(TwitterDC夢企画threepingさんに提出 みえるひと、スコッチ、秘密で幸せではない話)


くるくるくる、ありふれたビニール傘を回せば雨粒が楽しげに踊り始める。一本何百円の可愛げもない傘だ。けれど私にとっては何よりも大切な世界にひとつだけの宝物である。
二年前までは嫌いだった雨が、少し降っただけでも鼻歌を歌いだすほど好きになったのもこの宝物のおかげ。

「うわっ、冷てえ!」
「すみません!……あ、えっと、お久しぶりです!」

振り続ける雨の中、ただひたすらに立ち続けているのには理由があった。
名前も、年も、職業も、何ひとつとして教えてくれないけれど、私はこの人に会うために今日もこの場所で待っていたのだ。

「おう、久しぶり」



彼と出会ったのは二年前の夏。夏の夜は冷えるなんて言うけれどその日は湿気が多く、汗を掻いた額に髪の毛が引っ付いたのをよく覚えている。



*****



目が痛くなるような蛍光色のネオンがそれぞれ眩しく主張し合って、道行くカップルを誘っている。
照らされた白いセーラー服は酷く場違いだが、もうどうしようも無いのだと自分に言い聞かせて膝を抱く。
こんなホテル街の道端に1人で座り込んだ女子高生、導き出される答えはひとつしかないだろう。通り過ぎていく男達の視線に震えながら、待つことしか出来なかった。
「いくら?」
「……え、」
声を掛けてきたのは薄い頭の中年で、草臥れたスーツを着ているサラリーマン。値踏みをするように私の顔、身体をねっとりと眺めていた。

「その反応、初めてか。何か困ってることでもあるのかな?」
「あ、あの、わたし、」
「もしかして処女?」

1歩、また1歩と距離を詰めてくる男の吐息は荒く、ゾッと鳥肌が立つ。立ち上がることすら出来ずに縮こまるが、また男の興奮を助長させるだけだった。
生まれてから10年と少し。そういった行為をした事はない。自分よりも大きな男から見下ろされるのは恐ろしいし、この先どうなってしまうのか、不安しかない。
「心配することないよ。ほら、いくら欲しい」
財布を取り出し、傲慢にも札を見せびらかす男の頬は緩やかに上がっていく。
お金。そうだ、私はお金を貰うためにこんな場所で客が来るのを待っていた。高校生のアルバイトの時給なんて高が知れている。その何倍ものお金が必要なのだ。危険はあるが大金を稼ぐにはこっちの方が手っ取り早い。
「え、と」
しかし、いくらと聞かれても相場が分からないのだからどうにも答えに詰まる。
落ち着け、落ち着け。自分の価値はいったいどれ程のものだろう。
まず第一に、高校生であること。(女子高生なんてそこらに溢れかえっている)
第二に、処女であること。(色事に不慣れな女なんて面倒なだけではないのか)
「…………」
胸が大きい訳でも無く、顔の造形が整っていることも無い。キスをしたことも無ければ異性と付き合ったことも無い自分では、この中年を満足させることも出来ないだろう。

千円、二千円貰えればいい方なのかな……?
勿論本音はもっともっと欲しい。それでも自分の処女が価値あるものとは思えないのだ。
「金のことは後でもいいね、ほら前金だ」
乱雑に押し付けられたのは一万円札だった。
「えっ!」
「さぁ行こう」
思わぬ金額にあたふたと慌てて、伸びる腕を避け損ねてしまう。痛いくらいに強く握られ、眉を顰めるが中年はホテル選びに夢中でこちらの事など気にも掛けていない。

「悪いなオヤジさん。この娘俺の連れなんだ、見逃してくれないか?」

「……は?」
ああいよいよだと腹を括ったその時、突然第三者の声がした。私達の数歩先でひとりの男がこちらへ向かって歩いてくる。夕闇に溶けるグレーのパーカー、フードの下は影になってよく見えない。
「何なんだ!この娘を買ったのは俺だぞ!」
「い、いたい!」
ぎちぎちと締め付けてくる男の手は私ひとりで外せるほど優しくない。腕の痛みと荒い男の声が恐ろしくて、じわりと目尻に涙が溜まっていく。
「まあ落ち着けって、別に売りやってますなんざ一言も言ってなかっただろ。慌てて吃ってるこの娘に金押し付けたのは誰だ?」
「……っ失礼する!」
顔を赤くした男はぱっと手を離し、足早に去って行く。その背中はすぐに見えなくなり、残されたのは私とパーカーの男だけ。
彼はいったい何を考えているのか、全く理解出来ないでいる。見知らぬ女子高生と仕事帰りの中年サラリーマンがラブホ街で話し込んでるのなら明らかに援助交際だ。素知らぬ顔で通り過ぎてしまえばいいのに、わざわざ割り込んできた理由は?

