今日は朝から冷たい雨が降る。
こんな日に、この屋敷まで出向いてもらうのは悪い気もするが、俺の心は踊っていた。
いつもと同じ廊下なのに、●の来る日は雲の上でも歩いているかのようだった。
●は、杏寿郎よりすこし年上の女性。
女手がない事から月に何度か煉獄家に手伝いに来くれる、優しい女性だ。
そんな●に杏寿郎は、密かに好意を抱いていた。
時折花が咲くように笑ったと思えば、ふと遠くを見つめ切なげな表情をする時がある。しかし多くを語らない●をもっと知りたいと思った。俺ももう大人だが、これまで剣術にばかり没頭しており異性に好意を抱くのは初めての事だ。
俺はどこか●に子供扱いされている気がする。異性として、男として見られていない。だから、ただ簡単に言葉で思いを伝えるだけでは、●には足りないのだ。
門前で腕を組みながら待っていると、道の先に紫色の傘をさす●の姿が見えた。
姿を見つけた瞬間、自然と胸が高鳴った。
大の男が門の前で待ち構えているのも可笑しな話だが、高ぶる気持ちを抑えきれなかった。
「あら今日は、杏寿郎様」
●は、濡れた傘をたたみ、杏寿郎にお辞儀をする。
「うむ!●!よく来てくれた」
しとしとと冷たい雨の降る中
いつものように屋敷の手伝いをしてくれる●が、煉獄家に現れた。
「杏寿郎様、今からお出掛けですか?傘をささないと」
ほらな、やはり●は俺を子供扱いしている。
「いや!違う!俺は●を待っていた」
「えっ…私を?」
驚いて●が杏寿郎を見ると、真っ直ぐに見つめ返してくる。その頬は微かに赤い。
「頬が赤いようです…お風邪でも引かれたら大変ですよ」
「………むう」
やはり俺が何を言っても子供扱いだ。
一度くらい男として、●をドキりとさせてみたい。
杏寿郎の横で門から建物に移動するため、●は再び傘を開いた。
「杏寿郎様」
共に傘に入りましょう、と言わんばかりの●の動作に杏寿郎の胸はさらに高鳴る。
杏寿郎が紫色の傘の柄を持ち、2人で傘の中に入る。頭上の傘を叩く雨粒の音が、なんだか心地良い。2人の肩が触れ合って、いつもより近くにお互いを感じた。
もう少しこのままで…と思う間も無く、2人は建物に足を踏み入れた。
ドキリとさせたいと思っていたのに、こちらばかり乱されている。
「今日は、●に手伝って欲しいことがある!」
「はい、なんなりと」
「俺の部屋の片付けを頼みたい」
「…私などが寝所に入ってもよろしいのですか?」
「構わん!」
草履を脱ぎ、廊下を進む杏寿郎の背後を●が続く。
いつもは千寿郎様と共に台所や居間に立つことが多かったけれど…寝所は初めて。
すこし緊張する。
「し、しかし杏寿郎様、お掃除でしたら晴れた日の方が…」
「ここだ」
●の言葉途中に、杏寿郎の寝所に到着してしまった。杏寿郎が襖を開くと、文字を書きかけたような紙が床中に散乱している。
「あら、…随分と散らかっていますね」
「むう……頼まれてくれるか」
「はい、分かりました」
すこし恥ずかしそうな杏寿郎をよそに
●は襷で着物の袖を留めると、部屋に足を踏み入れた。散らばった紙を踏まないように、手で拾いながら進んで行く。
「俺は少し庭に出てくる」
「はい…」
雨の中を…?と思いつつも、●は頭を下げて杏寿郎を見送った。
●はふと、手の中の紙に目をやった。
どれも同じ人物のものによる文字が書かれており、失敗したのかくしゃくしゃに丸め込まれた紙もある。机の上には、書いたばかりと思われる手紙が置かれたままになっていた。
「ひさかたの……」
●は思わず口に出して読んでしまい、慌てて口元を押さえた。
“ひさかたの、雨は降りしけ、思ふ子が、やどに今夜は、明かして行かむ”
(意味・雨が降ればいい。愛しいあの人が今夜は雨が止むまで帰らず一緒にいてくれる)
見渡してみると、部屋中の紙に短歌と思われる恋の歌が書き綴られていた。
●は、思わず机の上の手紙に背を向けた。
これは、恋文…?
