地蔵が三つ並んでいる。苔むして形も崩れかかっているが石の地蔵だ。
巨大匿名掲示板や小規模なローカル掲示板に書きこまれた情報を総合し、ここに目星をつけた。
――××市×××山の登山口近くに、お地蔵様が並んでるんだけど、三つめのお地蔵様にお供え物をして、お祈りを捧げれば願いが叶うパワースポットなんだって。
――自分の聞いた話だと、お供え物は生き物じゃないといけないらしい。あと、願いが叶ったら何があっても三日以内にお礼に行かないと災いが起こるらしい。友達のお兄ちゃんの同級生がその方法を試したらしいんだけど、願いが叶ったのにお礼に行かなかったらしくてね……

 鬱蒼と生い茂る草の間に、地蔵が三つ、横並びにならんでいる。
「……三つめって、右から三つめ?左から三つ?」
 背負っているスポーツバッグから金属バットを取りだす。
「まあいいや。全部やってしまおう」
 真ん中の地蔵にバットを振り降ろす。ガツッ、という音を立てて地蔵が欠け、破片が飛んでいく。
古い石とはいえ、一度では全て破壊できない。さらに一撃。ある程度砕けたみたいだ。でも、なにも、起こらない。左端の石にとりかかる。固い手ごたえがある。手が痺れてきたけど、単に衝撃を受けて疲れがきているだけだ。これは違う。まだだ。最後に、右端。金属バットがゴツッと音を立てた。地蔵が粉々に砕け散る。
その瞬間、肩が重くなった。何かがのしかかっているように重たい。頭痛が始まった。視界が歪んで、吐き気がする。
当たりだ。
憑いた。これは、憑いている。私にはそれが見えないし聞こえないし触れない。だから、自分の体に起こった変化で推測する。頭は割れるように痛み、首から肩にかけてが重い。成功だ。
全身が重い。トレッキングシューズを踏み鳴らす。身に着けている長袖とイージーパンツと顔を隠すためのキャップは、あまり可愛くなかった。軽く汗もかいていたし、一度着替えたい。だってあの方にお会いするのだもの。愛しい貴方のもとへ。夏油様。


「夏油様にお目通りを」
 膝丈の黒いワンピースに、長く伸ばした髪はひとつにまとめて、私は教団の施設にやって来た。
受付で声をかける。少し間があって、信者の方に奥の部屋に案内される。鉛のように沈みこみそうになる体を引きずって、部屋の中に入った。
 香を焚いた、清浄な空気に満たされている。私は深く息を吸った。一歩を踏みだす。
 夏油様は部屋の正面に座していた。
「よく来たね」
 柔らかく、情動の抑えられた声。それでいて、私の鼓膜をどうしようもなく震わせる声。
「こちらへ」
私は一礼した後、静かに歩み寄る。
「お願いいたします」
 夏油様の腕が私の肩の後ろに伸ばされた。黒衣の袖から、焚き染められた香が薫る。
 ふっ、と肩が軽くなった。今までの体の重みと頭痛が嘘のように引いた。
 夏油様は指の間に何かを捧げ持つようにして、さながら印相のようにして、それを持っている。私には見えないものを。その指。新雪のように白く、触れればきっとつめたい。切り揃えられた爪の形。消えたはずの眩暈がよみがえる心地がした。
「下がりなさい」
 夏油様の長い髪が袈裟の上を滑って、ぱさり、という音がする。ああ、その黒髪。私が一番愛しているのはこの黒髪かもしれない。この男の人はいたましいまでに美しい。なんでもして差しあげたくなる。
「ありがとうございます」

 私は、「猿」だ。
いつだったか、夏油様がそう話していた。私は霊を集めて献上する役目の猿だ。自分の体にお化けを憑りつかせて、ここまで持ってきて、夏油様に祓っていただく。夏油様に献上した霊はどうなってしまうんだろう。よく知らないけど、夏油様の役に立っていることは確かだ。