静かに近づいてくる男に両手を握りしめ身体を固くする。くしゃりと紙幣の折れる音がして、お金を受け取ったままだったことを思い出した。

「児童買春罪」
「へ……?」
「18歳未満との援助交際は罰則5年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金だ」

サーっと血の気が引く音を聞いた気がした。え、あっ、意味を成さない声だけが口から漏れて、焦燥感が胸の内を荒らした。
もしかして私、捕まっちゃうの?
嫌な想像ばかりが脳内に広がっていき、手のひらがじっとりと汗で濡れている。極度の緊張、後悔、不安、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。
「泣くな泣くな!怖がらせて悪かった」
とうとう涙が零れてしまう、そんな時、頭に温もりが触れた。大きくて温かい男の手。ぽんぽんと優しい動きで私の心を和らげてくれる。
「援助交際で逮捕されるのは援助した側だから、君が捕まることはないんだ。今のはーー、ちょっと反省して貰おうと思ってな」
「……私、捕まりませんか?」
「大丈夫だって、心配すんな。そもそも未遂だろ」
そう、私は身体を売ってなんか無いしホテルにも入ってーーーー

「っお金!貰ったままです!!」






これは有罪だ、刑務所行きだ、と顔を青ざめる私を宥め、落ち着かせてくれたのはやはりパーカーの男だった。なんとか平常を取り戻した私は今、その男とファミレスに居る。
シュワシュワ弾けるメロンソーダを飲み下して、運ばれてきたドリアに目を向ける。外食なんていつぶりだろうか。ミートソースの香りが鼻を擽り、胃を刺激する。
「いただきます……」
「おう」
店の室内灯が男の顔を照らす。外では見えなかった顔も、今はその全てを晒していた。
触れたら固そうな髭とグレーの瞳が印象的だ。何歳位だろうか、髭があるとやはり老けて見えるし、けれどにこにこと笑う顔はどこか幼さも見える。

「お兄さんは警察なんですか?」
「ん?」
「懲役とか、罰金とか、すぐに出てきたので……」
「警察官っぽい?見えるか?」
「ぜんぜん」
「はは、じゃあ違うかもな」

私の問いはひらりと躱されて答えを貰うことは出来なかった。警察じゃないのだとしたら弁護士とか、いや、それはもっと違う気がする。
「で、君はなんであんな事を?」
「……実は、」

初対面の人に話す内容ではないというのに、私の口はとても素直に開いてしまった。
まず、父親が死んだ。酒に酔った若者の運転ろする車が歩いていた父親に突っ込んで、病院に運ばれたけど助からなくて。
それから、父親が多額の借金をしていたことを知ったのだ。
母親の給料だけでは全て返済などとても不可能で、強面の男達に言われた通りこうして夜の街へ繰り出した。本当はもっとお金を貰える仕事を勧められたけれど、さすがにAVがとか、店が、と言われると怖すぎる。
今まで誰にも言えなかった現実と弱音を吐き出した私は軽くなった胸を撫で下ろして、静かに聞いてくれた目の前の彼を見た。重たくて引かれたかもしれない。空気が暗くならないように軽い口調で、何でもないように話はしたものの、出会って1時間の子供にこんな話をされても反応に困ってしまうだろう。

「そっか」
「……うん」
「頑張ったんだなぁ、偉かったな」
「……うんっ」

日に日におかしくなっていく母親、毎日取り立てにくる厳つい男達。親戚は皆見ない振りで、頼れる人なんて誰一人居ない。
そうして磨り減っていった心を今、掬いとってもらえた気がした。
一粒の雫がドリアに落ちて、すぐに見えなくなった。目元を擦り、息を履く。不思議だ、この男の近くは酷く落ち着いて居心地がいい。焦ってばかりだった心が、こんなに穏やかなのはいつぶりだろう。
それでも、私の気持ちが落ち着いたからといって借金が無くなる訳ではない。

