01
人生は水槽のようだ。そう思ったのは4歳の頃だった。
自分の背丈の10倍ほどもある四方5メートルほどのガラスの内側では、水の中を優雅に泳ぎながら虎視眈々と他の命を狙っている大きなサメや、その脅威から逃げようと塊になるイワシの群れ、固い殻に閉じこもるように身を潜める貝が何の疑いもなくただそこに存在していた。決められたところで生まれ、決められたところで育ち、決められたところで生き、決められたところで生涯を終える。これは、世界の縮図だ。
イワシの群れめがけてサメが大きな口を開けてばくり。彼らは半分以上の仲間を失ってもなお、逃げるために泳ぎ続ける。弱者は強者に蹂躙され、決められた死を迎える。そこに平等も不平等もない。これは決められたものなのだから。
では、わたしは一体どちら側なのだろう。決められた水槽で生まれ、決められた水槽で育ち、決められた水槽で生きていかなくてはならないわたしは、いったい強者と弱者どちら側の決められた生涯を過ごせばいいのだろう。水槽をただひたすらに見上げながらそんなことを考えていた。
わたしはただ、答えを知りたかった。
無銭で水族館に入り込んだわたしを探し回る警備員が危険生物コーナーに息を切らして入ってきたのを見て、わたしは地面を蹴ってジグザグに逃げ回りながら、食われなかった半分のほうのイワシとなった。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
じわじわと肌に纏わりつくような生暖かい空気と、劈くような蝉の鳴き声が辺りの空気を振動させて体感温度をあげている。茹るような真夏の朝、わたしは日傘を差してある場所へと向かっていた。夏休みだというのにこんな遠い場所に中学生一人で電車で来いと呼びつけたからには、あとでアイスでも奢って貰わないと割に合わないな。しかもコンビニのとかじゃなくて、ちゃんとしたソフトクリーム。絶対。チョコとバニラのやつ。
そんな決意をひそかに抱き、コンクリートの地面からサク、と音を立てる砂浜に足を踏み入れた頃、少し離れた場所から3日前に電話でわたしをここに呼びつけた張本人の声がした。声のする方へゴミの壁を避けながら進んでいくと、その姿が明らかとなる。
「俊典さん」
「おぉ、早かったね名前」
背丈の高いマッスルボディで腕を組んでニカッと笑った彼を見上げながら声をかけると、彼は驚く様子もなく飄々と「もう少しかかると思っていたよ」と言ってのけた。自分が朝から来て欲しいって頼んだくせに…そんなことを言いかけながらも、この人に嫌味や苦言は通じないんだったと思い出し、ふぅ…と大きなため息を吐き出した。
それにしても、なぜこんな朝から大量のゴミで埋まってしばらくの間人が寄り付かなくなった海岸に集合なんだ?と不思議に思っていると、視界の端に緑色の何かが見えた。日傘を持ち上げながらその正体を見やると、そこにはわたしと同年代ぐらいの男の子が立っていた。モサッとした癖のある緑色の髪の毛で、大きな目を驚いたように更に大きくしており、頬にはそばかす。戸惑ったようなおどおどしたような表情をしており、両手で自身のTシャツをぎゅっと握っていた。一見どこにでもいる、普通の地味な男の子。
「だれ」
頭に浮かんだ言葉をそのまま口にすると、男の子は少しだけ肩を揺らした。…?威圧的だっただろうか。やけにおどおどした様子の男の子と対照的に、俊典さんは驚きながらこの間話したじゃないか、と呆れたような口調で話す。