 出入り口で、「帰ります」と声をかけたが、返事はなかった。受付の奥で、制服を着た女の子が二人、こちらを振り向いた。
夏油様のご家族の方だ。夏油様のご家族の方々はみんな、尊敬できる人達だ。あまり話したことはないのだけれども。微笑んで会釈をする。目線を上げると、お二人はどこかに姿を消していた。
 私は、猿だ。いつか死ぬ定めにある畜生。
 あなたの創る世界に私はいない。でもそれがなんだっていうんだろう。世界ごと私をぐしゃぐしゃに潰してほしい。私はあなたが世界を壊して世界をつくりかえてしまうのが見たい。あなたの願いがなんでも叶ってほしい。愛しているから。


 月曜日の朝の五時半。私が大学で取っている講義は、今日は全て午前休講だ。一人暮らしのワンルームで身支度を始める。
黒い長い地毛をまとめ上げて、明るいブラウンのボブヘアのウィッグを被る。アイブロウはウィッグに合わせて明るめの色を。ピンクベージュのプリーツのロングスカートをブラウスに合わせる。トートバッグに必要なものを詰める。

 家を出て、最寄り駅から電車に乗る。乗り換えを一回、二回。目的の路線の電車に乗り込む。
 とりあえず開いている席に座る。隣の席では老人が居眠りをしていた。車両を移る。適当に座ったり、入り口に立ったりしながら、車両を移る。通勤ラッシュのピークより早い電車を選んだ。車内は満員というほどではないので、人の会話の内容が聞き取れる。
「現文の範囲どこだっけ」
「ななちゃん今日休むって」
「……ええ、マジ?」
「……それは……うーん……」
「ノート貸してよ」
 沿線ぞいに中学・高校が多いから、必然的に学生の数が多い。この時間なので、部活の朝練がある学生がほとんどだろう。
「要するにこっくりさんでしょ?」
「だから、ヘビガミ様だって」
「えー、こっくりさんじゃん。昭和?」
「そういう占いとかじゃなくて、儀式っぽいやつだったんだって」
 入り口付近に座った女子高生二人の会話が耳に入ってきた。ショートヘアで鞄にバンドのグッズらしきストラップをつけている方、やや明るいセミロングの方。制服は、沿線近くの高校のものだ。ここから一駅ほど先にある、共学の、中ぐらいの偏差値の高校の制服だったはず。ショートヘアの方の女子高生が、「ほんとにやばかったから」と繰り返した。窓の外を見ながら、そちらへ距離を詰める。
「……ほんとに……楡原先輩も……」
声が潜められる。
「えっ、……じゃあマジでさあ……ずっと休んでるの……」
「せっかく都の予選通過できたのにね」
「あの……彼氏の……」

 電車が駅についた。二人の女子高生は電車を降りる。私も追って降りる。改札を通り、二人が学校の方面に歩きだすのを見送る。腕時計を見て時間を確認した。それからいったん自宅に帰ることにした。

 PCの電源を入れ、検索エンジンを立ちあげる。学校名と「楡原」「予選」「大会」という言葉で検索をかける。日付の新しいページから順番に開いていく。陸上競技の都大会予選のサイトで、「楡原裕子」という名前を見つけた。学校名も間違いない。個人名が出る競技で幸運だった。
 夏油様に献上するのは、誰でも知ってるこっくりさんとか花子さんとか、有名な心霊スポットの幽霊とか、なるべく沢山の人に怖がられているものがいい。そういう霊を憑依させた時は、手ごたえが違う。頭の痛さも全身の重さも段違いだ。そしてそういうものを献上させて頂いた時の夏油様は、普段より多く労いの言葉をかけてくださる。だからこうして噂話を集めている。学生はいつでもオカルト話が好きだ。

