キャロルで乾杯を


(※先生と求導師様は、両思いっぽいです)

夏至の羽生蛇村にはとても珍しく、雲ひとつない抜けるような空の青さが広がり、頬に感じるくらいの心地の良い光風が吹き、居間で付けたままのテレビでは洗濯日和になるだろうと報じている。

昨日まで数日降り注いでいた雨は地面に水溜まりとなり、その蒼空を映しキラキラと陽光を反射させている。

そしてこの村で唯一の戸建の賃貸が並ぶその一角のベランダで宮田が伸びをして、雨上がりの湿気を含んだ空気を吸い込んでいた。

彼は生成色のシャリッとしたリネンシャツと、それに合わせた濃いグレーのスラックスを纏っており涼し気な夏の装いであった。

どうやら今日は休診日のようで、リラックスした姿で羽生蛇村のやけに長閑な景色を眺めながら佇んでいた。

すると宮田はポケットに入っている携帯電話のディスプレイに映る時計を見やった。

「10時過ぎか……。買い出しにでも行こうか」

誰になく独りごちるとベランダから部屋へと戻ってテレビを消すと、玄関のラックに置いてある車の鍵を取り家を後にした。

そろそろ洗濯洗剤が切れそうだったとか、自炊のための食材を考えながら十分ほど車を走らせると、上粗戸の中央交差点の近くに位置するこじんまりとした食料雑貨品店へと着いた。

最近では羽生蛇村にもコンビニエンスストアができてそこで弁当を買ったりするものの、やはり自分で作った食事の方が栄養を考えて作れるのでこっちの方が都合は良かった。

無駄に広い駐車場へと愛車を停め、コツコツと小気味いい音を鳴らしながら店へと入って行った。


すると陽気な店内の音楽が、入った途端に聞こえてくる。

そして宮田が日用品コーナーへ向かおうとしていた時、よく見知った顔がそこに居た。

「牧野さん、買い物ですか?」

どうやら品選びをしている途中で声をかけられたのか、牧野は少し驚いた表情で宮田の方を振り返った。

「え、あ……宮田さん! 奇遇ですね」

どうやら牧野も教会が休館日のようで、いつもは固めている髪の毛が今日は固められておらず、さらさらとした濡羽色の髪が牧野が動く度に揺れている。

いつもと違う少し色気の漂うその印象に宮田が何とはなしに見惚れていると、牧野は不思議そうな顔をしている。

「……宮田さん?」

「ああ、すみません……牧野さんも今日はお休みで?」

「ええ、そうです。お昼ご飯の買い出しと教会の備品を買いに来たんです」

牧野は、にこりと愛嬌よく笑いながら「それにしても……」と続けた。

「宮田さんと会えるなんて、今日は良い日になりそうです」

宮田はその笑顔が好きだった。
牧野は求導師ということもあってか人当たりも良く、たまに歯の浮くような台詞を平気で言ってくることもある。

そんな人懐っこい彼だから求導師として村の人々に頼りにされているのは、自然なことなのだと気付かされた。
彼といると不思議と自分まで笑顔になっていくのが分かる。

「ありがとうございます。そんなことを言ってくれるのは、牧野さんだけですよ」

「本当ですか? 兄弟だからかな、私は楽しいですよ」

「全くあなたって人は……」

本当に油断ならない。
こっちの気も知らずして、ストレートに感情を表現してくるのだ。
さすがにそこまで言われてしまうと、あらぬ期待を感じてしまってどうも居心地が悪い。

自分のことをわざと手のひらの上で転がしているとしたら、この人は本当に小悪魔に近い。

「……?」

当の牧野は宮田の気持ちを知ってか知らでか、きょとんとした顔で呑気に疑問符を浮かべていた。

「あ、そうだ! この後お昼ご飯、一緒にいかがですか? 私が作りますよ」

「……本当ですか? それなら、家まで俺が送りましょう。先に外で待っててください」

すると思いもよらぬ提案があったものの、宮田はそれを快諾すると買い物を早く終わらせて、牧野の元へと向かった。

「お待たせしました。さあ、行きましょうか」

「そうですね。宮田さん、助かります」

道中、車を走らせている時から心做しか気分が弾むのを宮田は感じていた。

牧野の想いにも自身が彼に抱く想いにも気づいた時から、そうであったと思う。
しかしながら二人は、それを表立って伝えたりしていなかった。
今の関係が壊れてしまうのも怖かったし、仮に兄弟という存在を超えてしまった後のことを考えるとどうしても踏み切れずにいた。

伝えたいたった一言が、まだ言えなかった。

しかしそれで上手くいっているのであれば、このままでも良いと思っているのもまた事実だった。

結局のところ人の気持ちは移ろいゆくものであって、それでいつか好きな人を憎んでしまうくらいなら伝えない方がいい……と、宮田はそう言い聞かせていた。

「宮田さん、お入りください」

ずっと考え込んでいた宮田は、牧野の一言ではっと我に返った。

「……あ、お邪魔します」

玄関の戸を潜り、牧野に倣ってリビングへ続く廊下を進んで行った。

リビングダイニングとキッチンが一部屋からなる、よくある間取りではあるものの最小限の物しか置いていないためか少しばかり質素な印象を受ける。

しかしながら調理道具や調味料が充実しているところを見ると、よく自炊をしていることが窺えた。

「ゆっくりしていてください。今、お茶を準備しますね」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて……」


