name change
「全国民を守れとは言いません。ですが、家族を失った貴方にも友人は居るでしょう?貴方は彼らの為に戦って下されば良い。それが多くの日本人を守ることに繋がるのですから」
刃物は嫌いだった。
噎せ返るほど濃い鉄の臭い。ぶすり、ぶすり。肉の抵抗をものともせず母の腹へ何度も突き刺さる包丁、痛みに耐える父の獣の様な呻き声、血濡れたリビング。何年も昔のことを今でも鮮明に思い出す時がある。
まどかに拒否権も無かったが、夢は破られ嫌いな刃物を扱う審神者に就いたのはその言葉を受けたから。共に競い高めあった仲間を無かったことにはしたくなかった。
国永を筆頭に、刀剣男士のおかげで刀への嫌悪は無くなったが、自分は彼らを守っている、そう励ましながらこれまで戦ってきた。刀が折れた時も、腹に大きな傷を負った時も、襲撃に合い命が危うくなった時も。現世で夢を叶え犯罪者達に立ち向かう同期を思い浮かべては自分を奮い立たせていた。
首を絞められたような息苦しさの中、ポツポツと彼らの名前を呼ぶが返事は帰ってこない。当然だ、この部屋には勿論、もうこの世界どこを探したって居やしないのだから。
涙は枯れることなく零れ続けている。いくつもの雫が静かに頬を伝い、纏う白藍にぽとりと落ちてはその色を濃いものにする。まどかは力なく笑いながら鶴丸国永を手に取り、きつく抱き締めた。氷を張ったような静けさをそうっと割っていく。
「……死んじゃってたんだ。私、守ってるつもりで何にも気付いてなかったよ」
言葉にすれば一層胸が抉られ更なる深みへと沈み、もう水面が遠い。もっと早くに連絡を付ければ何か違っていただろうか。いや、それもない。まどかはいつだって無力で、死に行く者達を救う事など不可能だ。
「神咲、おい、しっかりしろ」
「…ごめん、降谷。言いにくかったでしょ。でも教えてくれてありがとうね」
大きく深呼吸をし、心を沈静化させる。しかめっ面の降谷は一度口を開き、しかし言葉を飲み込んだ。彼にも随分悪いことをしてしまった。彼の一番柔い部分に遠慮なく刃を突き立てたのは他の誰でもないまどかで。帯の太鼓が崩れる事も厭わずにソファに体を沈め、痛む目元を手首で覆う。既に号泣している様子を見られているため降谷の視線を気にしての動作ではなく、視界を遮断することでこの現実から少しでも逃げられるような気がしたからだ。
「…降谷は、死なないよね」
「お前な、それはこっちの台詞だ」
もう互いしか残った同期は居ない。けれどどちらも明日の命の保証も無く、数時間後に死んでも可笑しくないような仕事に就いている。考えれば考えるだけ、まどかの思考は悪い方へと駆け足で進んでいった。
自分が知らない所で降谷も死んでしまうのだろうか、そしてそれに気付かないままに日々を過ごすのか。考えただけでも耐え難い焦燥を憶え、心臓が激しく波打った。
「今の仕事がすべて片付いたら、一緒に墓参りに行こう」
「ん、行く。早く会いに行きたいからさっさと片付けてよ」
「分かってるさ」
本当ならば、自分もこの戦を終わらせてから彼等に会いに行きたいがそれでは何年先になるかも分からない。
溶けた氷のせいで薄れたお茶を飲み、すっかり乾いた喉を潤してから立ち上がる。気崩れた襟を整えれば、その雰囲気を感じ取ったのか降谷が気を使い問いかけた。
「家はどの辺りだ、送っていく」
「あっごめんそれは遠慮する。そう遠くないし気にしないで」
「米花は治安が悪い、そんな着物姿じゃいいカモだ」
「じゃあこの町の物騒さなんとかしてよお巡りさん。ま、ボディーガードも呼ぶし大丈夫大丈夫。…また連絡するから」
「…はぁ、分かった」
降谷と別れ本丸に帰っても、大事なものを抜き取られた寂しさが埋まることも無く、虚しさだけが捌宮の胸を巣食っていた。
燭台切が張り切って作ったチキン南蛮も1口食べてそれ以降は喉を通らず、国永の腹に。刀剣男士達に心配を掛けている、それは理解しているがどうにもこのどうしようもないやるせなさ、悔しさ、悲しみを片付けられないでいたあ。捌宮の気持ちを吸い込んだように部屋の空気は暗鬱で重みを持ち、彼女を四方から押し潰していく。
静かに瞼を降ろし、心を無にする。
明日も仕事だ。それも、白藍の監察部隊全員で本丸への立ち入り、歴史修正を目論む審神者の捕縛。
こんな状態では満足に戦えるなどとても思えない。痛む頭を休め、とにかく明日に備えなければ。
心配して部屋の前までやって来た四つの影に気付くことなく、捌宮は深い眠りについた。