グレンの偵察に同行するようハーシェルに言われると、それまでの監視業務はジミーが代わった。ライフルを片手に「任せてよ」と生意気にも小突かれた肩にナマエはむすりとした。

「じゃ、頼む」
「はいはい」
いつものように短く告げるとジミーもお馴染みな返事をして、さらりとタワーの中に入っていく。
ハーシェルの視線に気がつき、頷いておくと彼も同じように首を小さく上下にした。
【こちら(リック)は見ている。そっち(グレン)は任せた。】という意味だと解釈している。

乗り込んだピックアップトラックが緩やかにスピードをあげる。


グレンは何かを言いかけて口を閉じた。視線はフロントガラスの先を追いながらも、何度かちらちらとこちらを盗み見るように動く。
ハンドルを持つ指が、無意識に何度も小さく力を込めて緩めるのがわかる。

彼は何かを飲み込むように一度喉を鳴らし、それでも口を開いた。

「ナマエ」
「なに?」
「きみも………。君は、アイツに?……言いたくなかったら、答えなくてもいい」

本来、聞くのを躊躇う内容なのだろうな、と思った。
あの日あの時間のことを思い出すのは、辛いとも、辛くないとも言えなかった。どこかおかしくなり始めている感覚に、口の中で言葉がもごもごとつっかえた気がした。
繊細で優しいグレンにとって、この質問はきっと辛かっただろう。

「されてない。首を絞められたことと殴られたことくらい。ちょっと舐められたけど」
「…ごめん。無神経だよな」
「気にしなくていい。
でも、この話はまずマギーと話すべきことじゃない?」
「わかってる、んだけど……。
怒りが込み上げてきておかしくなりそうなんだ」
「それってマギーより大切なこと?」
「!」
「マギーはきっと辛いこともグレンと共有して解消したいんじゃない?」
「…ナマエ、ありがとう」
「うん」
「君だって誰かに話すほうがいいよ」
「もうグレンが聞いてくれたからいい」
「…光栄だな」



刑務所を囲うフェンスの外周を周り、特に変わり映えしない光景を流し見ていく。
時折大きく揺れる車体は道路の凹みのせいだ。つられて浮いた体を見たグレンがくすりと笑う。

「戻ろうか」
穏やかな声と、どこか安心したような笑みが車内に広がった矢先、
パンッ、と一発、乾いた銃声が風を切った。
一瞬、時が止まったように二人とも黙り込む。

「今の……」
グレンが言いかけるより早く、ナマエはすでに目を細めていた。
アクセルを踏み込む。車体が跳ね、スピードが一気に上がる。さっきまであった笑いの気配は、どこにもなかった。

出てきた時にはあったはずのフェンスは薙ぎ倒され、中庭には多数のウォーカー。そして見知らぬ車が走り去っていく。
助手席に乗る、歪に上がった口角の男の姿が一瞬通り過ぎると隣に座るグレンの歯軋りが嫌に響いた。
少し奥の中庭にはハーシェルがいた。そこに向かって走るミショーンも。奥のフェンスの外にはリックの姿がまだそこにあった。

「ハーシェルをお願い!私はリックへ!」
「うわっ!わ、わかった!」

走り出している車のことなど無視してドアを開けて転がるように飛び出した。
受け身を取りながらも、腰のナイフと太刀の柄を握りしめて走った。

「うおああああ!!」
リックの声に踏み込む足を強めると久しぶりに太刀を奮ったナマエはまるで鬼神のようだった。流れるような刀身が次々とウォーカーを屠ると、辺り一面にバラバラと肉片が飛んだ。いやな匂いが、ツンと鼻の奥に届く。

囲まれたリックの元にいた一体にナイフを投げると、同時にボウガンの矢が飛んできた。
後方から声を張り上げてきたメルルがナイフの手を振るうと簡単にバラバラと男のウォーカーが崩れた。
視線は奥に立つ次点の矢を番えているダリルの姿を捉える。ホッとしたのは誰にも言えなかった。