目の前に立っているマッチョな男、実は誰もが知るプロヒーロー。小さな子供から老人まで彼の名前を知らない者はいない。彼のヒーロー名は【オールマイト】。この国で10年近くトップに君臨するNo.1ヒーローである。彼の存在自体が犯罪への抑止力となっていて、文字通り”平和の象徴”である。けれど、そんな彼にも秘密があった。約5年前、巨悪と対峙したオールマイトは壮絶な戦いのなかで致命傷を負ってしまった。一名は取りとめたものの、それによりヒーロー活動を制限しなくてはいけない程の後遺症を負い、1〜2年前から「平和の象徴の後継者」を探していたのだ。
わたしにも冗談半分で「名前が受け継ぐ?」と言われたが、もちろんお断りしておいた。わたし自身がそんな重荷を背負えるような性格じゃないというのもあるし、”平和の象徴”はその器に見合う人に継いでほしいと、周りも、俊典さん自身もそう思っていた。だからなかなか話が進まないまま時間だけが過ぎて行っていた。
そんな足踏み状態も、4か月前に急展開を迎える。
ある日いつものようにフラッとわたしの家を訪れた俊典さんが「後継者、見つけちゃった」とピースサインをしながら一言。少しだけ急だったから驚いたものの「そっか」と返答した。別に俊典さんの決定を疑うわけでもないし、その決定に首を突っ込む気も更々ない。というか、正直わたしにとっては至極どうでも良かった…だから、いまの今まですっかり忘れていたんだけど。
「…ふーん」
「……………」
この男の子が、次代の平和の象徴ね…
頭から足の先まで見つめると、あまり信じられるような話ではなかった。身長、平均以下。骨格、普通。じゃあ何が認められたのか。筋肉…?そう思い、肩、二の腕、背中、腹部、腰、太もも、ふくらはぎ、ペタペタと彼の身体のいたるところに触れると、顔を真っ赤にさせてしわくちゃな変な表情をしながら「あ、あの…」と蚊の鳴くような小さな声を漏らした。
「…よわそう……」
そう言うと、緑髪の彼はガーン、と漫画に出てきそうなショックを受けた表情をし「す…すみません…」とまた小さな声で誰に向けてか分からない謝罪の言葉を漏らした。俊典さんは慌ててフォローするように「す、すまない緑谷少年!彼女ちょっと思ったことをそのまま言う癖があって…」と彼に言っていた。…それはフォローになってない気がするけど。
体格だけじゃなく、彼が「弱そう」だと思わせるのはこの態度だった。おどおどと何かに怯えながら、思ったことも言おうとしたことも全て飲み込んでいそうなこの態度。わたしをちらちらと見るくせに、目が合うと反らす。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
「み、緑谷少年はまだ発展途上なんだ!今に強くなるさ!」
「ふーん……」
最初の頃に比べたら筋肉だって増えたんだぜ!と必死にフォローしようとしている俊典さんを横目に、緑谷と呼ばれた少年を見つめる。目の奥にはまだ怯えの色が見えていて、本当に彼が次の平和の象徴でいいんだろうか?と疑問が浮かんできた。
「いまは近接術を勉強中だそうだ!な、少年!」
「は、はい…!」
「近接術なら名前のほうが詳しいし、よき師になってくれるかなと思ってね」
彼の肩を抱いてそう言ったオールマイトの言葉に少年が「えっ」と驚いたような表情を見せる。なるほど、そういうことか。少年の訓練にわたしも巻き込んじゃおうということか。相変わらずマイペースだし、人を巻き込むのが上手いよなぁと思いながら、大きくため息を吐く。日傘を閉じて、持っていたカバンを下ろしながら「わかった、じゃあ…」と言って靴を脱いだ。
