03

午前6時頃。窓から差し込む朝の陽の光が眩しくて目を覚ました。ゴシゴシと目元を擦りあくびをしながら大きく身体を伸ばすと、ハッと昨日のことを思い出す。軋むベッドから飛び出し階段を駆け下りると、そこには昨日いたお店と、ニコニコと笑ったダンディーなジョーさんが開店前の準備をしていた。

「おはよう、なまえちゃん」
「おはようございますジョーさん、手伝いますね」

あわよくば昨日の事が全部夢だといいと願ったけれど、残酷にも現実だったようで。突然訳も分からない場所へ行ってしまい、訳も分からないところで家に帰るまでの方法を考えるためにここで生きていかなければならない。そんな事実を再度実感する。
とはいえ良いことも平等にあるもので、わたしはそれなりに苦労せずにしばらく生活が出来そうな状況にあった。それもこれも、目の前にいるこのジョーさんのおかげで、ただの道で出会った身分も何も分からないわたしを事情も何も聞かずに保護してくれて、寝床も仕事も用意してくれた大・々・大恩人だ。この人にありったけの恩を返すために、ここで少しの間だけ働くことになった。
開店前の店の掃除を始めると、早速店の扉が鈴の音を響かせて開いた。

「…おや?ジョー、誰だいこの可愛らしいお嬢さんは」
「よぉ!いらっしゃい旦那!」

扉を開けて入ってきたのは、白い髭を蓄えた歳のいったご老人だった。ジョーさんによると老人はこの店の常連さんらしく、よく朝から夕方まで入り浸ってコーヒーを飲んでいるんだとか。開店前に堂々とさも当たり前かのようにカウンター席に座った様子を見ると、ジョーさんのカフェ&レストランの相当なヘビーユーザーなのだろうと手に取るように理解できた。

「この子はなまえちゃんだ、ウチの新しいアルバイト」
「はじめまして、よろしくお願いします」

ジョーさんが老人にわたしを紹介してくれて、わたしは挨拶をしながら頭を下げると、老人は「かしこまらんでいい」と言いながら、穏やかに笑った。

ジョーさんはいつもの決まった流れのようにカウンターで焙煎コーヒーをゆっくりと入れると、ほかほかの湯気が立ち上るコーヒーカップとおしぼりを老人の前に出し、老人もまたいつもの決まった流れのように机に出したおしぼりで顔を拭いたあと、コーヒーを啜った。掃除を終わらせてほうきを片づけた私はその老人の額に汗が滲んでいることに気づく。

「あの、暑いですか…?窓開けましょうか」
「ん…?」

わたしがそう声をかけると、老人は不思議そうな顔をした。額に汗が滲んでいることを告げると「よく気付いたもんだ」と驚かれる。老人は汗もおしぼりで拭くと、これは暑くてかいた汗じゃなくてここに来る途中でちょっとヒヤッとしたもんでのぅと言いながら店の外を見るように窓をチラッと見た。

「ここへ来る途中で奴らが喧嘩おっぱじめおってな…」
「まーた暴れてんのかい」

老人がため息をつきながらそう言うと、その言葉にジョーさんが反応した。二人ともやれやれとでも言いたげな雰囲気だけれどわたしにはなんのことか全くもって分からない。首をかしげながら黙ってその様子を窺っているとジョーさんは「全く…」と言いながら窓の外を見つめる。


「困ったもんだよ、”海賊の奴ら”にも…」


耳を疑いたくなるような不穏な言葉を口にしたジョーさんに、わたしは驚いて声も出なかった。

"海賊"

少なくとも歴史を学ぶ上で存在していたことは何となく知ってはいても、生きてきた中で、遭遇することもなければ本物を見たことすらない。もう現代には存在しない昔話や伝説のような存在であり、存在はないに等しいものだった。
固まっているわたしとは対照的に老人とジョーさん2人は「最近勢い増してるゴレーヌ海賊団とナイツ海賊団だとか」「ひぇー…海軍も早く捕まえてくんねぇかなぁ」なんて、さもいつも通りの日常かのように「お前さん達も外に出る時は気を付けなさい」と会話をしている。

「…海賊が、実在するっていう事…ですか?」

ようやく声に出来たのはそんな言葉だった。
だって、わたしの中ではありえなかった。二人の言っている海賊とは、わたしの想像しているあの海賊なのか。海を船で渡って漁船や商船から略奪したり、殺生をしたりする、あのおとぎ話に出てくるような海賊?わたしが不安げにそう言うと、二人は目を見合わせて首を傾げ「実在するも何も…」と言った後に、こう言葉を続けた。

「世界中に海賊がウヨウヨ居るじゃないか」

くらっと目眩がして、立っているのもやっとだった。
海賊が世界中に、ウヨウヨ居る。そんな状況を想像して思わず全身が粟立った。なんでも二人の話から察するに、いまこの世の中は”大海賊時代”というらしく、海だけじゃなく陸でも彼らは覇権を握っているらしい。

「この島は特に力を求める海賊達が通過する島だからな、気を付けておいた方がいいぞ」

老人はそういったあと、街の警備隊なんてアテにしちゃいかん。この島では自分で自分の身を守る。それがこの島の住民の誇りなんじゃよ、そう胸を張りながら自慢げに言った。
要は弱いものを蹂躙する強いものが存在しており、それに対抗するべく作られた組織が機能しておらず、弱者は強者に踏みにじられながら耐えて生活しているということだろう。何故そんな状況がまかり通っているのか。何故そんな状況に世の中がなってしまったのか。