「助かった」と低く唸るように話したのはダリルではなくリックだった。中庭に撒かれるように置いて行かれたウォーカーの姿を見てのことだった。


▽▲▽


「逃げたりしない」
「ここは危険だ」
「木の板で防御なんて無理でしょ」
「外だって危険に変わりないわ」
「特に昼間は」

「みんな、リックは逃げないって言ってる」

「まるで捕らわれたネズミだな」
「何か他に案が?」
「夜のうちにここを出るべきだった。だがもう遅い。
道にはやつの兵士がいる」

「だからなんだ、怖くない」

「いきがるな
昨日のは挨拶みたいなもんだ。ここには壁があるが、武器と人数で負けてる。包囲されたら終わりだ。そのまま飢え死にさせられる。」

「アイツを他のブロックにして」
「いや、正論だ」
「それよりどうするかでしょ」

「だからここを出るべきだ。アクセルも死んでしまった。待ってなどいられない」
「どっちをとってもいいけど、やるなら早く。リック?」

みんながそれぞれの意見を口に出す中、リックは構わずブロックを出て行こうとした。

「戻れ!!」「どこいくの」

ハーシェルの声と、ナマエがリックの前に立ち塞がったのは同時だった。
ナマエの眼差しにハーシェルの厳しい声がリックに突き刺さると彼は立ち尽くした。

「アンタが正気を失うのも理解できる。だが今は寄せ。俺に逆らうなと言ったろ。だったら決断を下せ!家族の命をアンタに託した。頭を整理し、どうするか決めろ。」
「……落ち着いて考えて」



▽▲▽


「おい、クソ女」
「今の、私のこと?」
「……」
「何?クソッタレ」
「…怪我は?」

もらった食べ物の中から不人気な豆の缶を開けて食べていると、背後にはいつもの無愛想な男。
毎度背後から現れるのはなんなのか不思議に思いながらも、不名誉な呼び名に同じように返してやる。

「見た通り。肋骨はハーシェルにもらったコルセットで固定してる」
「…これは?」
「ただの痕。痛みはない」

ウッドベリーからの脱出は、まだ2日しか経過していない。
怪我はどうもこうもないだろうという顔をすると、ダリルは途端に眉を寄せた。
その目に、苛立ちとも戸惑いともつかない色が混じっているのがわかる。

躊躇いがちな指先が顎に触れ、くい、と首を持ち上げさせられる。
あの日のジミーのように無理に上げさせられ、ナマエは不快そうに眉を寄せた。

お構いなしのダリルは、そこに残る綺麗な手のひらの痕を見つめ、舌打ちをひとつ。
息を呑むような間が空いたあと、唇の奥でFワードが噛み殺された。

その目に浮かんだのは、怒りでも、ただの心配でもない。
まるで——それを見てしまった自分のほうが傷ついたかのような、そんな痛み。

見つめられることに慣れていないナマエは、また何か言われるのかとうんざりして、ぼうっと天井のシミに視線を移した。
帰ってきた日に、キャロルとベスに涙ながらに抱き寄せられたことを思い出して、何も言わないことにした。

唸るようにFワードを続けたダリルは、ナマエの頬に触れた。
先ほどよりもさらに躊躇いがちな、硬い指先。
それにナマエの肩がかすかに揺れる。

ダリルの喉が上下する。
何かを言おうとして、ためらうように。
手を引っ込めそうになり、けれど思い直したようにまた触れた。

「…なあ、お前さ」

声が小さい。
いつものように投げるような口調でもない。
何かを飲み込んでいるような、迷っているような、そんな気配だけが伝わった。

「なに?」
「生きてて、よかった」

喉の奥から絞り出すような声だった。
怒っているのでも、泣いているのでもない。
でも、何かが崩れそうな、そんな声。

「うん」
「違う。あの日、……失ったかと」

その一言がやけに苦しそうで、ナマエは思わず口をつぐむ。

「あー…。まぁ、生きてるよ、あの程度なら…っうわっ」

頬張った豆を噛み潰していると、おもむろに抱き寄せられた。
驚いて持っていたスプーンが落ちたが、それにダリルは構うでもなくナマエの首に顔を埋めた。

その腕は、どこか不器用で、少しだけ震えていた。

「ダリル」
「…」
「ダリル?ねえ、聞いてる?」
「…あぁ」

低い声はそれっきり。
何かを伝えたくて、でもどうしても形にできなかったような、そんな沈黙だった。

首に当たるヒゲや髪の毛をくすぐったく思いながら、ナマエは何を言うでもなくスプーンを拾い、豆を食べ続けた。

ただ、その背中に寄せられた体温が、
この静けさの中で、確かに熱を持っていた。