わたしはあの世界でただひとり、選ばれた人間である。
わたしだけが、彼らを救える。わたしだけが、彼らを幸せにしてあげられる。わたしだけ、わたしだけが、神に選ばれたのだ。
うまく、行くだろうか。いいや、何が何でも成功させるのだ。みんなが幸せに笑い合う未来を掴むために、わたしがやるしかない。わたしがやらなければ、だれも救われない。
「やれる、やれる、わたしならやれる」
「ん、どうした?」
灰色の瞳がわたしの顔を覗き込んでくる。いつか見た容姿より、ずっと若い彼、世界の裏側も知らないまっさらな高校生。
かわいそうなひとだ。
数年後には国のために犯罪者ごっこをさせられて、そして、死んじゃうひと。かつて知りたくて堪らなかったその名前をそっと空気に乗せて、ふるふると首を振った。
「ううん、なんでもない。次の授業は移動教室だったよね」
「おう、俺あの先生苦手なんだよなぁ。説明も分かりにくいしさ」
「たしかに。ま、急ごう」
かわいそうなスコッチ。でも、わたしが救ってあげられる。
萩原だって、松田陣平だって、宮野明美だって。ヒロキくんだって、みんな、みーんな、わたしが助けてあげる。
だって、わたしはそのためにこの世界に来たんだから。
*****
ビルが燃えている。
有害物質を含んだ黒い煙が空へと昇り、辺りを覆い隠していく。群がるひとも、うるさい警官も、必死に活動する消防も、空を飛ぶヘリコプターも、全てが煩わしくて気持ちが悪い。
「う、ぅえ……っ、な、で?」
込み上げる吐き気を必死に抑えて、けれど溢れる涙はそのままに。ぼやける視界で未だ燃え続けるビルを見上げた。
上手くいったと思っていたのに。
だって、スコッチは生きてる。姿を隠し妹ともまだ再会できていないけど、宮野明美も生きている。他にも、みんな。みんな救ってきた。だからそのまま原作入りして、安心していたのに。
「なっ、くそ!こんなんじゃ……!」
ニュースで知ったのか、それとも煙を追いかけて来たのか、気が付けば隣に江戸川コナンがいた。
「コナンくん……っ」
「名前さん!!ねえ!中に2人がいるって本当なの!?」
「……っうん、ねぇ、コナンくん、コナンくんなら、いま中にーー、ううん、なんでもない」
汚れた指で目蓋を覆う。馬鹿だ。もう何年も、ここで生きていたのにまだ彼を漫画の主人公として扱っている自分がいる。彼なら二人を救えるんじゃないかって、彼ならこの火の中でも平気なんじゃないかって。
乱れた呼吸を無理やり整えて思いっきり頬を叩けば、もう覚悟は決まっていた。心臓はかつてないほどに暴れて、背中を冷たい汗が伝う。
今すぐ逃げ出してしまいたい。
でも、やっぱり、彼らを救えるのはわたしだけだから。
「名前さん?……っ、待て!!」
降り掛かる怒鳴り声なんて聞こえない振りで、全力で走り出す。馬鹿みたいでしょ。でもわたしはそのためにこの世界に来たから、大好きなひとはみんな助けてあげたいの。そのための力なの。
「わたしならっ、やれる、できる!たすけてあげられる!邪魔、しないでよ!!」
腕を掴もうと走り寄ってきた警察官が吹き飛んでいく。消防士の伸ばした手のひらは弾かれた。
「ああ!ああ!神様!ねえ!二人を救っていいんでしょう!」
火の海を駆けてもこれっぽっちも熱くないし苦しくもない。神様から与えられた力。たとえ何であれ、わたしを害することは出来やしないのだ。
瓦礫を飛び越えて階段を駆け上がり、見つけたのは壁に持たれて座る二人。黒い煙がその顔を隠すけど、間違いない。
「萩原くん、松田くん……!」
「まさか、ほんとに来るとはね」
