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件の本丸を強制開門し、一歩踏み出してすぐに白藍の視界を覆ったのは見慣れた浅葱色。艶のある黒髪が大きく揺れている。
「はん!随分熱烈な歓迎じゃねえか!」
迷いなく白藍へと振り落とされた濁りきった刃をなんなく弾き返し、和泉守がその背に主を隠す。他の刀剣男士達も既に抜刀しており、辺りには重苦しくい緊張感が広がった。
まだ朝だというのに空は黒く淀み、足元の芝は禿げぬかるんでいる。そこらから瘴気が溢れ、呼吸がしずらい。
「君たちこそ、強制開門なんていったい何のつもりだい。うちの主は癇癪持ちなんだ、あまり刺激しないで欲しいんだけど」
いつから手入れを受けていないのか、纏う質のいい燕尾服は所々切り裂かれ、血が滲んでいる。どんよりと暗く光る琥珀の鋭さに唾を飲み込んだ。何年経っても慣れることはない、それでもこれが自分の仕事だ。審神者と刀剣男士を守る、白藍のお役目。

一歩、力強く踏み込んだのは大倶利伽羅。
「監察だ。……退け、光忠」
「…伽羅ちゃん。ふうん、監察、…監察ねぇ。それで?主を捕まえるって?それは難しいんじゃないかな」
「どういう事だ」
「あはは、簡単な話だよ。僕達は言霊で縛られてるんだ、そう、主の邪魔をするモノは斬れ…ってね!」
そう言い終わるや否や、甲高い金属音が響いた。大倶利伽羅が短く舌打ちし、柄を握る手に力を込める。
「おい……何してる、さっさと行け。此奴の相手は俺一人で充分だ」
「そうそう、僕も伽羅ちゃんを折るなんて嫌だし早く言霊撤回させてね。あと、一部には主が修正主義者になろうと着いていくって子もいるから気を付けて」
最初とは打って変わって、笑みまで浮かべる彼に戸惑いながらも、捌宮と五人は屋敷へと走り出した。強制開門したのだからここの審神者にも監察が入り込んだことは知られているはずだ。とにかく素早く事を収めなくてはならない。「主は勤務室にいると思うよ」背後から燭台切の声、振り向くことはしない。
「…厚、どうですか?」
「おう、勤務室!でも言霊は厄介だよなぁ、それじゃ話し合いもさせて貰えねぇ」
先頭を走る厚は勘弁してくれ、とでも言うように肩を竦めた。
燭台切は一部には、と言っていた。つまりそれは、本丸の刀剣男士はその一部を除いて主の歴史修正に賛成していないという事。それでも言霊によって操られ、白藍達に刀を向けるだろう。完全に逆行軍と化していないのならば、無闇に折ってもいけない。
「まともにやり合うより、審神者を捕らえるのが最優先ですね」

45歳の男性審神者。
現世に妻と子供を残したその男はいったい何を思って歴史の改変を望んでいるのか。審神者歴は2年半、決して短いものでは無い。そもそも、審神者に就く際には歴史改変の影響をしっかりと叩き込まれているはずなのだ。歴史修正のテロ行為は国を揺るがす程の重罪であり、捕らえた主義者達には総じて重い判決が待っている。
「…なぁ主、体調は大丈夫か?」
「問題ありませんよ、獅子王。そう大したことありませんから」
嘘だ。きっと獅子王も、他の四人も気付いているだろう。これは白藍の下手な強がりだ。昨日の今日で崩した体調が良くなることは無く、ぐちゃぐちゃに荒れている感情も簡易的な蓋で押し込めているだけ。少しでも何かが触れれば簡単に溢れ出てきてしまう。何か言いたげな獅子王の視線を避け、呼吸を整えた。
「っ、来るぜ大将!」
「お下がりください主!」
白藍ではまだ存在も確認できていない相手に厚と長谷部が刀を構える。
数ある障子のなかのひとつが音もなく開き、そこから出てきたのはふわりと甘やかなクリーム色、向けられる刃に慌てることもなく浮かべる微笑みは柔らかで、しかし本来白い筈の衣装は赤く染まっていた。
「ありゃ?人間の女の子だ。はじめましてだね、こんな所でどうしたのかな」
「監察官の白藍です。この本丸の審神者捕縛に参りました。髭切、その血はーー」
「これかい、少し前に鈍刀とやり合ったんだよ。練度だけは高くて面倒臭いったらありゃしない」
「なまくら、ですか」
開ききっている障子から少しばかり覗き見れば畳に散らばる鈍い銀色の欠片。折れて砕けた、刀の死体。
「そう、鈍だね。自分たちの存在意義も忘れた愚かな鉄屑」
そう蔑むような口振りに違和感を感じた。恐らくこの髭切は燭台切光忠と同じように審神者の歴史改変をよく思わないうちの一振り。燭台切光忠は確かに言った、言霊に縛られてる、と。しかし血の伝う刀が白藍達に向くことは無く、審神者に従い逆行軍になり下がらんとする刀を自ら折ったと見える。
いったいどういう事か、白藍は燭台切光忠が嘘を言ったようには思えなかった。そしてそれはこの髭切も同じだ。
「言霊なら僕が自分で打ち破ったんだ。僕がこの本丸に来たのは最近の事だし、もともと霊力の相性が良くなかったからね。膝切だったかな?弟と、あと数振りは縛られていない刀が居る筈だよ」


