君に心を奪われた

久しぶりに顔を合わせたかつての戦友は記憶よりも随分と大人びていて、その細さと白さの奥にかつて日焼けも気にせずフィールドを走り回っていた彼女の面影を見つけるとことが出来ず、俺は暫くその横顔を眺めていた。
走る時に邪魔でしょ、と短く切りそろえられていた髪も、今は彼女の背中をさらさらと撫でている。
変わらないものなんてないと分かっているの筈なのに、変わってしまった彼女の姿に何だか少しだけ寂しいような悲しいような不思議な感覚を覚えた。
それが、二週間前の話。
「とりあえず適当に頼もうか」
苦手なものとかある?とメニューを差し出す彼女に、大丈夫、と返す。
青く彩られた指先が少し色褪せたラミネートの上を何度かなぞって提案されたそれに頷いて、近くにいた店員に声をかけた。
「それにしても、緑川くんから食事に誘ってくれるなんて思わなかったな」
ビールとスクリュードライバー。
あの頃とは違うアルコールで乾杯をして、のんびりと言葉を交わす。
「この前はあんまり話せなかったしさ、というか〇さんとゆっくり話したことって無かったなと思って。迷惑だった?」
「ううん、むしろ嬉しい」
ありがとう、と笑う彼女の優しい色の瞳はあの頃と同じ。
それでも彼女の唇を彩る鮮やかな紅がどうにも心をざわつかせた。
「おまたせしましたぁー」
おざなりな店員の声とともに、どん、と置かれた品々に、思ってたより多いね、なんて笑いながら肉を網の上に並べていく。
じゅうじゅうと音を立てるそれから立ち上る白い煙に、彼女の輪郭が僅かにぼやけた。
「私、焼肉なんて久しぶり。緑川くんはよく来るの?」
「この時期園のみんなとバーベキューとかはよくあるけどお店に来ることはあんまりないかな。あ、これもう良さそうだよ」
焼きあがった肉それぞれ頬張る。
そういえば昔みんなで焼肉に行ったこともあったっけ。
アルコールも入ってないのに盛り上がってあの時のお店には随分と迷惑かけただろうなぁ、なんて。
そんなことを考えるくらいには俺たちはもう大人になってしまった。
学生の頃ははやく大人になりたいと思っていたものだけれど、いざなってみると案外つまらないものだ。
あの頃の俺たちはどこまでも自由で、出来ない事なんて何も無いのだと本気で信じていた。
そんな純粋な気持ちは、一体いつから無くしてしまったのだろう。
そう思うと少しだけ、あの頃の自分が眩しく見えた。
「そういえば、〇さんって今何してるの?」
箸休めに話題を振れば、知らなかったっけ?と彼女は首を傾げる。
それに合わせて手にしたグラスの中で、からん、と氷が音を立てた。
「プロのチームでフィジカルコーチをやってるの。」
「へぇ、すごいね」
彼女の口から出たのはJリーグの優勝経験もある名門チームの名前。
そこからうかがい知れる彼女の能力の高さに素直に感嘆の声が漏れる。
「ありがとう。緑川くんは社長秘書なんだよね?大変でしょう?」
イナズマジャパンのメンバーで、彼女のようにサッカー関連の道に進んだ者は多い。
それは選手であったりコーチであったりと様々ではあるけれど、離れてしまった自分と彼等との間には何か見えない壁のようなものを感じていた。
「そう、だね。社長があれで結構奔放だから」
どうやら俺にはあの頃の劣等感がまだこびり付いているらしい。
そこは十年経っても変わらないなぁ、と小さく苦笑した。
「ヒロトくん真面目そうなのに、ちょっと意外かも」
昔話と、今の話。
他愛もない会話と共に流れていく時間。
やって来た店員からラストオーダーを告げられて、俺たちは顔を見合わせた。
「もうそんな時間か。そろそろ出る?」
「うん、そうしよっか」
頷きあって席を立つ。
こつり、と鳴った足元はきっともうあの頃のように俺たちを走らせてはくれない。
「緑川くん、あのね、」
街灯に照らされた、駅へと続く道。
不意に立ち止まった彼女に合わせて足を止めれば、そっと耳打ちされる言葉。
驚いた俺に向ける悪戯っ子のような笑顔にかつての彼女が重なって、ああやっぱり彼女は彼女のまま、俺が好きになったあの女の子に違いないのだ、とどこか張り詰めていた緊張や違和感のようなものがすっと消えていく。
「………えええっ!?」
けれどその言葉の意味を理解した途端、俺はまた彼女に振り回されることになった。
まあでもその話は、またの機会に。