「何しろここは海賊王が生まれて死んでいった島だからなぁ」
「…海賊王、?」

ジョーさんの発したこれまた聞きなれない言葉に聞き返すと、二人は頷きながら「それも知らないのか」と言っておよそ25年前に起きた出来事の全てを語ってくれた。

25年前。その頃は今よりも海賊が少なく、生活が脅かされることもそこまで経験するものではなかったらしい。なにせ海を渡っていくには危険が多く、特に”ある海域”の存在が海賊の増加を抑制してくれていた。
"偉大なる航路グランドライン"
季節もバラバラ、荒波は多く、海の怪獣も多く存在する。そんな不思議で危険な海を渡り、制覇しようと好奇心の強い色んな男たちがその海へ挑んでは散って行った。屈強な海賊達でも、その海を渡りきるのはとても困難を極めていたという。そんな中、一つの海賊団が"偉大なる航路グランドライン"最後の島と呼ばれる「ラフテル」に辿り着いた。

その名は"ゴール・D・ロジャー"

彼らは今まで誰も成し遂げられなかった”偉大なる航路グランドライン”制覇という偉業を達成し、富・名声・力のこの世のすべてを手に入れ、見事海の覇者となった。そして”偉大なる航路グランドライン”最後の島「ラフテル」に財宝を隠した後、このローグタウンで処刑されたと言う。
彼が死に際に放った一言で、この世は大海賊時代へと突入したー…

「海賊王…ゴール・D・ロジャー……」
「最悪の大犯罪者と呼ばれたヤツは、この島の処刑台で処刑され、その処刑台は歴史的建造物とし、今もなおこの島に残っとる…」

老人はコーヒーを啜りながらそういって手を組んだ。海賊王、ゴール・D・ロジャー。その男がこの海の覇権を握ったことで世界は海賊だらけの危険な世の中になったということか。窓の外を見てみると、確かに粗暴そうな男達が歩いているのが見えて、その腰には刀や鉄砲などが収められているのが分かった。
ローグタウンにロードスター島、東の海イーストブルーに、偉大なる航路グランドライン。海賊、海賊王…今まで耳にしたこともない言葉の数々や状況が、とても自分が育ってきた世界での話とは思えなくて、昨日から思っていた疑惑が確信に変わってきた。

わたしはタイムスリップ、または異世界に転移したのではないか。

馬鹿馬鹿しい、そんな漫画の中の話じゃないんだから。自分でも疑い始めた自身を否定するように心の中ではそう思っていた。きっとここはどこか海外のとある島で、海を行けばいつか日本に帰れるはずだと。希望を持つためにもなにも考えないことにしていた。…でも、こう考え始めたら辻褄が合ってしまったのだ。
家にいたはずのわたしが突然ローグタウンなんて島にいる理由も、世界中に海賊が蔓延っているこの世界にも、全て納得が行ってしまったのだ。


「ロジャーのいた時代が懐かしいのぉ…」


老人はカバンからチラシの様な紙を一枚取り出して、それを眺めながらそう言った。
今でこそ海賊はゴロツキのような人ばかりで、暴力や略奪の限りを尽くしているが、まだゴール・D・ロジャーが海賊王になる前は海賊といえば屈強な海を渡る男たちというイメージで、中には弱者に寄り添ってくれる海賊もいたのだという。なんと、ロジャーもどちらかと言えばそんなイメージだったのだとか。それがある日のこと、突然ロジャーは世界中で暴れ始め、あっという間に海賊王になった。なにか心境の変化があったのか…ロジャーは海賊王になる前と後だと顔つきが変わっており、老人から見ると別人に見えたらしい。

「ほれ、顔つきが恐ろしくなっとるじゃろ」

そう言うと老人は手に持っていたチラシをわたしに差し出して見せてくる。わたしはロジャーが海賊王になった前と後を知らないから見せられても分からないけど…と正直思いながらも、差し出された以上は無碍にも出来ずそのままチラシを覗きみると、わたしの頭の中は真っ白になった。

なんで、どうして…

「旦那は珍しいほどの海賊ヲタクでなぁ、昔の手配書なんかも数多く所有してんだ」
「フォッフォッフォ、昔の話じゃ、つまらん話をして済まんかっ……?」

ジョーさんと老人はまだ何かを話していたけれど、そんなことはどうでも良かった。わたしは老人が手に持っていた手配書と呼ばれるチラシを奪い取るように自分の手に持つと、まじまじとそのチラシを見つめる。「WANTED DEAD OR ALIVE」の文字がデカデカと書かれた下には、ゴール・D・ロジャーの名前と、写真が貼り付けられていた。

…この姿、間違いない。
歳こそ若く見えるけれど、この写真と同じだった。この世界に来たときに手に握っていた、押し入れの中から見つかった一枚の写真をポケットから取り出して、見比べた。
間違いない、わたしの記憶に残る顔と…


『…俺ァ死なねぇさ…だから笑え、なまえ…』


病気で色んなところが管に繋がれて、きっとあちこちが痛かったはずなのに、わたしを安心させようと最後まで豪快に笑って死んでいった、あの……


「………っ、父…さ…」


思わず顔を覆い、滲む視界に移ったのは
手配書に映し出された

大好きな父の笑顔だったー…

23.07.27