「なに、お前主の言ったこと疑ってたわけ?」
「そうやっていちいち五月蝿く口挟むのやめろよ、うざい」
「はぁ?言っとくけどうざいのはお前だからね」
「え、な、だれ!?」
異常なまでの嫌悪感に駆け寄ろうとしていた足が停止した。目の前の状況がまるで理解できない。
「煙いなぁ、それに熱くて溶けそう」
「勝手に溶けてろって。まっ、俺はさっさと主命を果たして主のもとへ帰るけど」
瓦礫の上に立つ二人の青年、その青と赤の瞳がわたしを鋭く切り付けてくる。感じたことのないおそろしい殺気にぶわりと鳥肌が立ち、息切れがする。
こわい。
これは、どう足掻いてもわたしとは相容れない存在だ。このままじゃだめ、はやく、ころさなきゃ、折って、砕いて、溶かして、壊さなくちゃ。
「あ、ああ……!」
助けようと意気込んでいた萩原くんのことも、松田くんのことも今はどうでもよかった。ただ2人への殺意、それだけが全身を支配し、衝動のままに体を突き動かす。
刀が右腕に刺さり、血が吹き出ていく。ぐらぐらと揺れる視界。全身の血が逆流しているかのように熱い。
「っ!い、ぅあ……!」
たかが腕一本、まだだ。まだ戦える。
こんなところで死んでられない。わたしにはまだやるべき事があるのだ。
そう、ーーーを殺さなくては。それが、私がこの世界に来た理由だから。
「ぁ?」
おかしい、わたしがこの世界に来たのは、みんなを救いたくて、それだけ。
我を取り戻したよう2人への殺意が消えていく。けれどそれも束の間で、落ち着く暇も、状況を整理する時間もない。
「あ、あ、きゃあああああ!!」
蛇だ。蛇の鬼が、わたしの胸を喰らいながら体外へと伸びていく。なんておぞましい光景だろう。ぶちぶちと身を引き裂いて、その全貌が明らかになる。黒い靄を纏った骨が、青年二人へと飛び掛っていった。
耐えきれず崩れ落ちた身体は床へと叩き付けられ、意識も薄れてしまう。
動け、わたしの身体。萩原くんも松田くんも、神様の力で助けてあげられるのに、足はおろか指の1本さえ動かすことができない。
「わ、たし、がぁ……!」
「短刀一振だけなら二人も必要なかったかな」
「まーね。でも修正主義者も生きたまま連れて来いって言われてるし、万が一を考えてってことでしょ」
二人はわたしの体から飛び出した鬼に驚くこともなく、炎の中でもギラギラと光る刀を振るい、淡々と切り伏せていた。
腹のあたりで斬られ、砕けた鬼が口にしていた短刀がわたしの目の前に転がり落ちてくる。
どこかで見たことがあるような、気がした。
目元は布か何かで覆われ、口には猿轡。手も足もきつく拘束されている。
皺がれた男の声。
「指示した人間の顔を見たか」
甲高い女の声。
「あなたをあの時代に飛ばした人間の名前は」
若々しい青年の声。
「どれだけの被害があるのか理解しているのか」
ちいさく首を横に振ることしかできない。だってわたしに力をくれたのは神様だし、神様の名前なんて知らない。被害なんて、ある訳ない。わたしは皆を救っていたのだから。
悪いことなんてしてない。けど押し掛かる圧が恐ろしい。
なんの組織だろう、考えられるのは宗教的なテロ組織か。ならば、きっと、彼等が助けに来てくれる。
そんなことを考えていれば、突然猿轡を外された。長いこと大きく開けていた口は酷く疲れて、落ち着かない。
「歴史修正主義者86番。これより先、嘘をつけば即その首が落ちることと心得よ」
老いた男は相変わらず皺がれた声で、威圧的な言葉を吐く。
「っ……!」
変わらず黒に溺れているような視界で感覚が研ぎ澄まされている中、首にひやりと痛みが走った。
