!」
にんまりと得意気に指された先は、数分前まで白藍の頭のなかにあったそれで。
「安室さん特製のハムサンド、とっても美味しいんだから!今まで食べたサンドイッチの中でも1番!」


「あの鈴木財閥のお嬢様にそこまで言って頂けるなんて。うれしい言葉をありがとうございます」


がつんと金槌で頭を殴られような衝撃が走り、身体が硬直した。抑えた動揺を逃すことなく拾った堀川が心配する視線をなげるが、白藍に反応を返す余裕はない。
遠く霞んでいた記憶が一気にその鮮やかな色彩を取り戻す。そうだ、こんな声だった。安室透だとか、喫茶店のアルバイトだとか。全く理解できないが、ただひとつの確信。

私は彼を知っている。



「安室さん!」
「さっきまで居ませんでしたよね?」

「蘭さんに園子さん、久しぶりですね、いらっしゃい。ハムサンドの買い出しに行っていたんです。あれ、…そちらは、初めてのお客様ですか?」