人の恋文を覗き見るなど…あってはならないわよ、●。
●は平然を装うが、杏寿郎が誰かに恋をしている…と考えると、心の片隅がチクリと傷んだ。
なぜ胸が痛むのか…そんな事、自分では分かりきっているのに。
雨の降り頻る中、杏寿郎は傘もささずに庭に立つと、静かに天を見上げた。身体に落ちる雨がどこか熱った身体をひんやりと冷やしてくれる。
たとえこの思いが実る事のない俺の片恋だろうと、今日だけは降り止まないでくれ。
「あ、兄上?傘は…」
庭に面した縁側から、千寿郎が心配そうに声を掛けた。
「ああ、大丈夫だ。もう入る!そうだ千寿郎」
「はい?」
「家中の傘を蔵へしまっておいてくれるか。●の物も」
「えっ?雨なのに…ですか?」
「うむ!!」
千寿郎は首を傾げながら、足早に部屋へ向かう兄を見送った。
「●は、和歌の意がわかるのか?」
突然戻って来て背後から声を掛けてきた杏寿郎に、●の心臓は跳ね上がった。
「きょっ…!も、もうお戻りですか」
「うむ。今日の雨は特別だ」
「そうですね、特別寒い気がします」
「………」
「………違いましたか」
頬をカリカリと掻きながら黙ってしまった杏寿郎をよそに、●は片付けを再開する。
「誰かに…送る予定の歌ですか?ごめんなさい、少し読んでしまいました」
「かまわない」
「……恋の歌ばかりですね」
「自慢じゃないが、俺は色恋に疎い。抱いた恋心をどうやって相手に伝えていいものか分からなくてな」
「そうなのですか」
「しかも相手は年上だ。ただ好きと言うだけでは、足りない気がする」
「…………」
和歌は、忍ぶ恋、許されない恋、会いたくても会えない、伝えたくても伝えられない…そんな先人達の思いが込められている。ずっと昔は今より身分が厳しかった。身分違いで恋に落ちた者同士は和歌に自分の思いを、耐え難い気持ちを封じ込めて相手に送った。
杏寿郎が身分を気にしているのかは定かでは無いが、和歌はそういうものが多い…と私は思う。
「●に、この和歌の意味が俺の気持ちだと伝わればと思って……書いたのだ」
●はふと杏寿郎を見やった。
赤い頬に少し伏せた瞳で、ぎゅっと拳を握る杏寿郎。●の表情を見るのが少し怖いような、そんな表情に見えた。
この和歌は杏寿郎が●に宛てて書いたものだった。
●は杏寿郎を抱くように、机の上の手紙を手に取り、優しく抱きしめた。その頬はすこし赤い。
「我が背子(せこ)に……」
「………」
「我が背子に、恋ひてすべなみ、春雨の、降るわき知らず、出でて来しかも……」
(意味・あなたの事がたまらなく恋しくて、雨が降っているのにもかかわらず、家を出て来てしまったのです)
頬を染める杏寿郎に微笑みかけながら、●は返歌を呟いた。
「コホン……私からの返歌…私の気持ちです」
「ま、待ってくれ!もう一度」
「二度は言えません」
「何!…頼む!俺はどうしても●を!●の気持ちを知りたいのだ」
「ふふ、さあ、部屋を片付けましょう」
「むう。さては俺に解読は無理だと思っているな!」
「そんなこと」
●は悪戯にふふっと笑った。
いつの間にかチクリとした胸は痛く無くなっていて、もうこの想いが実る実らないは後回しでいい。
伝わっていなかったら、それはそれで構わない。
こうして、思い人と笑い合える日々があれば
私は幸せです。
***
匿名希望様からのリクエスト。
『好きな人の前で緊張してしまう煉獄杏寿郎』
リクエストありがとうございました!
………(^^;;
全然内容違うじゃないかと、私も全く同じ気持ちです。すみません。
緊張する煉獄さん…が、私の妄想力では浮かびませんでした…!!
煉獄さんはいつでも堂々としてそうで…。
申し訳ないです。せっかくリクエスト頂いたのに…!!
今後、好きな人の前で緊張する煉獄さんが浮かびましたら小説差し替えするやもしれません。
和歌の解釈については個人のものなので、あまり深く考えずお読み下さればと思います。
2020.11.14