「……あーあ、もう、どうしたらいいんですかね」
「ん?」
「なんか、お先真っ暗っていうか……合法的に沢山のお金を稼ぐなら夜のお店で働くくらいしか思い付かなくて。キャバクラとかって何歳から大丈夫でしたっけ」
「キャバクラなら18から働けるけど高校生には無理だな。って、そもそも水商売はやめとけ」

返ってきた言葉につい眉が寄る。
「じゃあお兄さんが借金払ってくれるんですか?」
「おっ!お兄さんか!新鮮でいいな」
「話聞いてます!?だいたい、貴方が名前を教えてくれないから」
客も疎らな店内で私の声はよく通り、チラチラと店員の視線が集まればお兄さんはとうとう声を上げて笑ってしまった。かっと頬が熱くなる。慌てて口に含んだメロンソーダは温くなっていて、これでは頬を冷やすこともできない。
「あー、笑った笑った。泣いてる顔よりよっぽど良いな」
「なっ、な、なにを」

「……すぐに生活も落ち着くさ。それまで待ってろ」
やけに確信めいたその言葉は、私の胸に静かに降り注いで暖かな希望となる。
「未来が見えるみたいに言うんですね」

「おう、ばっちり。君とお母さんが笑いあってる未来が見えるよ」

馬鹿馬鹿しい、まるで子供騙しな、そんな言葉だった。それなのにこれ以上ないくらいに柔らかく笑うから、気付いたら口が動いていたのだ。
「……仕方ないから、信じてあげます」

大きな窓の外ではポツポツと雨が降り始めている。ガラスに当たっては飛び跳ねる水の粒が、まるで宝石のように美しく見えた。



*****



「ん?どうした、ニヤニヤして」
「いえ、初めて会った時の事を思い出してました」

お兄さんと初めて会ったあの日から数日後、借金の取り立ては急に来なくなった。二年前経った今でもよく理解していないけれど、父親が借金した会社はどうやら違法に取り立てたお金を大きな犯罪組織に流していたらしい。そもそも犯罪組織が資金作りのために立ち上げた会社だとかも聞いた。ほかにも噂は多いがやはりどれが真実かは分からないし、母親がきちんと話を聞いているならば私は気にしなくてもいいかななんて。
生活が落ち着いた今、重要なのは苦労してきた母親が少しでも楽になる様に仕事に励むことと、この掴めないお兄さんを繋ぎ止めること。
あの夜から連日ホテル街に通い続けた私は、何度も誘いを受けながらもひたすらにお兄さんを待ち続けた。また会える確証なんて無かったけれど何度目かの夜、ついにお兄さんに再会することが出来たのだ。
次はいつ会えますかとしつこく食らいつき、月に1度だけあのファミレスで食事に付き合って貰っている。

「ああ、懐かしいなあ。大きくなったもんだ」
「出会った時から大して変わってないですよ?」
「いや、大人になったよ。……雨降ってるんだから中に入ってたら良いだろ、風邪引くぞ?」
「いいんです、雨、好きなので!」
私の握る傘が、帰り道のコンビニで買ってくれたものだと気付くと、お兄さんは困ったように笑った。


カランコロン。ベルの音を聞きながら入店し、案内された席へと進み、使い込まれたソファに腰を下ろしてメニューも見ずに料理を頼む。
「ミートソースのドリアとドリンクバーで」
「そこは変わらないんだな、……じゃあ俺はこの特製ハンバーグのドリンクセットを」

ドリンクバーでは勿論メロンソーダ一択。安っぽい味の炭酸がシュワシュワと音を鳴らしている。グラスを持つ手に力が入って、そして自分が緊張していることに気付いた。このメロンソーダよりもずっと、私の心臓の方が騒がしく飛び跳ねている。
正直に言えば、この甘酸っぱい恋が叶う自信は全くない。私はお兄さんのことを何も知らないし、お兄さんも私のことは良くて妹くらいにしか思ってないだろう。もしかしたら月に1度の食事すら無くなってしまうかもしれない。それでも、2年もの間大切に溜め込んできた恋心は爆発寸前で、少し気を抜けばすぐに溢れてしまいそう。