「わたしから一本取ったら、後継者って認めてあげる」
もちろん私は個性使用なしね、そう言って構えを取りながらそう言うと、彼はまだ戸惑った様子でおろおろと俊典さんとわたしの顔を交互に見た。
砂浜で足を取られるうえに、相手は”最近”近接術を勉強し始めたというずぶの素人だ。さすがに本気で向かってはいけないからと、スピードを極限まで押さえて一歩を踏み込んだ。あまり腰を入れていない拳を彼の鳩尾辺りで寸止めすると「ひぃっ、」と情けない悲鳴が聞こえる。そのまま左足を後方にまわして身体を捻る。回し上段蹴りの要領で足を振れば空を切る音がする。これも寸止めだ。少年は防御をする気にはなったようで、わたしの足が当たると思われた側頭部を目を瞑りながら両腕でガードしている。
「どうしたの、攻撃しないの?」
「で、でも…」
「わたしから一本取らないとだよ、ほら」
「うわっ!」
今度は正拳突きを顔面に。寸止め。
彼は目の前に来た拳に驚いてどさり、と砂浜に尻もちをつく。その様子を見て攻撃の手をやめて、震える彼を上から見下ろした。
正直な話、わたしにとって平和の象徴が誰であろうがどうでもいいし、彼を認めていないわけでもなかった。俊典さんの言ったように彼はまだ発展途上でこれから強くなっていくんだろう。体力も体格も勘もこれから養っていけばいい。まだ変わりようはある。
ただ、平和の象徴を目指すのであれば、性格は治すべきだ。そう思った。他者に対して常に怯えていて、言いたいことも思ったことも言わない。そんな彼が果たして巨悪と対峙できるのだろうか。
俊典さんはちょっとおちゃらけることが多い人だけど、後継者を選ぶことで適当になったりはしないはずだ。彼が”平和の象徴”へと抱いている理想や信念のようなものは人一倍強いことは一応近くで見ていて分かっていたから。だからきっと俊典さんが認めるだけのものを彼は持っているんだろう。だからこそ、このままでいいとは到底思えなかった。
”平和の象徴”とは”強者”だ。
イワシは決して、サメにはなれない。
「…”なりたい”だけじゃ、なれないよ?」
「っ、!」
そう言うと、少年の顔が一瞬歪んだ。
春に俊典さんと出会ってこの4か月間、平和の象徴の器になるべく食生活からトレーニングなどの日常生活を変え、更には受験対策として勉強も追い込んでいると言っていた。なら、少し経った今だからこそようやく実感してきているのだろう。
憧れと、現実のギャップというものを。
きっと彼は”自分が弱い”ということを、自分でも痛いほどよく分かっている。オールマイトという大きな存在に認められ、憧れを追いかけるように後継者になることを決意した。それでも一朝一夕では理想に近づくことはできない。トレーニングをしていても体力はすぐに付かないし、食事メニューを変えたところで筋肉はすぐに付かない。勉強だって、めまぐるしく新しい知識を身につけなくてはいけなくなる。自分が抱いていた理想に自分の身体が追い付いていないことに、きっと焦りを感じている頃なのだろう。
未だ起き上がろうともせず、砂浜に尻もちをつきながら何か考えている様子の少年。もう帰っていいかな…とボソリと言うと、俊典さんは「ダメだよ!?」と驚いたように言う。だって…ねぇ…
今まで彼がどんな環境で育ってきたかは知らないけど、彼のこのしおしおとした感じは負け犬根性だ。どんなに戦っても負けるイメージが彼の中にはある気がする。ハナから自分をあきらめているのに、わたしに彼の何をどうしろと…?
