「いってくるよ、いい子にしているんだぞ」
「お留守番、よろしくね」
「はぁい。パパ、ママ、行ってらっしゃい」
女王騎士を務めるパパとエリザベートさまの侍女として働くママは今日も朝早くから家を出ていった。二人が日中過ごす城にピラミッドが刺さってもう一週間だ。相変わらずピラミッドは刺さったまま、けれど本来の城主であるエリザベートさまがクレオパトラさまへと挑み、今では2人でチェイテを治めている。
ハロウィンのお祭り期間、街はとても賑やかだ。街中にカボチャのランタンや城主の人形が飾られ、仮装した子供達が菓子を求めて練り歩いている。城からボエボエとおかしな叫び声も聞こえるが、この騒がしさには適わない。
「魔女帽子、おっけい。箒、おっけい。マントも羽織っているし、忘れ物は無いはず」
玄関で手荷物を確認し、にっ、と口角を上げる。傍から見たら、ハロウィンの仮装だと思われるだろう。けれど、私のこれは断じて仮装ではない。
とんがった魔女帽子、フリルやリボンで飾られた黒のワンピース、竹箒。
魔女見習いである私は、今日、正式に魔女になるのだ。
足取り軽く家を飛び出せば案の定、すぐに可愛らしいお化けに捕まった。狼少年を先頭に、ミイラ男、羽の生えた魔女、ゾンビまで。
「Trick or Treat!」
お決まりの言葉を受け取り、昨日ママと一緒に焼いたクッキーを差し出した。チョコチップが沢山散りばめられたクッキーを見て子供たちは、わぁと色めき立つ。キラキラと光る瞳が可愛らしくて、つい目尻が下がる。一人っ子の私は、年下の子供にとても弱い。同時に、年上である大人にも弱いのだけれど、それはまた後で。
「はい、あげる。みんなで分けてね」
「ありがとう!魔女のお姉さん!」
"魔女のお姉さん"!なんて良い響きだろう。ばいばいと手を振って、目的地へと向かう。
賑やかな街を抜け、冷たい風が吹く寂れた墓地へと入り、薄暗い木々の合間に隠れた小道を進む。
いつもはアビシャグを探すダビデやオジキ達がいるのだけれど、今日は人っ子一人居ない。
みんなも街で祭りを楽しんでいるのかもしれない。ハロウィンだからと、それなりに肌を晒す女の人目的という事もありえるけれど。
不気味な道はまだまだ続く。もう既に、振り返ったところで街どころかあの墓地すらも無く、ただ遠くに逆さまのピラミッドがぼんやりと見えるだけだった。
「フォウ!」
「!フォウくん、迎えに来てくれたの?」
「フォーウ、フォウ!」
いつの間にやら、痩けた木の枝には白い使い魔が座っていた。私の師が使役している、猫なのか狐なのか、いまいちよく分からないフォウくん。師に聞いてもにやりと笑ってはぐらかすだけで一向に教えてくれる気配はない。私も使い魔を使役するならフォウくんみたいに可愛い子が良いからちゃんと教えて欲しいのに「君にはまだ早いかな」なんて、そればっかりなのだ。
ぴょん、と軽々と私の足元に着地し、大きな紫色がこちらを見詰める。
「フォウ」
「うん、行こっか。……ちょっと、緊張するけど」
魔女見習いを卒業するための試験、その内容は知らされていない。いったいどんな無理難題を押し付けられるのか。師である魔女は人並み外れた閃きを産む脳を持っており、私の凡庸な思考回路では全く予測できない。
「うーん、こわいなぁ。もし火山地帯で素材取ってこいとかだったらどうしよう」
「フォウ?」
「うん、うん……、頑張るしかないよね」
ぱちん、薄暗い小道に軽い音が響いた。頬を叩いて気合いを入れ直し、再び足を進める。どんな試練が待ち構えようと、私は魔女になる、そう決めたのだ。
墓場から数十分掛けてようやく目当ての館に到着した。立派な門がキィキィと音を立ててひとりでに開いた。
(大丈夫、きっと命に関わるようなことはない。……はず!)
この洋館に入るのももう何度目だろう。相変わらず、廊下には投げ捨てられた彫刻や絵画が乱雑に散らばっている。私はどれも美しくて素晴らしい作品だと思うのだけれど、この作者は完全主義者で少しでも気に食わないことがあるとすぐに捨ててしまう。
「これとか、マタ・ハリに言えば喜んで店に飾ってくれそうなのに」
「駄目駄目、有り得ないよ。それは失敗作さ、私は自分が満足行かなかったものを世に出すほど嫌なことはない」
「師匠!」
繊細な彫りが施された扉から出てくるなり大きな音を立て、芸術の残骸が手から放たれて行く。あれは、前回此処に訪れた時作り始めていたソリのような形をした何かだ。にゃんにゃん号、だったか、名前こそ忘れてしまったけれど、馬車にも魔女の箒にも負けぬ速さで人を運ぶ画期的な発明をしているのだ、そう楽しげに取り組んでいたものだった。
未練などさらさら無いと言うように、師はもうそれらへ見向きもせずに私にひらりと手を振った。
このチェイテが誇る至高の芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチ。そして、またの名を月夜の魔女。芸術家が魔女になったのか、魔女が芸術家になったのか、その真偽は誰にも知られていない。けれど恐ろしいほどにうつくしい顔と身体を持つ、彼女こそが私の師である。彼女と言っても、男なのか女なのかすらハッキリと教えてもらっていないのだけれど。
「んん?師匠?」
「あっ、えっと、ダ・ヴィンチちゃん!」
「うん、大変よろしい。さて、こんなガラクタは放っておいて部屋に入りたまえよ。試験の内容を伝えようじゃないか」
画材や工具が散らかる部屋は、とても広いはずなのにどうしても狭く感じてしまう。ダ・ヴィンチちゃんは部屋にひとつしかない椅子に座り、長い脚を組んだ。緩く巻かれている髪の毛をさっと流す所作でさえ美しい。
「さて、君が気になって仕方がないであろう試験だが……。そう怖がらなくてもいい、至ってシンプルなものさ」
笑ってウィンクを飛ばすダ・ヴィンチちゃんに胸が騒ぐ。ばくばくと大きな音を立てて、今にも口から飛び出しそうだ。天才の考えていることは読めない。奇想天外で、摩訶不思議、とんでもない思いつきを何でもないように言い放つのだから。
さあ。何だ、何が来る……!