そうして宮田は、リビングの中央にある椅子に腰かけた。

初めて来た牧野の家にどこか落ち着かない感じで、宮田は仕切りに部屋の様子をキョロキョロと眺めている。

「すみません、こんなものでしかお構いできなくて」

すると牧野が木製のお盆を持って、テーブルまでやって来た。

そして丁寧な所作で、麦茶の芳ばしい香りのする切子細工の施されたコップを差し出した。

夏の陽射しに照らされてゆらゆらと揺らめくそれは、まるで水面みなものように輝いている。


「いただきます」と言うと宮田は、そのコップへと口をつけた。

冷えた口当たりのいい香ばしい麦茶が勢いよく喉を通ったところで、宮田はひと息ついた。

そして牧野はキッチンの方へ戻ると、昼食の準備のため冷蔵庫から様々な食材を取り出した。

「牧野さん、けっこう自炊するんですね」

そんな彼を横目に見ながら宮田がそう言うと、手を止めてにこやかに見つめながらそれに答えた。

「あはは、そうですね。一人暮らしは、長いですから。宮田さんが食べたい時にいつでも作りますから、仰ってくださいね」

曇りのない笑顔を向けられ、宮田は言い様もなく仄かな温かさに包まれる。

「ありがとうございます」

「いえいえ。誰かと一緒に食事をする方が、美味しく感じますからね」

そう言った牧野が腕まくりをして、てきぱきと料理を始めた姿に宮田には滅多にない柔らかな眼差しで見つめている。


心の底で密かに寄せる彼への想いは、今も膨らみ続けている。

人に裏切られることを恐れているのに、彼のことは信じたいと強く願ってしまう。

そして考えれば考える程どうしようもなく苦しくなって切ない思いに駆られるのに、彼と二人でいる時に温かな気持ちになるのは、きっと恋しくて堪らないということなのだろう。

こんなにも誰かを想うことが、自分の幸せに繋がるなんて思ってもみなかった。


「宮田さん……?」

そうやってぼんやりと取り留めもなく考え事をしていると、それに気付いた牧野が心配そうな顔をしていた。

「すみません、少し考え事をしていました……」

「……お話、聞きますよ?」

牧野は料理をしていた手を止めて宮田の元へ駆け寄ると、そのまま静かに椅子に座った。

「……牧野さんに、ずっと言いたかったことがあるんです」

「何でしょう?」


いつになく真剣な眼差しで宮田は、彼のセピア色をした儚げな瞳を見据えながら口を開いた。






「俺は……牧野さんのことが、好きだ」




まるで時が止まったように感じた。

ついに伝えることができたという安堵感と同時に訪れるのは、相手が受け入れてくれるのか分からない憂惧の気持ちだった。


「……宮田さん」



「怖くて言えなかった……。でも、あなたの隣にずっと居たいって最近はそればかりで……」

「…………」


沈黙が訪れる。



開け放たれた窓から少しだけ湿気を含んだ新緑の香りのするそよ風が吹き込んできた。

するとふわり……と真っ白なレースのカーテンが音もなく揺らめいて、涼風すずかぜが二人の間をすり抜けていく。

その隙間から差し込む光に照らされた宮田がほんの少しだけ目を顰めていると、牧野はゆっくりと口を開いた。




「私も……宮田さんと同じ気持ちで――今、すごく驚いてます」


その一言を聞いて宮田の胸は、どきりと音を立てる。

その途端に、テーブルの上で組んでいる手の指一本まで鼓動をしているように感じた。


すると今まで意識していなかったことに、無駄に神経がいってしまう。

宮田は大きくなる心音と動揺を悟られまいと、下手に身動ぎをしないように思えば思うほど、まるで自分の及ばないところで操られているように感じ、奇妙な感覚に陥っていた。

すると牧野は更に続けた。


「私も、あなたが……宮田さんが好きです」


「本当ですか……?」

やっとのことで絞り出したひと言でさえ、喉が上ずって掠れたように聞こえる。

「ええ、もちろんです」


「だから、もうそんな不安気な顔をしなくて大丈夫ですよ」

そう言って牧野は宮田の手を優しく取ると、包み込むように自身の手を重ねる。


宮田はそこまで聞くと、胸の内で縛りつけられていたものがするすると解けていくのが分かった。

それは、ふわっと温かいものが流れ込んできてから全身を巡っていくような、赦しにも似たような感覚だった。


「牧野さん……良かった」


「両想いだったなんて、もっと早く気づけば良かったですね」


申し訳なさそうにはにかんで見せた牧野は「さて……」と呟くとそのまま立ち上がる。


「待って」


その一言が牧野の耳に届くと同時に、不意に引っ張られた。

そのまま引き寄せられて、宮田の腕が背中に回り、優しく抱きしめてくる。


少し驚いたような顔で牧野が宮田の肩に顎を乗せていると、白いシャツを通して宮田の体温と鼓動が伝わってきた。

そして牧野が同じように背中に手を回して抱き留めると、離さないと言わんばかりに強い力を感じた。


「ずっと……好き、だった」


その絞り出すよな小さな呟きは遠くで見つめていた時とは違い、受け止めてくれる彼が居る。


「私も、好きです。もう、我慢しなくていいんですね」


すると宮田は牧野の腰に手を回しながら、ゆっくりと上半身を離した。

お互いを見つめ合いながら、口元に優しげな微笑みを浮かべている。


そしてどちらが言うでもなく自然と、唇を重ねた。


ほんの短い間のキスだったのに早鐘を打って躍る心臓は、彼にときめいて鎮まることを知らなかった。


そして二人は今までの時を埋めるように再び唇を重ね、熱いキスを交わした。


それからどれくらい経っただろうか。

名残惜しそうにゆっくり離れると、牧野は宮田の首筋に顔を埋めた。
くすぐったい感覚に身をよじるも、彼はそれを許さないと言うようにに腕の力を強めた。

抱き合いながら微笑み合う仕草は、二人の確かな愛情の色が見え隠れしていた。






fin.

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Carrol - キャロル -
カクテル言葉:この想いを君に捧げる

[ title by:溺れる覚悟]




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