02

次の記憶は目も開けられないほどの眩しい光と、眉をしかめたくなるような騒がしい音だった。
うぅ、と唸りながら眩しい光を避けるために顔を背ける。すっかり自分は死んだと思っていたのに目を覚ました事実に少し驚きながら、同時にさっき起きた出来事を思い出した。

「………っ、痛……?くない…」

上から降ってきた工具箱に頭をぶつける。頭痛程度では済まされないような痛みを思い出して「痛い」と一瞬だけ錯覚したけど、触ってみたら、これっぽっちも痛まなかった。…おかしいな、あんなに血が出てたのに。ようやく開けられたぼんやりとした目で患部を触った手をさっきみたいに見ると、血が付くどころか、さっき手にベットリと付いていた血すら無くなっていた。…あれ?さっきは確かに血が付いていたのに。もしかして、さっきのは夢?
不思議に思い、思わず体を起こした後に気付いた違和感にわたしは言葉を失った。

たしかにわたしはさっきまで、田舎の山奥にある老朽化の進んだ家にいたはずなのに。あの場所からは湿気を吸った木の香りと、森から風が運んでくる緑の匂いしかないはずなのに。わたしの鼻を掠めた香りは、父が好きで休日によく連れて行って貰ってた場所の匂いに良く似ていた。
潮の、香り。

「……………え……、?」

後ろを振り返ると、そこには太陽に照らされてキラキラと水面が光る広大な海と、どこまでも続いているかのように思わせるほどの長い長い水平線が広がっていた。
どうして…だって、家から海は見えないはずなのに。そんなことを思いながら辺りを見回すと、いつも見ていた町一面の田んぼや控えめに点々と配置する良くある日本の田舎の風景なんかではなく、まるでヨーロッパの都会にでもいるかのような大通りとそこを行き交う多くの人。道沿いにはぎゅうぎゅうに家や店が建ち並んでいた。見た事のない街並みに頭の中が真っ白になると同時にジャリ、とした感覚をおぼえた。下を見ると、家に居たはずのわたしは何故か砂利の広がる地面に座り込んでいた。

…家が、町が。どっかに行っちゃった…
いや、わたしが、わたしの知らない所に居るんだ。

「……ど、どこなの…ここ…」

混乱の余り立ち上がると、わたしは家や店が並んでいる方へと走り出した。混乱しているのせいなのか、走っているせいなのか、不安を増長しそうな荒い息と大きい心臓の音がわたしの心を支配する。そのまま街に出ると、道を歩いていた適当な人の腕を掴んだ。

「あ、あの…っ!ここって…あ、えと…英語……」
「…?どーしたねーちゃん」
「え…あれ……日本語…?」

街を行き交う人もわたしが腕を掴んだこの男の人も、見た目は完全に外国人だった。勢いで話しかけたはいいけど英語で話さなきゃ伝わらないかもと戸惑っていると、彼の口から発されたのはよく聞きなれた日本語。イタリア人が流暢に日本語を話しているのに似た衝撃で、まるで頭の横を殴られたみたいな気分になった。
ここは一体どこなのか。家の近くではないことは確かで、日本のどこかなのかすら疑わしい。そんな状況に未だ戸惑いながらもわたしは彼に質問を続けた。

「あの…ここはなんていうところですか」
「…?ローグタウンって街だよ」

不思議そうに首を傾げた彼はそう言った後、この場所のことも知らずにここに居るのか?変な子だなぁ。と苦笑いをした。
本当に変だ。何でここにいるんだろう。ついさっきまで家にいたはずのわたしが”ローグタウン”なんて聞いたこともない街に、どうして立っているのだろう。ぐるりとまわる回転性の眩暈に思わず座り込むと、男の人は大丈夫か?顔が真っ青だぞと心配そうに顔を覗き込んでくる。