少し疲れたと言って腰を下ろした髭切を置いて更に廊下を進み、飛び掛ってきた二振りの短刀相手に厚が応戦する。
この本丸にどれだけの刀が残っていて審神者に従うのは何振りか、膝丸は確定しているものの言霊に縛られていないのは誰なのか。情報が足りないままに、漸く審神者が待っているだろう勤務室へと到着した。白藍を守るように和泉守がピンと背筋を伸ばしている。堀川、獅子王、長谷部も、既にぎらりと抜いた刀をいつでも打てるように立ち、隙は1ミリもない。

「御用改めである!!!」

和泉守により大きく開かれた障子の奥から、怪しく光る銀の刃が素早く突き立てられる。
「…チッ、そおら!邪魔すんじゃねぇっつうの!」
「それはこちらの台詞です!」
本来味方であり、同じ敵と戦うはずの刀剣男士達が切り合う中、白藍は審神者を探していた。時折白藍に向かう刃を堀川が弾き、そのまま相手の脇腹へと打ち込む。噴き出した血が畳を汚していった。
「ああもう!兼さんがああだから僕は怒りたくないんだけど…、主さんに刀を向けるなら容赦はしないよ!」
「主に仇なす敵は斬る…!」
「くっそ、本気出していくぜっ!」
実際に審神者を盲信する刀は一握りのはずなのに、言霊で操られた刀剣男士の数は多く、そしてそれらを極力折らないように気を使いながらの戦闘は厳しいものがある。

「居た…!」
審神者は部屋の物陰に隠れ、小さな声でぶつぶつと絶えず何事か呟いていた。汚く伸びた髭、目の下には濃い隈を拵えて、その濁りきった瞳の視線は定まらない。
「監察官の白藍です。今すぐに刀剣男士への言霊を撤回しなさい。聞こえていますか!」
「おれ…たすけ、…死ぬな、…俺が」
「言霊を撤回しろ!」
「ぅうあ、」
胸元を掴み強く揺さぶるがそれでも審神者の意識が戻ってこない。その手に錠を掛け、頬に一発。これでも駄目なのかと舌打ちし、重症、戦闘不能の刀剣男士から刀をくすねる。呪いごとに強いわけでもない白藍が他人の掛けた言霊を解くのは不可能だ、ならば。
男審神者の首筋に刃先を滑らせる。薄皮を一枚裂き、静かに血が垂れた。
「うっ、あ!?!?ひぃ、」
「監察官の白藍です。今すぐ言霊の撤回を」
「あ、ああ、」
ガクガクと震えながら、審神者は言霊を撤回した。部屋や庭で、行動を解かれた刀剣男士達がずるりと座り込む。いくら数があろうと、練度上限を突破した白藍の刀達相手に無傷の者はいない。
「まったく、面倒なことをしてくれる」
「お、珍しいな長谷部。一太刀貰ったのか?」
「…ああ、」

「国広ォ!改変賛成派のコイツらの本体縛りてぇんだけどどっかに紐ねえか?」
「探して来るから待ってて兼さん!」

「それで、何故歴史の改変をしようとしたのですか」
男審神者は黙って話さない。背を丸め、縮こまり、白藍と目も合わせようとしなかった。
「ここで話さなければ後々、もっと厳しい尋問が待ってますよ。それこそ、体に聞くこともありますし」
びくりと体を震わせ、男審神者は青白い顔を上げた。一度強く唇を噛み締めて、その口を開く。低く、重たい、世界を呪うような声色。
「幼なじみが、死んだ」
白藍は息を飲み、はくりと口を開けた。
男審神者は彼女の変化に気付かず、あるいは素知らぬ振りをして言葉を続ける。
「死んだのは一年も前のことだ。何らかのでかい犯罪組織の、取引を偶然見かけたらしい。脳天に一発、銃弾を撃ち込まれてそこらの汚いゴミ山に棄てられたんだと」
「ずっと考えていたんだ、ドジでビビりで弱虫の俺をアイツはいつも助けてくれた。なら今度は、俺が、俺が、アイツを助けるべきだろって」
「こんなに早く死ぬべきじゃなかった!家で嫁と娘が待ってたっていうのに酷い姿で帰ってよォ!俺は歴史を変えて、アイツを救うんだ、アイツが生きる未来を選ぶ、そうすればーー!」

