name change


「ちょっと名前!遠出するなら俺に言ってからにしてって言ってるでしょ?なんで何も言わずに行っちゃうわけ?俺がいつもどんな気持ちで追い掛けてるか分かる?もー!バカバカ!だいたいさ、俺は置いて行かれてこいつが一緒に行動してるとかふざけてるでしょ。ちょっと、名前聞いてる?」

もううんざり、とでも言うかのように名前は溜息を吐いて清光の言葉を受け流した。大きな溜息は勿論清光の耳にも届き、それがじくりと胸を刺す。自分の対応を名前が面倒に思っている事などとうに理解している。それでもやはり傍に居てくれないと、目の届く範囲に居てくれないと心配で堪らないのだ。
勝ち誇ったように笑う安室透が憎たらしい。あんまり過保護だと嫌われちゃいますよ、なんて。清光はぎりと唇を噛み、さらに目を吊り上げた。
ーーー過保護なのはどちらだ、名前は俺が守ればいい。ある程度は探れば出てくるし公安には堀川もいる、情報に困ることは無いのだから。ぽっと出の安室透に出る幕は無い。
俺が、名前は今度こそ俺が守らないと。人間は弱い。再刃は勿論、手入れで傷が癒えることも無い。御守りだって持たせても無意味だ。ちゃんと守ってあげないとすぐに死んじゃう。沖田くんもーー、主も。





長い睫毛が小さく震え、薄い瞼がゆっくりと開けられる。隠されていた美しいルビーが顔を出し、眩しい陽の光を浴びて細まっていく。
「……はー、夢か。ほんと、夢にまで出てこないでよ」
薄っぺらい笑みを貼り付けたあの男が再び思い返されて、思わず顔を潜めた。細い眉はきゅと寄せられ瞳には苛立ちの色が浮かんでいるがその人並み外れた美貌が損なわれることはない。
清光は艶のある黒髪を軽く整え、辺りを見渡す。そこではた、と気が付いた。
「ちょ、ちょっと待って。嘘でしょ?此処はーー」
間違えるはずがない。彼女に喚ばれてから何年も過ごした場所だ。掛けられた掛け軸や花瓶も違う、誉を取る度に貰ってきた爪紅や髪紐等の清光の私物も無い。
それでも、この和室から覗ける立派な日本庭園、大きな桜の木、よく実り賑やかな畑。
この景色を、この澄んだ空気を、清光はよく知っている。

「本丸ーー!」



常ならば目覚めてすぐに畳み、押し入れへと仕舞う筈の布団も乱したままに廊下へと躍り出て唯ひたすらに走った。
嘘。ありえない。夢だった?どこからどこまで。じゃあ主は。
「あ、清光。目が覚めたんだ」
「ちょっとお前邪魔!」
前方から歩いてきた安定をスピードも落とさず押し退ける。弾かれた安定は大きな声で文句を言うが、清光にはもうそれも聞こえていなかった。
「悪いけどお前に構ってる暇無いの!」
「はあ!?後で覚えとけよこのブス!」
"成長"してちょっとはマシになったのかと思ったけどやっぱ清光は清光か、あとで潰す。そう安定が呟いたことを清光は知らず走り続ける。
共に刀解された筈の仲間がいた。たしかに、そこに存在していた。清光は腹の底から湧き上がる喜びに叫びだしそうになった。
ぶちまけられていた赤黒い血はどこにも見当たらないしそれらしき染みも無い、清光が駆けるのはよく磨かれて美しい廊下だ。閉じられた襖も真っ直ぐに伸びる柱も刀傷ひとつ無く、検非違使が入り込んだ形跡はひと欠けらも見付からなかった。
やっぱり夢だったんだ、主が死んだのも、訳が分からないままに人間として生まれたことも、あのいけ好かない男も。
そう長くもない距離を走っただけで途切れる息、視界の違い、部屋にも置かれていなかった"加州清光"、それらに気付かないふりをして、名前が、主が居るだろう部屋の襖を開け放った。
大きな音と突然の乱入者に緑の女が振り返る。
「あ、るじ…」
なんとか絞り出した言葉は頼りなく、微かに震えてしまった。彼女に与えられた心臓が大きく跳ねる。瞼がじんと熱を持ち、抑え難い喜びが溢れ出した。
ーーああ、此処に居る。死んでなんかない。いつもの馬鹿みたいにダッサイ緑ジャージに色気の欠片もないスッピンで、やる気のないだらけきった顔。随分酷い夢だった。人の身を得て食事に運動、自らを振るうことも勿論睡眠も、全てが初めてで大好きな人間と同じような生活は好ましく思っていたが、暫くは安眠出来そうにない。まだ覚えているのだ、本丸に立ち込める暗雲を、禍々しい程に青い光を、ひらり目の前に躍り出た主から飛び散る赤を。少しずつ冷えていく体、途絶えた呼吸、喉が枯れるほどに叫び泣いた自分。
せめて今日は彼女の隣で眠りたい、少しは我儘を言ってもいいだろうか。嫌だと突き放されても、それでも阿呆みたいな面で涎を垂らし、しっかりと呼吸をする主を眺めて安心してから眠りたいのだ。
「えっ、どうしたの清光、泣いてる」
「主、主だよね?あはは、夢だったんだ。ねえ今日一緒に寝てもいい?いいよね、俺初期刀だもんね」
「良い訳無くない?」
テンポよく返されたのは思っていた通り拒否の言葉だったが、それでもこの本丸で、変わらない主の態度が堪らなく嬉しかった。暴れる体を押さえつけてぎゅうと抱きしめる。