「…っ、う…うぅ……っ、」
「!?お、おい…大丈夫か?」

怖くて、不安で、溢れだした涙が止まらなかった。
どうしてわたしはここに居て、ここはどこで、どうやって家に帰ればいいのか。そして、どうやって生きればいいのか。何もかも分からない。夜の森にひとり置いて行かれたような、そんな絶望感が身体を覆い尽くしているかのようだった。
助けて、お父さん……





▽ ▼ ▽ ▼ ▽






「落ち着いたかい」
「…あの、すいません。ありがとうございます……」

街の真ん中で子供みたいに泣き崩れたわたしを、道行く人たちは好奇の目で見ていた。わたしが捕まえたせいで一緒にいたこの人は、周りの人の目には恐らく「若い女の子を泣かしている中年男性」に見えてしまっていただろう。困ったなぁと言って、彼はわたしをカフェのようなお店に連れて来てくれて、自分の経営する店だから落ち着くまでしばらく居ていいよと保護してくれた。
申し訳なさから小さくなって謝り倒すと、ジョーと名乗るこの男性は「気にすんな」と朗らかに笑って許してくれた。それだけじゃなく、彼はわたしにカウンターの席に座るよう促すと、冷たいオレンジジュースを一杯ご馳走すると言ってくれた。最初は断っていたけど厚意を無碍にすることも出来ず、そして何より泣いたりしたことで体中の水分を失っていたようで喉がものすごく乾いていたから、わたしは厚かましいのは重々承知でそれを喉に通したのだった。

「自分が何故ここに来たか分からない…って?」
「はい…気が付いたらこの街に」

泣いた理由を聞かれて、まだ自分でも整理しきれていないけどできる限りジョーさんにこの現状を伝えようとする。
自分は日本という島国の片田舎の山奥にある家に住んでいて、そこで自分が死ぬ夢?を見たこと。次に目を覚ましたらこの街にいたこと。自分で来たわけでもなければ誰かに連れられてきたわけでもない。ここがどこなのかもいまいち分かっていない。
誰かに説明をして言語化すれば落ち着いて整理ができるかもと思ったけれど、ただただ訳のわからないこの現状が理解出来るはずも無く、結局は曖昧になってしまった。

「よく分からねぇが…どうするんだ?これから」

ここがどこなのか分かれば家に帰れると思ったけれど、ジョーさんに聞いても「ここは国じゃなくて島だぜ、東の海イーストブルーだ」と言うし、結局この島は日本ではないことは確実と言えそうだった。どうすれば日本に帰れるのか、どうやって帰るのか。それを考えたいところだけど残念ながら時間がかかりそうで、ジョーさんの言うとおりまずはこれから先どう生きれば良いのかを考えなくてはいけない。人間が生きる上で必要な衣食住が揃っていない以上、それを確保しないと。
それにはまず、お金だ。

「ジョーさん、ご無理を承知してお願いしても良いですか?」
「…なんだい?」

わたしが余程真剣な顔をして言っていたのか、さっきまでニコニコとしていたジョーさんも真剣な顔をして聞き返してきた。わたしは吐き出そうとした言葉が一瞬喉につかえて、うまく発声できなかったけど、ここで言えなきゃこの先チャンスはないかもしれないと自分を奮い立たせ、思い切って息を吸った。

「少しの間で良いのでわたしをここで働かせてもらえませんか?」

とにかく、ここで生きる術を見つけないと。
本当に厚かましいけど、今はとにかくジョーさんに頼るしか無さそうだ。そう思いながらジョーさんにそう言うと彼は少し間を空けて笑った。

「ちょうどアルバイトが欲しかった所だ」

こうしてわたしは、右も左も分からない島で、家に帰る方法を見つける事にした。ジョーさんと言う親切な人のお陰で、仕事とお金は確保して、なんと泊まる部屋まで用意してくれた。野宿でもされたらたまったもんじゃねぇしな、なんて大口を開けてわらったジョーさん。感謝してもしきれない恩を、頑張って働いて返そうと思った。

23.07.25