酷く頭が痛む。嫌な事は続くものだ。なんてタイミングでこんな仕事を。
「落ち着いて下さい、貴方の気持ちは分かります」
しかし、男は掛けられた言葉がただの薄っぺらなものに聞こえたのか、目を見開き唾を飛ばしながら怒鳴り散らす。興奮して顔が真っ赤に染まっていた。
「お前みたいな小娘に分かってたまるか!何も失ったことなんか無いんだろう、ああ、監察官だものな、直接戦争している訳でもない、刀を折ったこともないんじゃないか。ははは、この、苦しみを、悲しみを、お前に理解できるはずが無い」
貴方より失ったものは多いと思いますが。白藍は開きかけた唇を閉じ、男の熱が冷めるのを待つ。
歴史を遡って死んだ友人を救う、それが許されるならば既に白藍とて過去に跳んでいる。だが歴史の改変は大罪だ。些細なことでもどんな影響を及ぼすか分からない。そもそも、白藍が罪を犯してまで救ったとしても彼等が喜ぶことは無いだろう。
「貴方のことを待っている人だって居るじゃないですか、奥さんも、息子さんも」
「は、不倫してる嫁と俺を見下す息子に愛情が向くと思うか。ああ、そうだ。アイツを助けて、それから俺の人生もやり直すんだ、そうだそれがいい、はは、はははは!あんな女、こっちから捨ててやる!」
狂ったように笑う男審神者にそっと目を伏せた。もうこれ以上この場で聞き出せるものもない。留置所に移転をーー

瞬きした、その次の瞬間、視界は赤く染め上げられた。男審神者の口からごぷりと血が吐き出され、胸を貫いた切っ先が顔を覗かせた。
「ーーなっ、」
「主、無事か!?」
獅子王が白藍に駆け寄り、その肩を支える。ゆらり。男審神者の体が崩れ落ち、その先に見えたのは涼し気な薄緑。
「貴様、どういうつもりだ」
長谷部が低い声で問いかける。蛇のように冷たい瞳で男審神者を見詰める薄緑ーー、膝丸は突き刺したままの刀を抜き、軽く纏う血を振り払った。
「歴史修正主義者を殺しただけだが。まったく、兄者も人使いが荒い」
ざわりとこの本丸の刀剣男士が空気を乱した。いくら審神者として有るまじき事をしようと企んでいたとて自分の主だ、彼を正しい道に導き、やり直したいと思う者は多く居ただろう。
白藍は既に息も無い男審神者の顔に手を被せ、開いたままの瞼を閉じた。
「…膝丸。貴方は言霊に縛られていなかったと聞きましたが、今まで何処に居たのです」
「下らん斬り合いに巻き込まれるのは御免だったからな、離れで茶を」
どうやら言霊の縛りが不完全だった者は我関せずと、離れで風流なひと時を過ごしていたという。そのなかで賭け事に負けた髭切が改変賛成派の刀を折りに出て、この本丸で過ごす事に飽きた兄の言葉で膝丸が主を殺したのだ。
心底不思議だ、と膝丸は白藍に問い掛けた。
「歴史修正主義者を殺すのが俺達の仕事だろう、違うのか?」
「この男はまだ過去を変えた訳ではありません」
徐々に透けいく膝丸を睨みつける。言霊は解かれたし、体も拘束していた。男審神者を殺す必要は無かった筈だ。
「ん?体が……霊力切れだな。……監察官、審神者を殺したのはこの俺だ。俺はどうなっても構わないが、兄者のことはよろしく頼むぞ」
「待っ、まだ話がーー!」

男審神者の霊力が切れた刀剣男士達は己の本体を残してその姿を消した。審神者に着いて行こうとした刀達は刀解されるだろう。反対派は本刀達の意思を聞き、暫くの休養、その後本丸移動か刀解か。髭切、膝丸達がどうなるかは白藍には分からない。審神者を殺した、けれどその審神者は歴史改変の意思をもっていた。

「審神者は死亡、本丸の刀は顕現が解けました。…お願いします」
『了解しました、すぐに向かわせます』

酷い仕事だった。歴史改変への動機は白藍を動揺させ、目の前で審神者は死んだ。膝丸との会話も中途半端に終わり、胸の中でもやもやと言い様のない感情が渦巻いている。やはり自分には人を救うなんて、人を守るなんて、そんな力は無い。
刀に戻った燭台切光忠を手に持つ大倶利伽羅、短刀二振りを抱えた厚が歩いてくるのを確認した所で、白藍はようやく肩の力を抜いたのだった。

ーーー疲れた。