「無理じゃない?」
「っ!」
たぶん俊典さんは少年のこの弱腰と根性を、わたしとぶつけることで何とか好転させつつ、互いに訓練相手にさせて関係構築、お友達になれるよね大作戦☆とか思ってるんだろうけど、わたしにも訓練相手を選ぶ権利くらいある。弱腰の人とは訓練なんてしたくないし、負け犬根性満載の人とは友達になる必要性を感じない。彼の気持ちも私が何とかしてあげることじゃない。彼自身が変わろうとしないと”無理”だ。そう思って口にした言葉に彼はまた顔を歪めた。
俊典さんも、自分じゃどうにもならないことをわたしに押し付ければ何とかなると思ってる癖そろそろやめてくれないかな…と戸惑った表情でわたしと少年を交互に見る俊典さんに「帰る」と一言だけ告げると、置いたカバンと日傘を持とうとしたとき。
「…オールマイトに…認めてもらったんだ……」
背後から少年の声が聞こえてきて、動きを止めてその声に耳を傾けた。
ヒーローは諦めてたんだ、憧れてたけどやっぱり出来っこないって。でもそんな僕をオールマイトは認めてくれたんだ。こんな僕でも、ヒーローになれるって言ってくれたんだ。だから…震える小さな声でそう呟く彼の立ち上がった音がする。
…来る。
「”なる”んだ…!ヒーローに…っ!」
砂浜をザフザフと音を立てながら走ってわたしの背後に向かってくる少年に、顔面に寸止めの正拳突きをもう一度食らわせようと振り向く。
「っ、!?」
音と気配で何となくの彼とわたしの間の位置を把握、タイミングはばっちりだった。しかし本来あるはずの場所に彼の顔はなく、正拳突きを狙ったわたしの拳は空を切った。
まずい、下だ。わたしの足払いを狙ってしゃがみこんだ少年の右足が真横からスイングしてきており、とっさに飛び上がってそれを避けようとする。すると、それを”待っていた”かのように彼は下から拳を振り上げる。しまった、飛んでるから避けられない…!顎に迫っている彼の拳から顔だけでも避けようと首を捻ると。
ガン!
すぐ後ろにゴミとして投棄された冷蔵庫があったことを忘れており、思い切り後頭部をぶつける。
「………………」
「はッ!?ごごごごめんなさい…!寸止めのつもりが…わ、どど、どうしよう……」
「……名前、大丈夫かい、?」
結局、冷蔵庫に後頭部をぶつけただけじゃなく、少年の振り上げた拳ももろに顎に食らってしまい、わたしは右手で後頭部、左手で顎を押さえて地面をみて俯いた。少年はわたしが寸止めしかしないから本当に殴ってはいけなかったのだと思い込んでいるのか、実際当ててしまったことを必死で謝っている。俊典さんは心配の言葉を口にしているけど、少し肩を揺らしているから絶対に笑いをこらえている。
「……ふふっ」
「っ!」
思わず笑みが溢れ出てしまいわたしも俊典さんみたいに肩を揺らすと、目の前の少年が全身をビクッと揺らして驚いていた。
おどおどしてて負け犬根性が染みついてる弱虫だって思ってたのに、いざ蓋を開けてみたら。すごいなこの子。別にオールマイト本人に認められてるんだから、わたしに認めてもらう必要はないのに立ち向かおうとした努力とか、一度決めたことを曲げない信念の強さとか、最初の3撃で実力差が分かってるのに確実に”負かそう”と技を組み込んできた勇気とか。それに、体制が不十分だったとはいえ、わたしからちゃんと一本取れたこととか…なんだ、ちゃんと大丈夫じゃん。
「見直した、やるじゃん」
「!あ…え、えっと…ありがとう、ございます…」
手を差し出すと、おずおずとしたおっかなびっくりした様子でわたしの手を握りかえす少年。
俊典さんはやっぱり「どうせ同じ高校受けるんならいっそ友達になっちゃえばいいじゃん」的なノリでわたしたちを引き合わせたんだと証言。わたしは何となく分かっていたけど、少年はえ?友達??同じ高校って雄英?と何も聞かされておらず困惑状態。また俊典さんは…自己完結ばっかりで何も話さないんだから…と睨むと萎れていた。
「これからよろしく」
「っ!…は、はいっ!」
そのあとは連絡先を交換したり、俊典さんにソフトクリームをおごってもらったり、彼のいつものトレーニングの様子を見させてもらって、帰路についた。「彼にはヒーローになる素質がある」平和の象徴であるNo.1ヒーロー【オールマイト】にそう言わせるほどの器を持った男の子。彼は”サメ”なのか”イワシ”なのか、そしてこれから一体どんなヒーローに育っていくのか。
わたしはその答えの先を見てみたくなった。