運ばれてきたドリアを冷ましながら下らない話を続ける。
新しく変わった上司は融通が聞かない、もっとボーナスくれればいいのに。こういった話題はいつだって私のことばかりで、お兄さんが自分のことを話すことはまず無い。一年位前に気になって、どんな仕事をしているのか聞いたことがある。笑って誤魔化されたけれど、追求するな、と確かな拒絶があった。彼の秘密を暴きたい、暴けない。
切ないようで、けれどそれすらも恋しくて、もどかしい気持ちをドリアとともに咀嚼して飲み込んできた。


それも、今日で終わり。


スプーンをゆっくり降ろして、灰色の瞳を真っ直ぐに見詰める。その色が何よりも鮮やかに見えるのは惚れた欲目だろうか。
「お、お兄さん。心して聞いてください」
「なんだ急に、」
「実は、……私もっ、私も未来が見えるようになりました」

「へ」

「お兄さんの未来で、お兄さんの隣で、二人一緒に笑ってる姿が見えます……!ええと、だから、その、お兄さんは、私と付き合うべきですっ」

よく笑う表情が豊かなお兄さんだけど、こんな風に目をまん丸にして、口も半開きで、呆然としている姿は初めて見た。とんでもないことを言っていることは自分でもよく分かっている。
胸の内がむずむずと焦れて、痒い。なんて言われるだろう。笑ってくれるかな、引かれちゃうかな。
「……はははははは!そうか、そう来たかぁ、うん」
一拍置いて笑い出したお兄さんに少し安堵する。返ってくる答えが何であれ、最悪の未来は避けられたらしい。そうなると、次に湧き上がるのは期待だ。もしかしたら、もしかするかもしれない。いいや、過度の期待は危険。でも、もしかしたら。
奥のテーブルに座る男子高校生がちらちらと振り返ってはすぐに前を向く。店員もこちらを気にしているし、せめて店の外まで待てばよかったと少し後悔。

「それで、あの……」
「俺にはまだそこまで遠い未来は見えないけど、君がそう言うならそうなんだろ?」
「……つまり?」

「未来で君が待っててくれるなら、俺も頑張らなきゃいけないな」

いったいお兄さんは何を頑張るつもりなのか。彼の秘密は何ひとつとして明かされることは無かったけれど、私の言葉は無事に受け入れて貰えたようだ。
と言っても、これからよろしくお願いしますとお付き合い開始とは行かなかった。大きな仕事が終わるまで、付き合うことは出来ないのだと真剣な顔で告げられれば我儘を言うこともできない。お兄さんは私の好意を受け止め、私はお兄さんからの言葉を待ち続ける。
そうして、これからも月に一度の食事を楽しみに日々を過ごすのだと、

そう、思っていた。


*****

















甘いスイーツとクリームの乗ったラテ、恋にときめく女の子達の笑い声。ポアロの店内には甘ったるい空気が広がっていた。
どう考えても場違いである。こんなにピンク一色で染められた中、話すことなんてひとつもない。それでも可愛い年下のお友達にせがまれれば、浮かせた腰も簡単に沈んでしまうのだ。

「で、最近どうなんですか!?」
「相変わらず、相変わらずだから落ち着いて」
「もうっ、いつもそればっかり!何を聞いても教えてくれないんだもの」

まあ落ち着いて、と蘭ちゃんが園子ちゃんをあやし、その横では頬杖を付いたコナンくんが呆れたように笑っていた。
ふと目を逸らした窓の向こう、強く打ち付ける雨は激しさを増していて、店内との温度差を感じてしまう。
聞いてますか!?と園子ちゃんにまた怒られては頬を掻いた。

「で、彼氏さんのお仕事は」
「何だと思う?」
「年齢は」
「内緒だよ」
「どこに住んでる人?」
「さあ何処だろう」
「ちょっとーー!……せめて名前だけでも!」

「秘密」


残念ながら彼氏なんて何年も居ない。彼女達は今日も、私の虚勢と願望で造られた"彼氏"について噛み付くように質問を続けている。
いつか、私が彼女達の質問に答える日は来るのだろうか。あのファミレスのドリアの味も、もうすっかり忘れてしまったけれど。

からっぽの秘密