 翌日、夕方に身支度を始める。ブロンドのウィッグにパーカーを羽織った。黒縁の眼鏡をかける。あの高校の最寄り駅のホームで一時間待って、見覚えのあるストラップをつけた鞄が目に入る。昨日のショートカットの女子高生だ。後を追って電車に乗る。女子高生は三駅先で電車を降りた。距離を開けて後を追う。住宅地の中の一軒の家に入っていく。歩きながら確認した表札は「藤野」と読めた。

 そして今日。接触は早い方がいい。黒のビジネススーツを着る。地毛の長い黒髪を、黒いバレッタを使ってハーフアップにした。アンクルストラップの動きやすいパンプスを履く。黒いレザーバッグに必要なものを詰める。

 例の高校までやって来た。学校の通用門が見渡せる位置に立つ。部活を終えた学生達が、まばらに出てくる。しばらく待っていると、二人の学生が出てきた。ショートカットの女子高生、藤野、さんが電車で最初に見かけた時と同じ、セミロングヘアの友達と連れ立って歩いてくる。二人が門からある程度離れてから、声をかける。
「こんにちは。急にお声がけしてすみません。陸上部の楡原裕子さんの後輩の、藤田さんでよろしいでしょうか。楡原さんのご家族の方から紹介をいただきまして。私、こういう者なんですけれど」
 数種類の名刺が入った名刺入れから、目的の名刺を取りだす。上質な紙に、都内のある病院の名前と「心理カウンセラー」という肩書が刷られている。

 立ち話もなんですし、と気安く笑って、近くのファミレスに一緒に入る。ドリンクバーと甘いものを注文して、改めて、心理カウンセラーとして楡原さんのご家族から依頼を受けまして、という説明を始める。鞄から手帳を取りだし、記録のためにメモを取らせてくださいね、と断りを入れる。
「楡原さんの今の様子は、どのぐらいご存じでしょうか?」
「あー、ずっと休んでますよね。連絡しても返事がなくて」
「私達も心配してるんですけれど」
「かなりショックを受けている様子でして、私にもご家族の方にもどうしても理由を話してくれないんです。なのでこうして同じ部活の方にお話を伺うことになったんです。学校生活の方で、何かトラブルのようなことに心当たりはありませんか?」
二人は、ちらりと互いに目を合わせた。
「いや〜あんまり……」
「いじめ、のようなことはありませんでしたか?」
 まずいことになりそうだ、という焦りを掴んだ。
「そういうのでは、ないんです、あの、関係あるかどうか分からないんですけど。心当たりというか……楡原先輩、校内で流行ってるおまじないみたいなやつをやったんです。ヘビガミ様の呪いって……いうんですけど」
「あ、私はその場にいなかったんですけど」
「それは、学校で、ですか?」
「学校です。学校の部室です。部活が終わった後で、いたのは私と、楡原先輩だけで。怖いからついててって頼まれたんです」
「ヘビガミ……どういう字を書きますか?」
「蛇の、神様」
「楡原さんは、どうしてそのようなおまじないを?」
「先輩、同じクラスに彼氏がいるんですけど、別の女子と、その彼氏をとったとか、とられたとかって話になっててこじれちゃって。ヘビガミ様のおまじないって、恋愛に効果があるって言われているんです。恋の邪魔者を、排除する効果があるって。すごく強力で、でも強力な分、やった本人にも反動があるって聞いてたんです。でも、先輩、それでもいいからって」
「なるほど」
 私は手元の手帳に目を落として、頷いた。
「強い暗示にかかっているようですね」
「暗示?」
「つまり、楡原さんはどうしても彼氏さんを奪った方を許せなかった。そこに、ヘビガミ様のおまじないの話を耳にした。強力だけれど反動が強い、恋の邪魔者を排除するおまじない。逆に、自分に強い反動があればおまじないは成功したという証明になる。その思いが無意識下にすりこまれた結果、本当に寝こんでしまったというわけです」
そこで言葉を切ってから、微笑んで言う。
「仮病を使ったら、ほんとにお腹が痛くなってしまった、みたいなことってありますよね」
「あ、じゃあヘビガミ様の呪いとかじゃないんですね、よかった」
「ええ、安心してください。ですが……そうですね、楡原さんが学校に復帰できるように、もうひとつお願いがあるんです。そのおまじないを、私の前でやってみてもらえませんか。私が暗示を解くために、どのような状況で暗示がかかったのか、正確に知っておく必要があるんです」
「実際にやってみるんですか?」
「急なお願いで申し訳ありません」
「まあ、呪いじゃないんだから大丈夫ですよね」

