初めて許嫁に会ったのは、その子が十歳、私が十四歳の時のことだった。
 大きな料亭で、両家の顔合わせと会食の後、大人達だけで話し合いが始まり、二人で遊んでらっしゃいと控えの間に取り残された。
「俺お前と結婚する気ねえから。お前とも、誰とも結婚しない。すぐに五条家は全部俺のものになる。そしたら婚約は破棄させてもらう」
 五条悟はそう言うと、立ち上がって障子を開け放し、着物の裾をからげて外へ飛びだしていった。
 私は、きっとそうなるだろうと思った。この子供がそう決めたなら、他の事情など一切関係なく絶対にそうなるということが、分かってしまった。

 私と彼が生まれる前から決まっていた縁談だ。五条悟がこの世に生まれ落ち、六眼のうえに相伝の術式を継いでいるということが分かった時、両親は狂喜乱舞した。でかした、よくやった、あなたもこれで安心ね、とまるで私が何かをやりとげたかのように抱きしめられ頭を撫でられたのを覚えている。

 将来的に婚約を破棄すると本人に告げられたことを、家族に話したことはない。子供の言うこととして一笑に付されるだけだと思っていたからだ。その頃は私も彼もまだ子供だった。両親はこの家の安泰を信じきっていた。自分たちの決めた事以外のことが起こるという発想が入りこむ余地はなかった。ずっと、私だけが知っていた。自分がいつか「五条悟の妻」ではなくなり、何の役にも立たない存在となる未来を。


 高専を卒業して二年、私は家事手伝いという名目で実家に住んでいた。高専の京都校に規定の四年在籍していたが、授業を受けただけで、実際の任務に出たことは一度もない。嫁入り前の身体に傷をつけるわけにはいかない、というのが理由だった。
その時、私はいつものように和室で一人、洗濯物を畳んでいた。夕方のニュース番組が遠くに聞こえていた。なんの前触れもなく、襖が開いた。
 高専の制服を着た五条悟がそこにいた。
「僕と結婚して、僕の子供を産んでくれ」
 彼は畳の上に胡坐をかいて座った。顔を合わせるのは二年前の正月以来だろうか。
「傑が悪い人間になるなら、僕は良い人間になる。普通の人間と一緒に生活する。仕事をして家庭を持って子供を育てて孫の顔も見る。傑が百人殺すなら、僕は百人をこの世に生みだせばいい」
 彼が、俺、ではなくて僕、と自分のことを指すのを初めて聞いた。
「傑が欲しいなら、世界だってあげたかった。僕の両手で世界を粉々にして、あの時ならそれができた。傑が望むならそうしてあげたかった。ボニーとクライドみたいに、パンプキンとハニー・バニーみたいに、人を殺して世界旅行がしたかった。なんだってできたのに。だけど傑は一人で行ってしまった。だから僕は傑と反対まわりに世界をまわってもう一度会いたい。反対のことをやらなくちゃ。いいことをするんだ」
 黒いサングラスの向こうで、瞳はガラス玉のように光っていた。
「君は僕の婚約者だから、僕の子供を産んでくれるよね」
 はい、と頷いた。最初から、私には拒否権も賛同権も、質問の権利も無い。


 その後、五条悟はまた家にやってきて、私だけに「よく考えたら次の世代を作るならもっと効率いいやり方があった。僕高専の教師になる。術師やりながら先生になるから結婚して子供作ってる暇とかなかったわ。でも君の実家の権力とか上手く使いたいし破談にしてごちゃごちゃ揉めてる暇もないから話は保留ね」と言った。両親に対しては「今の私はまだ未熟者です。呪術師として自立し、立派な教師になってから娘さんを迎えにきたいと思っています」と言って九十度に頭を下げていた。両親は感涙に咽んでいた。
 私の地獄はまだ続く。


main

top