爆発現場に現れた青年2人、握られた刀。
これも、きっと。
彼らにまた会うためにも死ぬ訳にはいかない。聞かれたことには全てに真摯に答えた。今は生き延びること、それだけを考えなくてはならない。
敵意に溢れた質問への応答を繰り返し、わたしはまた猿轡を嵌められる。
「質疑はこれにて終わりだ、ではこの女の処罰をーー」
「こんな女、生かしておくだけで危険です!援軍もないただの使い捨て、生かす価値はありません!」
「だが一時的に死ぬ一歩前まで行ったためか霊力は桁違いだ、配布する刀を作らせるなり使い道はある」
「犯罪者よ!いつ寝返るかわからないわ!まだ洗脳はとけていないのよっ」
「殺せ!殺せ!」
耳を塞ぎたくとも腕は動かず、気を失うことも許されない。
結局わたしは監視付きで牢に入れられ、その後ホンマルという施設に行くことに決まった。
ーーーを殺せ。
*****
捕えられ、牢に放られ、神も人も居ない小さなホンマルで刀と刀装を作り続けること二年。そして審神者になって一年が経った。
未だに政府からの監視が定期的にあるが、これでも随分マシになったと言える。
あの時気を失ったわたしは加州と大和守に連れられ、2200年代の最新医療で胸を治療されている。常人の目ではどこに傷があったなど分からないほど綺麗なまま、確かに人工物で埋められている胸だ。
あの時からずっと、手を胸元に当てて自分が欠けていないことを確認するのが癖になった。
相変わらず柔らかく、あたたかい、偽物の肉。
「いける、やれる、わたしは、やれる」
『今回の任務、我々は常に監視していることを忘れるなよ』
「分かってます。わたしは間違えたりしません」
『フン、ならば良い。さっさと行け』
何年も着ていなかった洋服の襟を整え、静かに障子を開ける。
ーーーを殺せ。
「行こう、長谷部」
「主命とあらば、何処へでも」
ーーーを殺せ。
対処と接触、情報を引き出し、歴史の改変を阻止せよ。
ーー者を殺せ。
歴史の改変を阻止せよ。
審ー者を殺せ。
歴史の改変を阻止せよ。
審神者を殺せ。
うるさい、うるさい。
対象はわたしと同じく、元の世界で殺され、刀剣を体内に埋め込まれていると予測されている。
この任務を無事終えれば、本丸の拡張と刀剣の所持数を増やしてもらえ、資源もたんまりで信用して貰うことができるとのこと。
別に、そんなことはどうだっていいのだ。
わたしはこの世界の人間ではないし、刀だって少なくても十分。わたしの意志に沿ってくれる彼らがいるなら、それだけでいい。
基本的には禁止されている人間の時渡り。
ぐにゃりと世界が歪んで、次に目を開ければもうそこはーー
「××、どうした?」
「なんでもないよ!次は移動教室だよね、急がなくちゃね!」
「俺、あの先生苦手なんだよなぁ」
わたしが紡いだ歴史は修正され、彼はもうわたしのことなんて知りもしない。
でも、わたしは、彼のことを本気で好きだったのだと思う。
二人の少年少女が笑いながら教室を出ていく姿をビルの屋上から見届けて、全身から力を抜いていく。
わたしの胸に残るわずかな粒子が彼女の胸に掛けられた呪いに反応したのだろう、息苦しくて呼吸が荒い。
「主」
「だ、いじょうぶ…、わたしは、やれる」
わたしだけの刀。わたしだけの神様。
同じ過ちはしない。彼らこそが、わたしを救ってくれる神様なのだ。
「付いてきて、くれるんだよね……?」
ほら、長谷部は美しく微笑んでわたしの手を握ってくれる。
ずっと願い続けてきた。
わたしは、わたしを救うために、彼をーーー。