 実際の場所も重要なので、部室に行きましょう、と話した。スマホを取りだし、電話をするふりをしてから、「学校に許可は取りました」と口にする。実際、場所や条件を揃えることが重要だということは経験から分かっているので、多少強引でも事を進める。
 ファミレスから出て、二人と連れ立って学校まで戻る。正門から堂々と入って、部室棟まで案内してもらう。スーツを着ていて良かった。件の陸上部の部室に入って、鍵をかける。
部室の中にはテーブルとパイプ椅子があったので、そこに座ってもらう。
「まず、紙に蛇の絵を描くんです」
紙と筆記用具を渡して、蛇の絵を描いてもらう。舌を出した、かわいらしい蛇のイラストができあがる。
「このヘビガミ様の下に、恋敵の名前を書くんです。それから、恋敵の体の一部、爪とか髪の毛をお供えするんです……けど……」
「なるほど。そうですね。ご不安でしょうし、私の名前を書いてください」
「えっ……」
紙を引き寄せて、小さな字で自分の名前を書く。先ほど提示した名刺の偽名との違いに気がつかれないようにと、先を急かす。
「髪も私のものを。平気ですよ」
 自分の髪を一本引き抜いて、紙の上に置いた。
「それから、手をかざして呪文を三回唱えるんです」
「スナーカ・スナーカ、スナーカ・スナーカ、スナー……」
 私は呪文の途中で紙を真っ二つに引き裂いた。
「えっ!?」
 足元に何かが纏わりついた。痺れる感覚がある。冷たい縄で、締めあげられるような圧迫感がある。頭痛がした。
「大丈夫なんですか……?」
こわごわと訊ねてくる声に、大丈夫ですよ、と返す。平静を装うのは慣れている。二人のほうは特に異常がないようだった。
「大丈夫ですよ。ほら、なんともないでしょう」

 ご協力ありがとうございました、と会釈をして、校門で別れる。日はとっくに暮れて、あたりは闇に包まれていた。夜道を急ぐ。縄に締めらあげられるような感覚は足元から全身にまわってきている。
いや、縄ではない。肌の上をつめたい細かいものが滑る。鱗だ。
 頭が強く痛む。しゃがみこんで嘔吐する。全身が重い。手間をかけた甲斐があった。こんなに恐ろしいものを引きあてられるなんて。今までで一番かもしれない。夏油様にはやく会いたい。

 やっとのことで教団の施設にたどり着いた。途中何度も吐いて、胃液も残っていない。夏油様の部屋にたどり着いた。部屋にいたのは夏油様一人だけだった。ふらついて俯く。自分の足元を見た。
見えた。
黒い鱗に覆われたそれが、足に巻きついている。
「ああ……」
 足元から背中にかけてが冷たい。悪寒を感じているというだけでなく、実際に服が濡れているのが分かった。それの鱗から水がびしゃびしゃと落ちるのが見える。身体を押し潰すような重みに、床へ膝をついた。
「これはまた。素敵なものを持ってきてくれたね」
 夏油様は微笑んだ。その微笑みで、私の心臓は湧きたった。痛みが一瞬、遠のく。異形の黒蛇が鎌首を擡げ、細い瞳と目が合う。
「おや、見えているのかい」
「ええ、夏油様。これは」
 身体はどんどん重くなるけれど、夏油様の方へ向き直る。
「通常、非術師は呪霊を視認できない。しかしいくつかの例外はある……たとえば強力な呪霊に遭遇し、生命の危機に瀕した時は別のようだが」
 ぐしゃり。



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