「俺の死体をよろしく頼む」
 焼き鳥のクシが皿に触れて、から、と音がした。生二つ、ハイボール三つー!という威勢のよい声が後ろの座敷席から響く。ざわめきにかき消されないよう、少しだけ声を張った。
「はあ?なんて?なんの話?」
「俺が死んだら、その後で、俺の死体をよろしく頼むって話だ」
「死ぬってなに、次の仕事そんなにやばいの」
「仕事か」
伏黒甚爾はハイボールのジョッキを手にした。
「しばらく暇だな」
「いいご身分ですねえ」
「うるせえ」
カウンターの向こうから炭火焼のいい匂いが漂ってくる。
「別に近々ヤバい仕事はねえよ。ただまあ、将来的に俺は死ぬだろ。俺の死体のすみやかな回収と完全な抹消をお前に依頼しておく」
 呪術師の身体は髪一本まで使い道がある。身体に刻まれた術式、込められた呪力は死後の肉体にも残る場合がある。力のある術師の遺体が呪物化した例は多い。墓の盗掘、遺物を用いての反魂、操術、どれもよく聞く話だ。よって術師の遺体は厳重に管理し、一般人とは違った形で適切に処理するのが業界の慣習となっている。しかし。
「術式無し呪力無しのあんたの死体を誰が欲しがるっての。ちょっと普通より元気なゴリラってだけじゃん」
 伏黒甚爾と知り合った当初は、この手の冗談は禁句だと思いこんでなるべく話題を避けるようにしていた。禪院の猿。御三家の恥。彼が生家でどういった扱いを受けていたか、何故「術師殺し」となったか、経緯は想像に難くない。「家」に押しつぶされる者というのもよくある話で、そういう人間に対して私は逆鱗に触れないよう注意を払い、ただの取引相手として接した。けれどこいつはお構いなしに自嘲を吐いたし、私もそれに慣れて軽口を叩くようになった。俺は透明人間だ、とよく口にしている。彼は透明であることをアドバンテージとして十全に活用していた。それはあくまでアドバンテージであって、長所や誇りたりえなかったようだけれど。
「失礼だな。女が放っておかない体だろうが」
「はあ?」
「そうじゃねえよ。術式があろうがなかろうが、死体をその辺に転がしといてクソみてえな使い方されることなんかザラだろ」
 術師・非術師問わない、御遺体の「クソみてえな使い方」をいくつか頭の中に思い浮かべて、ハイボールを喉に流しこんだ。私の術式と請け負う仕事の関係上嫌でも詳しくなってしまった、身元引受人のない人間の行く末。
「変態ババアか変態ジジイの『お人形』コースとかね」
「キモいだろ?俺は御免だ」
「それで依頼?」
 私の術式は炎だ。呪力を炎にして、対象を焼き払う。呪力・術式ごと焼き払えること、灰も残さず対象を完全に消滅できることが特徴。生きている人間・生物は燃やせない、呪霊も燃やせない、金属や石など一般的に「不燃物」とされる物は燃やせない。対象を「生命を持たない可燃性の物体」に絞るという極端な縛りで効果を成り立たせた術式なので、派手な戦闘はからっきしだ。呪符や藁人形なんかの「お焚き上げ」と、術師の「火葬」の仕事を主として地道に稼いでいる。火葬―術師の遺体の処理は実入りが良い。呪術師も呪詛師も、骨のひとかけらがどんな使い方をされるか分かったものではない。子々孫々が厳重に管理するか、完全にこの世から消滅させるかの二択だ。
「まあな。よろしく頼むわ」
「いいけど、死後実行の依頼は契約時の前払い即金以外受けつけてないよ。今払えんの?」
「ああ?金なんか払わねえよ」
「何言ってんの?」
 伏黒甚爾は頬杖をついて、自分の手の甲に頬を預けるようにして、こちらを見上げてきた。
「お前、火でもの燃やす時興奮してるだろ知ってんだよスケベ女。それからお前俺の顔好きだろ見てりゃ分かる。お前の好きな俺の顔と身体をその手で燃やさせてやるって言ってるんだ、それで依頼金なんざ釣りがくるだろこの淫乱」
 絶句した。伏黒甚爾はカウンターの向こう、炭火の煙の向こうの壁にあるメニューを一瞥してから、ジョッキを空にした。伝票を手にとり、財布を開いて、三千二百……四十円はねえわ、と呟いた。何も言えないままの私の前に伝票と札と小銭を置いて席を立つ。
私はふらふらと立ち上がり、自分の分も足して会計を済ませて後を追った。
「あ、あんた奢れよせめて」
 暖簾の先の引き戸が開いて、夜の空気が転がりこんできた。



 蝉が鳴いていた。
「ご自慢の顔が残ってよかったじゃん」
 身体の方はだいぶ軽くなっちゃったけど。一人で呟いてみる。
 孔時雨から受けた電話でそのまま死体の回収を頼んだ。高専の敷地から引きずり出して適当な山中まで運んでくれ、後は私がやると。孔時雨への依頼は高くついた。混乱状態に乗じるとはいえ高専内へ侵入するなど。「香典代わりじゃなきゃ億積まれてもやらねえからな」これっきりだ、と念を押された。
「見てく?」
「いや、いい。しっかり地獄に送ってやってくれ」
 
 居酒屋で依頼の話が出たのが一年前だったか、二年前だったか、あまり覚えていない。そもそもあれを仕事の依頼だと思ってよかったのか。
自分が生きたって死んだってどうでもいいと思っていて、実際に自分の人生がそう導かれるように行動している奴が、死後のことを頼むというのが違和感があった。でも今なら分かる。あいつは自分の爪の先一片たりとも実家の人間に渡したくなかったのだ。

 鞄から線香の束を取りだす。指をかざして火をつけ、適当に地面に置いた。
蝉が鳴いている。目の前の身体に意識を集中する。声を、発する。
雲火霧アゴーニ
 呪力が爆ぜた。火が燃え上がる。炎が空気を揺るがせて、ごう、という音を立てた。
 タンパク質が燃焼する独特の刺激臭が鼻をついた。線香のやわらかな白檀の香りと混じりあい、煙は空へ立ち昇る。肢体は炎に崩れる。灰が舞い散らぬように炎を固める。火を、強く、強く。
「まって、なしなし、もったいないじゃん!」
 いつの間にか私は叫んでいた。呪力の流れを断ち切り、延焼する火をその辺にあった木の棒で叩いて消す。
「やっぱ無理……もったいないじゃん……」
 焦げた土の上に、わずかばかりの骨の破片が残っていた。形状的に脛の骨の一部だろうか。拾って、手のひらの上で確かめる。他人と比べて、異常に太い骨だった。
「綺麗だなあ。持ってちゃだめかなあ。売ったら高そう………………絶対誰にも売らないから、私が死んだら私の墓に入れるからさあ、それまで持ってちゃだめかなあ」
 依頼人に問いかけても答えは返ってこない。余熱であたたかいそれを軽く握る。その場にしゃがんで暫くぐずぐずと迷っていた。夏の夕日はゆっくり沈んでいく。いくらか涼しくなってからようやく、私は立ち上がった。白骨をハンカチでくるんでジーンズのポケットに仕舞いこむ。
「よろしく頼まれてやるかばか。もう私のもんだよ」
 気が高ぶって、私の声は震えていた。山の風が、汗ばんだ首筋を渡っていった。



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