佐野さんとお友達になれて、名前で呼んでって言われて早三日。自宅練習はバッチリなのに本人を前にすると口がモゴモゴしてしまって、出る言葉はやっぱり「佐野さん」。
佐野さんは私が名前で呼ぼうとしているのを知ってか知らずか、ちょっとニヤつきながら「花守サン」と呼ぶ。揶揄う佐野さんも可愛い。
お母さんに練習台になってもらったけど「本人前にして呼べないなら意味無くない?」と言われてしまったし、お父さんにも「こまちはあがり症なとこがあるからなあ」と笑われてしまった。そんなの自分が一番わかってるやい!
ということでちょっと早めに教室に来て、小声で練習してるのだ。家でやるのと教室でやるのとはまたひと味違う。勉強と一緒だ。
さん付けかちゃん付けかで悩んでいるけど、まずは本人を前に名前を呼ぶ!これが今の目標だ。
「おはよ、花守サン」
「おっ!!おおおぉぉぉはよう!エ……」
「エ?」
「ェ……エェェ……」
「エ〜?」
「……佐野さん!!」
「そこまで来たら後はマだけじゃん!!」
「ううぅ、面目ない……」
「絶対名前の方が呼びやすいのに……」
「い、家ではちゃんと言えるんだけど……その、佐野さん前にするとどうも、アガっちゃって……」
ポロッと家練習のことを口にすると、佐野さんは呆れた表情を一変して「れ、練習してるんだ……ふーん……」と顔を少し赤くする。伏し目がちになって長い睫毛が強調されている。可愛い。
その後ハッとしてこちらに少し近づいて座り直した。ひえぇ近い、色白っ、いい匂いする!あっ待って、今私一際気持ち悪かった!
「そうだ!花守サン今日暇?」
「ほァ、ひ、暇です!」
「そしたらウチの家に行こ!んでそこで練習しよ!」
「さ、さささささ佐野さんのお家!?!?!?」
突然のお呼ばれ、緊張しないはずがない!!
佐野さんは名案!って顔をしてるけど名前を呼ぶのと同じぐらい、いやそれ以上の難易度イベントでは!?一緒にお出かけもしてないんだよ!?
「ででで、でも、あの、ほら、佐野さんのお家行ったら、私アガるどころじゃなくなっちゃうし!」
「習うより慣れろって言うじゃん!今日放課後勝手に帰ったりしないでね!」
グイグイ来る佐野さんにこれ以上の反論はできず、朝のHRをしに来た担任がやってくる。
うわあぁどうしよう、どうしよう!佐野さんのお家!?ど、どんな所だろう。可愛い一軒家だったりしちゃう!?菓子折りは何を持っていけばいいんだろう!?
HRなんて二の次。私の頭の中ではお土産候補が出ては消え、出ては消えを繰り返している。
それを佐野さんが横目で面白そうに見ていることに、私は気づいていなかった。
授業も頭に入らないまま迎えた放課後。
佐野さんは帰り支度が終わった私の手を引いて玄関まで歩いていく。このスタイルにはまだ慣れない。
というのも、どうやら佐野さんは私が方向音痴と思っている節があるようで。さすがに教室近くのお手洗は大丈夫だと判断しているけれど、移動教室とかそれなり距離があるところに関しては手を引っ張っていくのだ。よく考えて佐野さん、私佐野さんいなくても教室に登校できてるよ!
靴を履き替えて佐野さんの隣に並ぶ。佐野さんはあの時みたいに立ち止まって私を待ってくれていて、それがとても嬉しい。
途中でたい焼き屋さんに寄ってもらって、無難な粒あんをちょっと多めに買った。マイキーさんがどら焼きとたい焼きが好きらしい。餡子が好きなのかな?和風クレープとか邪道って思っちゃうタイプかな。
本当はキチッとした手土産を持っていきたかったけど、急だったし、中学生なりたての私のお小遣いでは買えない。大人になったら絶対リベンジするぞ!