「とある引きこもり伯爵が持っている黄金に輝く杯をひとつ、取ってくること」
ーー引きこもり伯爵、その人の噂は1度だけ聞いたことがあった。いつのことだったか忘れてしまったけれど、噂話が大好きな隣人のお姉さんが、潜めた声で語り掛けて来たのだ。
『ねえ、知ってる?雪原、訪れた人を永遠の眠りに誘うまどろみの大地のその先に、怪しげな館があるのよ。それでね、そこには引きこもりの伯爵様が住んでいらっしゃるの。夜ごと、うら若きゲストを招いては極上の悦びで持て成す謎多き伯爵様よ。それはもう見目麗しく、女はひと目で虜になってしまうと言われているわ。でも、その伯爵様って本当はね……』
「伯爵様を食い荒らしてその体に取り付いた、恐ろしい悪魔……」
きっともうすぐ私の番が来てしまうわ、いったい何をされるのかしら。お姉さんが好奇心半分、不安半分でなんと言い様のない顔をしていたのを思い出す。その後の話は聞いていないけれど、お姉さんは彼の伯爵様に招かれたのだろうか。
ダ・ヴィンチちゃんは私の言葉を聞くと、一瞬呆けたように固まって、それからすぐに大きな声で笑い出した。
「っふ、ははは!悪魔!アイツに沢山の噂があるのは知っていたけれど、それは初めて聞いたぜ!ああ、可笑しい!」
にまにまといやらしく笑う様は美女にあるまじき姿だが、そんなことも気にせず彼女は未だに喉を震わせている。
試験のことといい、この言い方といい、ダ・ヴィンチちゃんはどうやら噂の伯爵様と面識があるみたいだ。いや、面識と言うよりもっと、親しげである。
「笑った笑った!まだ気を抜くとこのこみ上げてくる衝動を抑えきれないな。……しかしナマエちゃんが既に引きこもり伯爵やその館のことを知っているならもう何もいうことは無いね。確かに雪原をもう少し進んだ辺りに彼の館がある。だが気を付けなさい、そのお隣に建つ冬の城には入らないように」
「冬の城?」
「見習いの君じゃまだ危なっかしいからね。まっ、一人前になった所で暫くは会わせられないか」
冬の城に一体何があるのか、その秘密を知りたいとは思うけれど、今の最優先事項は引きこもり伯爵の杯だ。悪魔と噂される伯爵がどのような人物なのか、まったく分からない。それでも私は1分、1秒でも早く、一人前の魔女になりたい。
「君は一人で森より先に進んだことは無かったね。この時期は特にゴースト達が多い、フォウ君を連れて行くと良い」
「うん、ありがとう」
フォウくんが一緒なら一人で行くよりずっと心強いし、何より癒しになる。ダ・ヴィンチの言葉に素直に頷いて、足元に擦り寄る柔らかな毛並みを撫でた。
「いいかい、伯爵にはもう魔女見習いが杯を取りにいくと伝えてある。この試験への協力を承認してくれているため何をしても罪にはならない。魔術でも体でも何でも使って、あの男から奪っておいで」
「か、体!?何言ってるのダ・ヴィンチちゃん!」
「ははは、それぐらいの気持ちで、ということさ!」
試験の期限はこの祭りが終わるまで。
すぐに終えれるとは思うけれど、何が起こるかは行って見なければ分からない。余裕を持って、行動しなければ。
「じゃあ、さっそく行ってくるね」
「頑張ってね。……ああ!私としたことがうっかり、忘れていたよ。その魔術礼装、とっても似合っているよ。うんうん、頑張った甲斐があったな」
「ありがとう!ダ・ヴィンチちゃんも相変わらずセクシー……じゃないね、いつものはどうしたの?」
「ここ最近は製作に追われていてね、これから1週間はぐうたら過ごすのさ。む、何だいその呆れ顔は。天才って言うのは常人の3倍は休みを貰わないとその力を発揮出来ないものだよ?天才なんて大抵こんなものだ、芸術家も作家も音楽家もね」
ダ・ヴィンチちゃんが欠伸をしながら脚を組み直す。そんな主人に使い魔のフォウくんさえも半目でじっとりと圧を掛けていた。
砕けた空気に肩の力も抜け、無意識に張っていた緊張感が緩んでいく。
月夜の魔女、レオナルド・ダ・ヴィンチに弟子入りして1年。正式な魔女になるには短過ぎる。それでもこの1年間容赦なく扱かれて、随分成長したと思う。変に力まずとも、いつも通りにすればきっと上手くいくだろう。
指先に集中して、ぽっと暖かな光を灯す。うん、絶好調。
いよいよ完全に怠けたダ・ヴィンチちゃんに出発を告げ、数分前に入った扉を開く。
謎多き麗しの伯爵様、いまから貴方の持つ黄金の杯を頂きに参ります。楽しみに待っていて、きっと持て成す暇も無いくらいに早く終わらせてみせるから。