しかし、その和やかな空気もすぐに打ち消されることになる。他でもない、清光の主たる名前によって。

「あ、主って呼んだでしょ。本丸が懐かしいのは分かるけど安室さんだって居るんだからしっかりして」
「は?ちょっと待って主…名前!なんでアイツがいる訳?はあ?なにこれ夢なの?訳わかんないんだけど!」
「はいはい、広間行くよ。そろそろ御手杵さんにジャージ返さなきゃ」
「うわ!御手杵の名前入りジャージ!?どういうこと!説明して!しかも御手杵"さん"ってなに!そんな呼び方して無かった!!」
「お、おう…なんかうちに居た御手杵よりも大人っぽいって言うかハイスペックって言うか…。とにかく御手杵さんって呼ばなきゃって思って。緑ジャージは懐かしくて借りただけ」
全く理解が追い付かない清光を置いて、名前はスタスタと廊下を進んでいく。

結局はそう、名前が死んだことも、人間に生まれ過ごした25年間も一夜の夢では無かったという事だ。
「じゃあ何で今本丸に居るの!?」
「痛い、痛いです清光さん揺さぶらないで下さい。説明するから」




*****




清光が名前から説明を受けながらも広間へ向かっているその間、安室は広間の中央で整った顔を盛大に引き攣らせていた。
ちりちりと殺気が肌を焦がす。安室と向かい合う真白の男に隙は無く、相当の手練だということが窺える。
「で、君の器は随分とアレに似せて作られているようだが、まさか本人ではないだろう。一体何者だ、どうやって本丸に侵入した?」
「ですから、気付いたら此処で寝てたんですよ。貴方こそ、僕の知り合いに似ていますが…名前を伺っても?」
「良いぜ、隠すような名では無いからなあ。俺の名は鶴丸国永、さあ、驚いて貰おうか…!」
夏の海で知り合ったあの青年と同じ顔と名前、しかし浮かべる表情はあまりにも違う。儚い容貌とは裏腹に狩りをするように細まる瞳は何を考えているのか全く分からず、にやりと上がる口角がやけに好戦的だ。
畳の香りが漂う古き良き日本家屋、和服を纏い刀を帯びる住人達。つい数分前に目を覚ましたばかりの安室の頭はぐちゃぐちゃにこんがらがって、全く現状が理解出来ないでいる。
随分手馴れたように腰の刀に手を掛けた鶴丸国永から慌てて距離を取り、スーツの懐に手を差し込むも、銃が無い。絶望的な状況に思わず笑みが零れた。
こんな、訳の分からない場所で死ぬのか。いいや。まだ組織を潰していない。それに、どうにも危機管理能力と生活力の無いあの女もーー。
強く拳を握り、真白い男へとファイティングポーズをとる。
刀相手に素手、頭が可笑しい?上等、褒め言葉だ。こんな所で死ぬ訳にはいかない、足掻いてやるさ。

「ちょっと、国永!」

強く張りのある声が広間に響き、鶴丸国永の動きを止める。数秒の沈黙の後、はあ、と息を吐き煌めく刃を鞘に仕舞い込む。そして大袈裟に両手を上げて、ひらりと振った。
「君なぁ、いざこれからだと言う時に割り込むのはどうかと思うぜ。もう少しで彼に最大級の驚きを贈れるところだったんだがな」
「もっと平和的な驚きでお願い。……っと、大丈夫?ごめんねうちのが」
「いえ、…貴方は?」
「…この本丸の主、捌宮って言います。そう警戒しないで安室、もうすぐ名前ちゃんも来ると思うから」
一瞬言い淀んだ後に告げた名前は偽名か、そして何故か自分の名が知られていることにも驚いたが、その後の言葉は安室を強く揺さぶった。
一体どういうことか、しかし声に出す前に2度ほど肩を叩かれ言葉は飲み込まれた。安室の肩を叩いたのは柔らかな茶髪がふわりと揺れる、親しみやすい笑顔の男。
「心配すんなって、彼女は無事だ。加州もな。あ、俺は御手杵な。名前を聞いてもいいか?」
「安室、透です」
「透、か。お、二人共来たみたいだ、…どうせ夜は宴だしまた後で話そうぜ」
ひらひらと手を振る御手杵に小さく会釈して広間へと入ってきた二人に駆け寄る。それにしても、あの笑い方を、どこかでーー。
膨大な記憶の中から引っ張り出してきたのは"彼"の笑顔だった。ああ、くそ、やめよう。容姿は似ても似つか無いくせに、先程の笑顔だけがアイツと被る。
「お二人共、無事ですか?」
「うわ、ほんとに居るし」
「言ったじゃん」