「本当花守サンって真面目だねー」
「そ、そうかな?せっかくお邪魔させてもらうんだし、喜んで欲しいし……あと、佐野さんのご家族に、嫌われたくないし……」
「むしろ花守サン嫌いになる方が難しいでしょ」
「ヒョッ、そ、そう、かなあ……へへ……」
「花守サンたまに変な声出るよね」
「癖で……」
そうこうしてる間に「ここだよ」と佐野さんが指さした先。立派な日本家屋の一軒家。え、庭があるんだけど???ガレージ???え、やば……すご……。
「ひ、広……!」
「おじいちゃんが向こうの方で空手の道場やってんの。ただいまー」
「おお、お帰りエマ」
「ただいまおじいちゃん。今日友達連れてきちゃった」
「お、おおお邪魔します……!!あ、あの、これ……ささやかなものですが……!」
「ありがとう。うちの孫たちが喜ぶよ。ゆっくりしていきな」
ガラガラガラッと佐野さんが扉を開く。おお、横開きだ……。
居間であろう空間から男性の声がして、佐野さんがおじいちゃんと呼んでいた。マイキーさんが言ってたおじいさんだ!
吃ってしまったけれど粗相がないようにご挨拶をして、手土産のたい焼きを渡す。おじいさんはニコニコしてテーブルに戻っていった。ま、まずは好印象……かな!
お茶の入ったグラスをお盆に乗せて先を歩く佐野さんについて行く。危ないから佐野さんの鞄は私が持たせてもらった。「パシリみたいで嫌なんだけどー」とちょっと不満気だったが、私がやりたくてしているので文句は言わせないぞ。
佐野さんのお部屋は整理整頓もされてるし、とても女の子!って感じの部屋だ。すごい、やっぱり佐野さんは憧れるなあ。
佐野さんはとても嬉しそうに私を隣に座るように促す。おずおずと私はそこに座った。
「ほら座って座って!」
「お、お邪魔します……」
「……へへ」
「?佐野さん?」
「……実はさ、自分の部屋に友達連れてくるの、初めてなんだ」
「えっ!?」
「マイキーの友達が家に来たことはあっても、男子だったし入れるわけないじゃん?でも部屋に入れるほど仲良い女友達もいなくてさ……」
「へ、へぇぁ……」
「だから花守サン部屋に招けて……ウチ、正直浮かれてる」
体育座りした膝に顔を埋めて恥ずかしそうに微笑む佐野さんに胸きゅんが止まらない。わ、私が初めて……!?初めて佐野さんのお部屋に入った友達!?嘘!?
佐野さんはこんなに可愛いのに仲のいい友達がいなかった、なんてにわかに信じられなくて、でも「本当に?」なんて聞くのは佐野さんを疑うようで無理。結果、私はまた「ひゃあ……」なんて声しか出なかった。
ドタドタと足音が廊下に響く。足音はこちらに向かってきているようだ。佐野さんはゲッと顔を顰めると立ち上がって廊下に出た。
私もその後ろからこっそり顔を出すと、マイキーさんがちょうど曲がり角からこっちに向かって足を向けていた。その手にはたい焼きが入った袋がある。
「マイキー!廊下走らないでよ!」
「あ、エマ!コマちゃん来てんだろ!たい焼き、あれ食っていいの!?」
「あ、はい!たい焼きお好きと聞いて……」
「サンキュー!!ちょうど腹減ってたんだー!」
マイキーさんは見たことないくらい満面の笑みでお礼をしたかと思えば、手をブンブンと振ってあっという間に引き返していった。どうやらたい焼きを食べていいかの確認のために来たようだ。
「嵐のようだ……」
「ほんと目敏いなぁ。まあマイキーのことだからおじいちゃんの分はちゃんと分けてあるだろうけど……ちょっと待って、今マイキー袋ごと持ってった?」
「あ、うん。多分」
「あれ五個も入ってたんだよ!?もしかして残りの四つ全部食べるつもり!?」
「かもしれない……。食べ盛りだろうから……」
「もー!夕飯もあるっていうのにー!確かにマイキーなら二個は食べるだろうなって思ったけど!ウチの分も残してといてくれたっていいじゃん!」
ぷんすか怒る佐野さん。怒った顔も怒り方も天使だ。思わず顔の表情が緩んでしまう。
それを見かねたのか、佐野さんが私のことを見ると矛先を私に剥けた。え、待って待って、そんなバレるほど緩んでた?
「花守サーン?何そんな笑ってんのー?」
「あ、いや、その……」
「こうなったら一緒に買い物の刑だ!今から買い出し手伝って!」
「買い出し?」
「そ。夕飯ウチが作ってるからその買い出し。せっかく練習時間設けたのに、マイキーのせいでこんな時間だし」
「えっ!?佐野さんが作ってるの!?」
「そうだよー」
な、なんてこった……佐野さんはオシャレに気を使いつつ、お料理もできるスーパー女子だったのか……!!私の中の佐野さん憧れゲージがグングン上がっていくのがわかる。私なんて最近やっとカレーが作れるようになったのに!
財布と貴重品を持った佐野さんに声をかけられて、私は促されるままスクールバッグを背負って玄関へ向かう。
買い物に行ってくるね。とおじいさんに伝えるのに続いて、私も行ってきますと声をかける。
その後すぐに「あ、これもしかしてやらかした?」と思った。帰るんじゃないのか、みたいな。そんな風に思われたかも。普通にお邪魔しました、で良かったかも。
「行っておいで」
新聞から顔を上げたおじいさんが私に笑いかける。佐野さんのご家族にちゃんと受け入れてもらえたみたいで、ちょっぴり泣きそうになった。
佐野さんが使っているスーパーはよくうちでも使うところだった。勝手知ったるところなのでちょっと安心。
今日は何作るの?昨日がお肉だったからー、と青果コーナーを物色し、鮮魚コーナーに着くと見知った背中を見つけた。
「あれ、お父さん?」
「ん?こまちじゃないか」
「……花守サンのお父さん?」
「あ、うん。私のお父さん、です」
「もしかして君が佐野エマちゃんかな」
「え、あ、ハイ……」
突然お父さんに声をかけられた佐野さんは珍しくちょっとオドオドしてる。人見知りなのかな。
お父さんもお母さんも、私が家で佐野さんの話をするものだから名前を覚えてしまったようだ。
「どうも、こまちの父です。娘がお世話になってるみたいで」
「いや、むしろウチが、えっとワタシが花守サンにお世話になってるっていうか……」
「こまち、いつも家で佐野ちゃんの話をしてくれるんだよ。今日はこんなことがあったーって」
「ちょ、お父さん!」
「だから、よかったらこれからもこまちと仲良くしてくれるかな?」
お父さんは佐野さんを優しく見つめるとそう口にした。そんな断りづらいこと言ったら佐野さん困っちゃうよ……!
気まずくて、でも反応だけは気になったからチラッと佐野さんの顔を見る。……なんだか、泣きそうになってない?え、お父さん佐野さん泣かせた!?
「っ……ウチ、花守サンが中学でできた、初めての友達で」
「うん」
「まだ友達になって一週間も経ってないけど、信頼できるってわかってて」
「うんうん」
「だから、だから……ウチ、花守サンと友達になれて、良かった」
佐野さんの潤んだ目が私を見つめる。形容しがたい気持ちが胸に込み上げて、思わず涙が出てしまった私をお父さんが笑った。
「なんでこまちが泣くんだい」
「だ、だっでー!!」
「あははっ、花守サン、変な顔だよ」
「佐野ざんが泣がぜでぐるがらー!」
「ウチのせいにしないでよー!あはははっ!」
スーパーの一角で何してんだろう、私たち。
必死に泣きやもうとする私と、それを笑う佐野さん。お父さんはいつもの優しい顔で、こまちは泣き虫だなぁなんて私の頭を撫でた。
私、佐野さんと友達になれてよかった!